書物・参照・思考にもどる

『アース・スピリッツからスカイ・ゴッズへ
― 一神教、個人主義、そして石器時代からアクシアル・アイアン・エイジにおける抽象的な推論の社会学的、生態学的起源』

Bruce Lerro, From Earth Spirits to Sky Gods, The socioecological origins of monotheism, individualism, and hyperabstract reasoning from the Stone Age to the Axial Iron Age, Lexington Books, Lanham・Boulder・New York・Oxford, 2000. ISBN 0-7391-0098-X

《松本みどり要約》

《趣意》
 人類史、人類の意識史(あるいは観念史)と歴史社会史をいかに捉え、それによって、現代に生きるわたしたち一人ひとりの個体と社会の現在と未来を眺望できるようになること、その参照になるような著作をここで紹介できたらとおもいます。
 その一つとして、松本みどりさんが、ブルース・レロの著作の長大な要約をつくってくださいました。
 この著作の視座は西欧的観念の基層にある「一神教」「個人主義」「抽象的な推論」の起源がBC1,400~BC500頃の「アクシアル・アイアン・エイジ」、大宗教の興った時期にあり、それはアース・スピリッツからスカイ・ゴッズへの宗教的観念の転換によって示される。この転換の時期こそが、それ以後の歴史をもたらした人類史上の最大の変革期だという認識によって書かれているようです。さらに、このような観念史の展開を始動させているものについて、著者はマルクス=エンゲルスの唯物論的な史観、下部構造・上部構造論を再検討・改良してその重要な論点を取り出すなら今もなお有効であるとしています。観念史の展開については、フランスの心理学者ピアジェとともに、ソビエト時代のロシアの心理学者ヴィゴツキに大きく依拠しているようです。原稿用紙400字詰100枚をはるかに超える要約を入念に読みとってみますと、いくつもの疑問とともに、随所に啓発される論点と大きな示唆を受ける記述がふくまれていることがわかるとおもいます。
 現在、唯物論的史観について、これを積極的にとりあげる論者が少ない中で、アメリカからこのような著作があらわれたことにいささか驚きましたが、ヘーゲル=マルクス、マルクス、マルクス=エンゲルス、あるいはマルクス主義(マルクス=エンゲルス=レーニン)とを入念に腑分けして、これらの思想からなお現在的に重要な概念をとりだしてみることはいまもなお大切な課題とおもいます。その点で著者の提示する考察がどれだけ大きな射程をもつものかを「参照」として観ていただけたらとおもいます。
 この半世紀のあいだに人類史について書かれた大きな構想の著作としては、世界的にはサルトルの『弁証法的理性批判』、レヴィ=ストロースの『神話論理』、ドウルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』あるいは『千のプラトー』などがすぐあげられるでしょう。また、日本での著作として吉本隆明『共同幻想論』『心的現象論』『ハイイメージ論』ほか、最近では中沢新一『カイエ・ソバージュ』五部作をあげてもよいかもしれません。
 人類史の大きな段階の認識についていえば、この著者の指摘するような大宗教の興る時代に大きな段階を認める考えと、旧石器時代から新石器時代にわたる間に大きな転換の段階があったとする考え、ホモ・サピエンス・サピエンスが誕生し世界に広がった7万年~5万年前にすでに今日までにいたる人類のありようが形成されていたとする考えなど、さまざまな人類史の構想が生まれはじめています。
 神話学では近年「世界神話学」という概念が提示され、ホモ・サピエンス・サピエンスがアフリカに誕生してから世界に拡散する2万年以前の旧石器文化の段階で神話の生成と展開があった、現在世界に広がる神話がもつ共通の物語と構造はこの旧石器文化段階の「世界神話」生成の結果であるといった試論が提示されるようにもなってきました。
 一方、アクシアル・アイアン・エイジの大宗教が生まれた時代とは、同時に「宗教の否定」の観念が生まれた時代でもあり、キリスト教とは「宗教の否定」を内包するものだったという理解も提起されているようです。
 そのような議論もあるということを前提としつつ、ご覧いただけたらとおもいます。(S)

《著作と著者》
 以下は、From Earth Spirits to Sky Godsの内容を要約したものである。著者のブルース・レロ(Bruce Lerro)は職業を持つ成人を対象にマクロソシオロジー、社会・歴史からみた心理学、比較神話学/宗教学、政治経済、世界史など、非常に多岐にわたる講義を行ってきた。現在はカリフォルニア州オークランドに住み、ジョン・F・ケネディ大学、ゴールデンゲート大学、コロンビア大学、ヴィスタ大学などで教えている。本書はレフ・ヴィゴツキ(Lev Vygotsky)などロシアの社会歴史学派の心理学を古代社会に応用し、また資本主義以前の社会における神聖な体系のマルクス・エンゲルスの分析を深め改良すべく書かれた。

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《全体目次》

<図版一覧>
序文

第一章; 神聖な世界;魔術的・宗教的伝統にみられる共通目
1. 自立した神聖な体系としての魔術
2. 信心、神話、道徳
3. 劇化
4. 劇化のテクニックとよりよい効果を得る方法
5. 神聖な伝承のあいだの緊張関係
6. 内在的なものから超越的なものへの推移

第二章; 政治・経済の発達;階層社会の起源、余剰物資の徴収、市場
1.古代の政治:平等、身分(rank)、階層
2.古代の経済;連合から中央集権へ、聖から世俗へ
3.古代社会の下部構造、基幹部、上部構造

第三章; 変動期の社会;危機、紛争、間に合わせ
1.進歩vs間に合わせの発展
2.身分rank、と階層の起源;合意してvs対立のすえの間に合わせ策
3.魔術と宗教は間に合わせの社会改革を牽引するのか、引きずられるのか

第四章; 魔術的な/宗教的な体験;石器時代から鉄器時代への葛藤
1.集中したpsycheと拡散したpsyche
2.Psycheの魂としての機能と精神としての機能
3.原始魔術の意識の状態
4.二次魔術secondary magicな意識の状態
5.宗教の意識の状態
6.普遍的宗教への商業の影響

第五章; 場所、空間、感覚;古代世界における物理的な場所と感覚の比率
1.場所vs空間;心理的な相違
2.感覚の比率;近場の感覚と遠距離用の感覚
3.魔術社会での場所の優勢
4.スカイ・ゴッドの宗教での場所の凋落;社会と自然の空間化
5.魔術と宗教は異なる感覚を用いる
6.魔術社会での聴覚、触覚、味覚、嗅覚の優位
7.砂漠、感覚に訴えるものの欠乏とアクシアル・アイアン・エイジのスカイ・ゴッド
8.アクシアル・アイアン・エイジのスカイ・ゴッドにおける視覚と極度の抽象化

第六章; 集団主義的自己から個人主義的自己へ;
          石器時代から鉄器時代にかけての自己

1.生物学的な有機体から社会的な自己へ
2.個人主義者vs集団主義者
3.相互依存の自己vs自立した自己
4.内面の自己vs外部にみせる自己
5.一神教と個人主義の共通項

第七章; 心について;
      生態環境、デモグラフィー、社会組織が認知の発達に与えた影響

1.労働が専門化されればされるほど注意力の集中が必要となる
2.政治的中央集権;計画、監督、調整
3.帝国建設;万能の人の思考法と一神教
4.文字の発明;行動と会話から思考を開放する
5.文字の発明は思考を記憶から開放する
6.文字の発明と自然;参加から支配へ
7.貨幣の発明によって状況に左右されることがなくなり熟慮と普遍化を促す
8.人口増加と食糧危機は満足の先送り、長期的計画、共同体の普遍化を促す
9.認知の発達の社会的・歴史的意味

第八章; 前操作期から操作期の認知へ;石器時代から鉄器時代へ
1.認知の発達理論の限界: レヴィ=ブリュルLevy-Bruhlの“神秘な参加”論
2. 認知の進化;ピアジェの段階は歴史にも適用できるのか?
3.前操作期vs操作期の認知
4.前操作期の認知、魔術、集団主義的自己
5.具体的操作期vs形式的操作期
6・形式的操作、普遍宗教、個人主義的自己
7.歴史上での認知の進化:ピアジェとヴィゴツキVygotskyの統合

第九章; 地上での天界の戦い;スカイ・ゴッドの起源への彗星や小遊星の影響
1.二次魔術から原始宗教へ
2. 空を荒らしまわるものたち;彗星、小遊星、流星
3.人類の歴史にみられる空を荒らしまわるものたち
4.神話の政治学;神話は幻想か、寓話か、歴史か
5.天空での出来事がスカイ・ゴッドを生む直接の原因となったのだろうか?

第十章; アクシアル・アイアン・エイジ;スカイ・ゴッズの勝利
1.アクシアル・アイアン・エイジのユニークさ
2.脱神話化と普遍的宗教・哲学
3. 初期鉄器時代とアクシアル・アイアン・エイジの宗教と自己の比較
4.東西のアクシアル・アイアン・エイジの比較
5.事物に関する心の政治学
6.天空の神の起源について、唯物論的な説明

第十一章; 危険と約束;スカイ・ゴッズと宗教の遺産
1.社会の進化の流れ;進歩、退化、間に合わせ?
2.宗教に賛成か反対か
3.個人主義的自己と操作期にある認知の遺産

Diana style base

■序文

 呪文と祈りの違いは? 古代世界の創生神話でなぜ女神たちは神々にその座を奪われたのだろう? 社会上層部にかぎってのことだが、いくつかのクニ社会でアニミズムや多神教が一神教に放逐されたのはなぜか? 神聖な領域でのこうした変化の原因として考えられるのは、用いられる感覚が聴覚から視覚に移ったこと、集団主義的自己が個人主義的自己に変わったこと、認知の段階が前操作期から操作期に発展したことがあげられる。
   考察の対象はBC30,000からBC500までの25,000年である。
 社会構成;狩猟・採取の部族社会(旧石器時代)、単純・複雑な園芸で生活する新石器時代、古鉄器時代の遊牧社会を含む。
 聖なるもの;原始魔術、二次魔術、宗教。
 社会を構成する階層としては;下部構造(技術面、労働形態)、基幹部(社会の政治経済面)、上部構造(科学、聖なる体系、美術といった“生きることの”意味を考える面・meaning-making)

 この主題に対する文献は以下の三つの陣営のものがある;
1)旧式なマルキストたちは部族社会、農耕社会での神聖な体験を迷信として切り捨てる。彼らは社会が啓蒙されれば神聖なものは不要になると説き、神聖な体系は一顧だにしない。歴史をかならず向上する直線状のものと解する。
2)ユング派の精神分析家は部族社会の神聖な体験をあまりにも理想化しておおげさに取り上げる。
3)フェミニスト・グループや反体制派の人々も部族社会を理想化しすぎ、歴史的な変化を母権制からの堕落ととらえる。

 著者は神聖なものの歴史を十分に鑑み、そこに“進歩”も“堕落”も見ずに“間に合わせ”の発展という概念を導入して、複数の学問分野を視野に入れ、比較検討するという態度をとる。上記年代の生態学的、統計的、技術的、政治的な変化を基に、神聖な体系がスピリッツからスカイ・ゴッズへ推移していった経緯を解き明かす。アクシアル・アイアン・エイジ(Axial Iron Age;BC1,400-BC500の大宗教の興った時期)には仏教のような宗教で改革運動が起こり(上部構造)、物質面(下部構造)でも大規模な変革が起こった。
 存在論・認識論的にみて;
・古代社会の質の変化は人口増加とその結果である物資の欠乏による。
・欠乏状態が集団・個人の諍いを招く。
・欠乏状態を改善するために、いやおうなく技術的・政治経済的変革が起こる。
・技術的・政治経済的変革のために認知の仕方が変わる。
・ 認知の仕方の変化が神聖なものへの信仰の変化を惹起する。

 歴史を形作る;人口の増大するなか、人々の欲望を充足させるために必要な集団による労働の不可逆的な経緯と定義される。

  【図A】
物質文明
 狩猟・採取期(BC30,000-BC8,000)旧石器時代;
  平等な社会、原始魔術、神話、アニミズム;認知前;
  集団主義的自己とアース・スピリッツが重複した状態。
   園芸期(BC8,000-BC3,000)新石器時代;
  単純園芸期、政治的平等、小さな村落、原始魔術、神話、アニミズム;認知前;
  集団主義的自己とトーテム、祖先のスピリッツが重複。
   複式園芸期(BC6,000-BC3,000)後期新石器時代;
  首長制、政治的に縦の社会、原始魔術、神話、アニミズム;二次魔術へと移行
  集団主義的自己とトーテム、祖先のスピリッツが重複。
   農耕期(BC3,000-BC1,800)青銅器時代;
  階層化された政治形態、神権国家、二次魔術、神話、母権制の多神教;具体的操作期
  神々・女神たちの下に神権を持つ王がおり、その下位に集団主義的自己という構図。
   遊牧・園芸期(BC1,500-BC700)鉄器時代初期;
  階層化された政治形態、小王国、原始宗教、神話、父権制の多神教、原始魔術;具体的操作期
  スカイ・ゴッズの下に戦士・英雄、その下位に原個人主義的自己という構図。
   商業・農業期(BC600)アクシアル・アイアン・エイジ;
  階層化された政治形態、共和国、大宗教、哲学、一神教、一元論、非=二元論、魔術や神話は非難される;原形式的操作期
  スカイ・ゴッズははるか天空に在り、地上には商人と賢者、その下位に個人主義的自己という構図。

マルタ島の女神

■第一章 神聖な世界

  魔術的・宗教的伝統にみられる共通項目

1.自立した神聖な体系としての魔術
 以前はフレーザーがしたように魔術を宗教から分離して考えるのが普通だったが、著者は魔術に大きな意義を見出す
現在では魔術を神聖なものとはみなさなくなっているが、その一因は魔術の起源が集団のあいだの抗争にあり、また現代人の部族社会への蔑視のためともいえよう。アクシアル・アイアン・エイジに一神教が興った後、勢力を確保するために、それ以前の神聖なものは一様に貶められる。

【図1―1】すべての神聖な体系に共通する要素
1.究極の神秘に関する中心となる信条
2.これらの神秘に比ゆ的に対応する神話と物語
3.その信条や神話を日常の世俗世界に適用する道徳とエートス
4.目に見える体系のエッセンスを捕らえたシンボル
5.信条、神話、道徳を称揚するために特別のおりに催される集団での劇化
6.意識の状態を変化させるテクニック
7.その体系の求めるものへと適合するための日常的な習慣
8.次世代を教育するため習俗などの伝達

【図1―2】すべての神聖な体系にみられる緊張関係
〈信仰〉と神話;信条を信仰にしました
1.アニミスティック、多神教、一神教?(究極的に単数か複数か?)
2.神聖なものは具体的か/抽象的か?(近場、現実的、内在的か、orかなた、峻厳、超越的か?)

神話;
3.始祖、聖典、物語の扱いは文字どおりか、比喩的か?

聖なる劇化;
4.劇化、小道具、身ぶりは<誇張なし>か、(おおげさな)表現的か?

道徳;
5.他の人々や神聖なものに対し、〈排他的、地方的か、包括的、普遍的〉か?

テクニック;
6.飽和か、禁欲的か?(意識が変化した状態になるためには感覚、感情、想像力、理性、身体の動きといった人間の力を最高に機能させるか、まったくの空白状態におくか)
7.神聖なものに近づく際、仲介を通してか、直接にか?(高次の真実は仲介者を通してもたらされるのか、あるいは直接経験されるのか)
8.個人か、集団か?(意識が変化した状態になるには孤立によるか、あるいは共同体を通してか?)

戦略;
9.知性、信仰、実験、習慣?(人間のどの面にアピールするか?)

伝承;
10.口承か、書物の形か

 アクシアル・アイアン・エイジの一神教vs石器時代の部族社会と青銅器時代の農耕社会の神聖なもの。すると、魔術はけっして貶めていいようなものではないことが明確になる。
 社会形態のいかんによらず、個人の心理は変わらない。
 〈Evans Pritchardは部族社会の宗教を社会学的なものと心理学的なものに分かつ。社会学派はデュルケムからウェーバーまで社会の形態が変わろうと、その社会を形成した人々の心理を左右することはないとする。たとえば、Levy-Bruhlは部族の信条を“論理以前”な知能と“神秘な参加participation mystique”の表明とみなす。夢の世界と目覚めているときの世界が分化された時点以降、来世という概念ができる。〉  夢の世界と目覚めているときの世界が分化された時点以降、彼岸という概念ができる。
 原始魔術は部族社会の魔術、二次魔術secondary magicは青銅器時代の農耕社会のそれ。
宗教はアクシル・アイアンエイジの農耕・商業王国の信仰をさす。一神教以前に宗教はなく、あったのはべつの形態の神聖なもの・魔術だった。
 魔術は儀式によって実際は環境を支配できないのにできるフリをし、神話によって現実に解決できない問題と取り組み、死への恐怖から永遠の生を創出する。
 意味を作るmeaning-making神聖な体系は人類と同じほど古来のもの。何かなければこれほどの期間続くはずはない。

2.信心、神話、道徳
 世界はどのように始まったのか?
 人間とは何か?
 われわれはどこから来たのか?
 どこに行くのか?
 部族社会には口承の伝統。宗教には聖なる書物
 〈核となる信条はそれだけ取り出して云々できる教義ではなく、社会に浸透しているものなので、個々人には検証する必要もない。〉
 神聖な体系にはかならず創世(創生)神話があり、近代まで人々は神話を現実と思ってきた。どの神聖な体系にも核となる信条、神話、エートス、シンボルがある。

3.劇化
 信条、神話、道徳、シンボルは個人が認知して送る生活にアピールするが、実際に演技されることでいっそう現実味を帯びる。定期的に劇化を眼前にすることで、人々は〈今、ここ〉という現実から離れる。
 集団心理学的にみると、集団で儀式を行うと共同作業性を持つことになり、一人で行う以上の何かが起こる。よい儀式だと心は〈今・ここ〉を離れることができる。儀式はよき仲介者の意味を持つ。

4.劇化のテクニックと、よりよい効果を得る方法
 劇化されたスペースの内では心理的に、より敏感に想像力に富み、感情的になる。ヨガ、祈祷、憑依、呪文
 儀式のあいだ、1)五感のすべてが満たされる飽和状態、2)五感のひとつだけが冴えわたる厳格な孤立・禁欲(倒れるまで踊り続けるシャーマン)。
ブッダの教えは後者の好例;感情はつかの間のもの、拘泥するにはあたらない。
 〈儀式はマイナス感情、悲しみ、怒り、疑惑などを祓い、代わりに、勇気、能力、創造力、自信、希望、癒しなどを吹き込む〉。
 現代心理学では、儀式と飽和状態をもたらす技術を、意識を避け無意識そのものと対話する技術とみる。劇化によって1)個人の感情、夢想が解き放たれ、2)それらは絵画、彫刻などで客観化され、3)そうしたイメージと個人のpsycheとの対話が行われる。
 特別の時間と場所で起こる短期間のものではなく、長期にわたる自己変革もある(Abraham Maslowの欲求段階)=ブッダ、孔子。
〈宗教社会学者によると、長期にわたっての霊的な成長には四段階ある;
 1)現状に無秩序という診断を下す。
 2)問題解決のためにふだんの行動を変え距離をとる;たとえば断食、森に引きこもる、財産を捨てるなどなど。
 3)このとき、デモンと直面する。たとえばキリストやブッダの誘惑。
 4)危機を乗り越えると、個人は変貌を遂げる。共同体に戻って高いレベルで暮らし始める。つまり再生。〉

5.神聖な伝統のあいだの緊張関係
〈アクシアル・アイアン・エイジの大宗教〉
1)抽象的、天空のもの、超越的。2)神話は比喩。3)儀式は象徴的なもので間接的な威力しか持たない(神の御心によって)。4)動植物への共感は薄く、世界中の人類への共感。5)知性、敬虔さに訴えかける。6)禁欲。7)神と直接の交流はない(司祭などを介する)。8)文書で後世に伝達。
〈魔術〉
1)具体的、地上のもの、内在的。2)神話をそのまま信じる。3)儀式は仲介するものではなく、直接現実を変えるもの。4)局地的、そこの動植物もよそ者よりは身近に感じられる。5)実用的/経験的な領域に訴えかける。6)過度の飽和。7)神聖なものとの直接の交流。8)口承。

 とはいえ、魔術と宗教は適度に混交しており、宗教の範疇でも多神教と一神教の区別もあいまい;カトリックの聖人崇拝、仏教の諸仏。
 さらに、宗教がクニの力と結びつくと、大衆のため魔術的な要素が混入することもあれば、ヘブライの預言者やブッダのように宗教を共同体の改革を促進ために利用することもある。

【図1―3】魔術と宗教の違い

魔術 構成要素 宗教
アニミスティック/多神教 信仰 一神教(社会上層部)
修正された多神教(下層部)
具体的/地上的 抽象的・天上のもの(社会上層部)
修正された具体的/現実的(下層部)
文字どおり 神話 比喩的(社会上層部)
文字どおり(下層部)
文字どおり 劇化 叙述/象徴的(社会上層部)
文字どおり(下層部)
地方的/排他的 及ぶ範囲 普遍的/包括的(社会上層部)
地方的/排他的(下層部)
禁欲よりも飽和 テクニック 禁欲(社会上層部)
飽和(下層部)
介在なしに聖なる共感 経験 介在なしに聖なる共感(社会上層部)
介在者を通して(下層部)
孤独にではなく、集団での経験 孤独(社会上層部)
集団での経験(下層部)
経験的、実際的 経緯/鍛錬 知的(社会上層部)
献身的、経験的、実際的(下層部)
口承 伝承 書物として(社会上層部)
口承(下層部)

6.内在的なものから超越的なものへの推移
 石器時代から鉄器時代にかけて神聖なものはしだいに人間の干渉を受けないようになっていく。
Paul Radinの説;
1)原始魔術;神聖なものは人間の呪文・儀式に直接左右される。2)やがてスピリッツは自立する;二次魔術でトーテムは祖先崇拝に。3)青銅器時代になると多神教の神々、女神たち、4)神聖なもののほうが人間よりはるかに強大になる。
 この経緯は認知能力が発達するにつれ、人間が自己の限界を知る過程ともいえる。

【図1―4】神聖な体系の発展;内在的なものから超越的なものへ

原始魔術;聖なる対象は呪文で思いどおりに
アニミズム/スピリッツ
狩猟採取・園芸社会(旧・新石器)
BC30,000-BC6,000
二次魔術;聖なる対象は自立度を高める
アニミズム/トーテム、祖先の霊
複雑化した園芸社会(新石器後期)
BC6,000-BC3,000
二次魔術;聖なる対象と人間は相互に関係し合う
神権を持つ王、女王、祭司
多神教
初期の農耕クニグニ(青銅器時代)
BC3,000-BC1,000

宗教;聖なる対象は人間の干渉を受け付けない
人間社会が服従。祭司の介在
一神教/神
農耕帝国(アクシアル・エイジ)
BC1,000-BC500


牡牛のフレスコ画

■第二章 政治・経済の発達

  階層社会の起源、余剰物資の徴収、市場

1.古代の政治;平等、rank(身分)、階層  平等から身分制rank、階層社会への移行は原始魔術、二次魔術、宗教の時期にほぼ対応する。
 狩猟・漁撈社会と園芸社会は政治的に“平等”。能力のある者がその地位につき、だれもが生存の基盤である物資に近づくことができる。とはいえ、平等社会でも影響力、特権など差異は存在した。

【図2―1】物質文明の概観 BC30,000-500

狩猟採取期;
BC30,000-8,000
遊牧;永続的な首長はいない。個人財産なし
50-100人
園芸期;
BC8,000-3,000
 単純園芸期
 BC8,000-6,000(新石器)
 複雑化した園芸期
 BC6,000-3,000(新石器)
定住して邑、いくつかの邑の共同体
血族/氏族、永続的な首長はいない
集団の財産、100―500人
中央を持ついくつもの邑、労働の専門化
世襲の首長制、首長の財産、
人口1,000―10,000人
農耕期;
BC3,000-1,800
(青銅器時代)
クニグニと町、鋤の発明、物資の激増、
労働の分割、頭脳vs肉体労働
10,000―100,000人
クニの財産
放牧・園芸
BC1,500-700
(アクシアル・アイアンエイジ)
農業・商業 BC500
(アクシアル・アイアンエイジ)
ちっぽけな王国、鉄器、物資の減少、
労働分割があいまいになる
個人財産として家畜、300-500人
共和制のポリス、形式的民主主義、
アルファベット、貨幣、科学、商業


【図2―2】単純園芸社会vs複雑化した園芸社会

単純園芸社会
資源の枯渇
人口増加


出現の契機


複雑化した園芸社会
資源の枯渇
人口増加
限られた手つかずの資源
乾いた気候、地理的な限界
BC8,000
邑、100-500人
連合
平等
リーダー格
平等な再分配
出現した時期
規模
社会組織
政治的に
指導者
経済
BC6,000
2-6の邑(最低1,000人)
 中央集権(政治的階層)
身分rank
首長
一部分のみ再分配
リーダー格
権力の座
首長
力をつける
個人的な能力、非世襲制
気前のよさ、勇気、雄弁
カリスマ性、堅忍不抜
管理能力
“気前のいいことは高貴”これは
人を魅了するが、強制はできない
権力を掌握;地位
継承によって世襲
能力の有無は不問
祖先の霊からの続く血統

高貴であるには気前よくあれ、と
強制できる

社会内で物資の再分配
交換を監督
集団内の儀礼を主催
宴、祭りの際に振る舞う
集団内の経済の管理
政治経済を左右する力はない
職能





社会内で物資の再分配
組織的交換を監督
他集団に対し、集団を代表する
集団の保護
政治経済の管理、一般民から余計に
徴収

 “力”;労働力を動員するためのその社会の制度
 水平な力;労働する全員が同じ権利を持ち、労働の仕方、制度などについて自由に意見を言える。
 垂直な力;階層社会
 複雑化した園芸社会(complex horticultural society)では平等ではなくなって身分(rank)ができ、能力を持った全員がしかるべき地位を占めることはできず、生産物の流通を管理する力を失う。首長はより広い土地といった特権を持つ。特権は勝ち取らねばならない影響力や声望とは異なり、授けられたもの。技能や有能さではなく生まれや地位を基に特定集団の便宜を計ることもできる。首長とその氏族というように集団の特権だが、世襲という制度はない。

 青銅器時代、園芸(小規模な庭で果物、野菜を作る。焼畑。農耕のように鋤ではなく棒で土を掘り返す。じきに土地は痩せ、移動しなければならない)からより効率のいい農耕へと切り替わって人口も増大、クニができる。

 BC3,000-BC2,000にメソポタミア、エジプト、やがて中国とインドにクニが興る。中央集権、青銅器の使用、車輪の発明で社会のあいだでの交易が拡大。園芸期と違って、穀類の種の保存ができるようになり、王や祭司といった階層化が進む。クニ社会に“戦士”階級の出現。 縦の階層社会になると、下層民はいやおうなく与えられた労働に従事、物資の流通にも所有にも与れなくなる。戦士団をバックにエリートたちの命令が遂行されていく;人民に意志を押し付けるためには1)命令の合法化、2)力を保有、3)仲間うちの共謀。

 BC3,000-BC1,000に起こった天災のために園芸社会は弱体化、そこへ北方から狩猟と園芸の社会であるインド=ヨーロッパ(インド=アーリア)系諸族が侵入。アーリア人社会には一神教の萌芽がみられる。このころまでに、狩猟・採取から集落での園芸、さらに農耕と社会の規模が大きくなり、技術は進歩、以前に比べると富み、社会は不平等になる。社会のトップになった征服民族はラクダ、羊、ヤギを放牧し、ヨーロッパ中世の封建社会を思わせる小規模な王国を建設。

 BC1,000-BC500、政治経済面で変革が起こる。大宗教が興り、知的・精神的な習俗が大きく変化する。ブッダ、孔子、ザラストラなどは柔軟性のない農耕社会の規範を緩めようとする。

 海運国のギリシアは特例で、ほどよい雨のおかげで中央集権を免れ(他の文明では国家が灌漑用水の設備を行うため、いやおうなく国に従属、神官や官僚の世界)、鉄器とアルファベットに負う直接民主制を行う。だが、奴隷多数という不自然な社会だった。ソロンの改革。他の中央集権農耕社会では神の声を聞く王が絶対のものだったが、ギリシアでは神の声はなく、あるのはポリスの人間の声ばかり。BC800-BC600に鉄器、アルファベット。貨幣。市民男子の政治的平等。アクシアル・アイアンエイジのギリシアは個人という自己が成立し天空の神の輪郭ができる。

【図2―3】政治的権利と信望

平等社会 身分制社会 階層社会
狩猟・採取 単純園芸 複雑化した園芸
単純園芸 複雑化した園芸 農耕社会のクニグニ
価値ある地位は全員にオープン 権限ある地位は限られる

権限ある地位は独占される

基本的資源には全員が近づける 近づける者は限られる

めったに近づけない

平均的な者は;
生産、流通、所有を管理
生産に関与 流通、所有は管轄外

生産、流通、所有の管理権を失う 長時間労働

 その地位を手にしたリーダー 首長は特権、影響力、名声を持つ

神権の王や祭司が
特権、影響力、名声を持つ
権力は水平
 強要でも合法でもない

原―縦の権力
強要はなく、統治の合法性
原―共謀
縦割の権力
強要+合法
服従する集団の共謀
平等社会の利害関係
身分制の利害関係
階層社会の利害関係
原始魔術
原始魔術
二次魔術
二次魔術・宗教

 旧石器時代
 新石器時代
 青銅器時代
アクシアル・アイアンエイジ

〈一般の人々が基本的物資、道具、製品に自由に近づける平等社会では神聖なものは自然と社会に内在する。不平等が起こりはじめるとき、社会は階層化され神聖なものは超越的になる。〉

2.古代の経済;連合から中央集権、聖から俗へ
 土地の所有者;採集期は社会、園芸期は氏族、複合化した園芸期は首長、農耕期はクニ、商業・農業期は個人。
 食料や資源の流通;しだいに中央の管理へ。相互交換ではなく中央から支給されるという形態。社会とべつの社会のあいだにクニの管理する市場ができる。
・個人の利得をめざす競争はなく、すべて神権のクニが管理する。
・商人は神権のクニの規定どおりに交易する。
・すべてがクニのもの。
社会のなかで血族間の非商業的なやりとりだったものが、匿名の売り手と買い手のあいだでの世俗的交換に変わる。
平等な社会では商業はなかったが、クニに首長ができるとわずかな商取引と市場が現れる。ギリシア、特にアテネでは史上はじめて市場が成立。
 一般的なやりとり;これには自発的な分かち合い、もてなし、気前のよさが含まれる。計算ずくのものではなく、収支も長期的、たとえ支払いがなかったとしても許される。
農耕社会になると氏族の絆は弱まり、この種のやりとりは減少。アテネではさらに世俗的商業に取って代わられる。
そこで貨幣。商業が活況を呈するにつれ、神聖なものから離れて諸学芸が開花する。
経済のシステムはスピリッツからスカイ・ゴッズへ、魔術から宗教への推移に対応している。

スピリッツの魔術          スカイ・ゴッドの宗教
神聖なものは内在的         神聖なものは超越的
平等社会                階層社会
水平な権力分布            垂直な権力分布
一般的なやりとり           余剰物資の徴収
利用価値偏重             交換価値の増加
市場はない・あっても周辺的    クニの市場

3.古代社会の下部構造、基幹部、上部構造
 狩猟・採取社会、園芸社会、複雑化した園芸社会、遊牧社会、農耕国家、海運国家。それぞれ異なるが、いずれの社会も成員の生活を守り、かつ生活の意義を探していた。
 <Marvin Harrisによると;>
 下部構造;生き延びるために早急にしなければならないこと(食料など)、つまり生産。
 基幹部;生産されたものの流通、分配で交換が行われる。その社会の経済・政治。
 上部構造;神聖なものや儀式についての意味を作るmeaning-making、つまり文化。
 唯物論者としての著者はまず、下部構造と基幹部が上部構造の性質を決めるとする。スピリッツからゴッドへの移行(上部構造)は生態学、人口、技術、政治経済(下部構造と基幹部)から説明できる。〈ただし、下部構造が最初に現れるということではなく、どの社会においても、三つの構造は同時に出現。〉

三つの動物像

■第三章 変動期の社会

  危機、紛争、間に合わせ

1.進歩vs状況に応じた進化
 旧石器時代から鉄器時代まで社会の歴史を物質面からみると;
 1.人口の増加
 2.社会の規模の増大
 3.物資が豊富になり、専門的な品物も生産される
 4.技術の進歩
 5.社会構成の複雑化
 6.定住化が進む
 7.生物物理学的な環境を管理できるようになる
 8.労働の専門化
 9.平均的な者にとって労働時間が余暇よりも増えていく
 10.物質面で縦割り社会になっていく;財産、道具の所有、人々への支配力

 というように、どの社会も時とともに変化していった。
 こうした趨勢には二通りの解釈ができる。一方は“進歩”という概念で、他方は“状況に応じての進化[間に合わせの進化]improvised cultural evolution”である。
 歴史の趨勢を進歩progressと呼ぶことに対しては19世紀末、人類学者のフランツ・ボアズが非科学的な差別だとして反論。その後、“必要に迫られてcultures changed due to nessesity社会は変化していった”という意見が大勢を占めるようになる;人口増大による食糧危機になんとか対処するためのもの。
 進歩theory of progressは社会が自発的に変貌を遂げることを意味する。状況に応じた進化theories of improvised evolutionはもろもろが現状よりも悪化しないよう必要に迫られて変化していくと説く。どの社会でも人口増大と物資の枯渇という危機に際して生き延びるために新たな方策を講じる。
 進歩はひとつのイデオロギーとなって19世紀末から第一次大戦のあいだ、植民地政策を認可する方便となる。
 状況に応じた進化で考えると、人間は変化していく生物物理的な環境に適応していかざるをえないが、それは生物学的というより社会文化的な手段による。状況に応じた進化には量的なものと質的なものがある。
必要に迫られて社会が変化する場合;
 量的=危機には至らないが生態的、人口的な問題に対処すべく徐々に起こるもの。短期的。
 質的=狩猟・漁撈社会から園芸社会への変化のように危機に対処する際の長期的な変革。社会の3つの構造すべてが再構築される。


【図3―1】進歩vs状況に応じての進化

進歩
人々は興味津々
人々は貪欲
新しいものを求めるため、文明は変わる
人々は変化そのものを楽しむ
状況に応じての進化
人々はなじんだものにしがみつく
特に貪欲ではない
諸々耐えがたくならないように文明が変わる
人々は変化よりも安定を好む
文化的な変化は自発的
―人々の条件を向上させるため
クニ以前の状態が延々と続く;
・文明化した生活に慣れていないため
・文明化されるための道具がない
・合理性がなく、迷信深い
いやおうなし、必要に迫られて
―人口増大、資源の枯渇に対処するため
クニ以前の状態が延々と続く;
・部族社会で居心地いい
・技術面に関心がない
・文明社会と同じ合理性を持つ

計画的な変化
変わる前に計画しておく
変更不可、直線的、徐々に状態は改善される
将来何が起ころうと、それはみなにとってよりよいこと
道徳性、幸福、知性面で改良される
成功した場合;
 人口、物資の増大、社会はより複雑に、
科学技術の進歩、資本主義、自然支配
状況に応じた変化
予測がつかない
変更不可、直線ではない、集団の状態による
人間の状況は困難にもなる
将来起こることはかならずしもよいものばかりではない
道徳性、幸福、知性面に目立った改善はない
成功した場合;
 種々の意味での環境の変化に順応する

【図3―2】短期間で適応できる場合と長期間かかる場合
緊急ではない危機;食料の枯渇+人口増大
短期間でやりくりする/量の問題
社会内;既存の生産を熱心に行う。労働する人員を増やし、以前より効率よくより長時間働く。
新生児を減らすため中絶を増やす。
    移住。
    社会内の反目。
社会と社会のあいだ;戦争
          交易(伝播)
          模倣(伝播)
重大な危機;人口増大、乾燥化、物資の不足、生物物理的/地理的制約
長期におよぶ改善/質的な問題
社会内;従来の生産法の改善、新たなエネルギー、道具の開発、労働の専門化
    従来の流通法の改善、交易の新たな形態、政治の新形態
    従来の上部構造の改革、新しい神話、儀式、礼拝形式
社会と社会のあいだ;戦争
          交易(伝播)
          模倣(伝播)

2.身分(rank)と階層:合意してvs対立のすえの臨機応変な処置
 状況に応じて社会が変わる場合、構成員はすべて同意するのか、あるいは紛糾するのか。
 合意の上で状況に応じて社会を変える場合、つまり人口が増大し、食料が不足しはじめると、技術面の新機軸を用い、これにリーダーが行う政治経済面の変化が続いて、その社会は危機を脱する。リーダーはこの後、危機とは無関係な特権と権力を持つようになる。身分rank・階層化された関係が制度化される。著者は“合意のうえでの臨機応変な措置”(Lenskiの余剰理論)と“対立のすえの臨機応変な措置”(Sandersonの欠乏理論)と名づける。
 合意のうえでの臨機応変の措置では危機に面して人々は技術面での改革を行い、これに経済、政治面の再編成が続き、結果的に危機を脱する。リーダーは危機が去った後も特権を享受、社会の不平等は確定されるが、構成員全員が参加するため“合意のうえ”と呼ばれる。
 対立のすえに社会を変える場合、わずかな土地を巡って集団間で争った結果、勝者が政治経済的に集団を再編成し縦の組織、階級と階層が生まれ、トップは余剰物が出るまで生産を増やし権力の固定化を図る。

非常時

合意のうえでの臨機応変な措置
技術面の改革に合意
合意のうえで政治経済面で再編成
余剰物資の発生
リーダーは全体をまとめる機能を持つ
余剰物資の幾分かを徴収
社会的な差異が制度化される
対立のすえの臨機応変な措置
わずかな土地を巡って集団同士が対立
強制的な政治経済面で再編成
余剰物資の発生
リーダーはまとめるつもりがない
余剰物資は大半が徴収される
社会的な差異が制度化される

両者の共通点;
 ・危機に対処すべく適応する。
 ・適応の過程に余剰物資が生産される。
 ・この過程で搾取が行われる。
異なる点;
 ・同意のうえでの場合、テクノロジー、政治経済などが変革されたあとで紛争が起こる。首長にせよ、神権の王にせよ、社会のために調和のとれた調整を行う。
 ・対立のすえの場合、これらの変革の前に紛争が起こり、勝者がどう変えていくかを決める。
 著者は階層社会の起源に関してSandersonの欠乏の理論を採る。
 社会の変化が合意の上か、あるいは対立のすえに起こるかは社会が平等か、rank社会か、階層社会かによる。
 園芸社会の例;
 平等な氏族のあいだで土地が不足すると、わずかな土地を巡って確執が起こる。ひとつの集団が勝ち、その中で力のある者が首長となり、自分たちに有利なような制度を作って(中央集権で灌漑)、他の氏族=敗者たちを従わせて搾取を始める。この時点で経済形態が複雑化し、首長のいる階層社会に変わっている。
 首長が存在するため、再度、状況に応じた変化を起こさざるを得ない状況に遭遇したとしても、以前のように氏族はすべて平等ではない。競争はいっそう激しくなり、首長は既存の権力を用いて、最終的には農耕社会の王となる。その下に戦士としての貴族階級が育つ。〈平等社会と違い、階層化社会では社会内の競争・緊張ははるかに大きい。〉
 最初の首長制はエジプトとメソポタミアで興った。なによりも鋤と農耕用の家畜。国は支配者層の利益を守りながら、灌漑、他の集団との交易など全般を統制・保護する。
 こうしてクニは拡大発展し帝国が出現する。園芸社会の一般人は農耕社会の身分の低い農夫になる。

【図3-3】首長制とクニの比較
出現の契機
人口増大
資源の枯渇
生産の途が制限される(例;一人当たりの耕作地など)
地理的な制約
近場に水源がある
組織
灌漑設備
中央集権
富に与れる者と与れない者
男性優位

クニは首長制とどう違うか
より進んだ人口過剰(邑の稠密な人口)
土地の集中利用(園芸ではなく農耕)
青銅器(より長持ちする)

食糧生産の増加、物質的な富
食料の貯蔵
労働の専門化が進み、中央集権

首長制に勝るクニの強制力
階層化社会
軍人階級の出現
カースト、労働時間の延長
食べ物の劣悪化
租税
戦争のための徴兵

3.魔術と宗教は、状況に応じた社会改革を牽引するのか、引きずられるのか
 魔術と宗教という神聖なものと物質文明の対応関係について。
 アニミスムから多神教、一神教への推移は成熟とみなしていいのか。
 原始魔術は平等社会と、宗教は階層社会と切り離しては考えられない。
 唯物論的観点からは、原始魔術、二次魔術、宗教は社会の進歩・変化を促進・起因するものではなく、既存の物質文明に追随するものである。
 下部構造は生産、再生産(技術、労働形態、結婚の習慣など)、基幹部は流通(政治経済の制度)、上部構造はmeaning-makingの場であり文明を理論づける。
 生き延びるのにいちばん重要なものは人々の生存を確実にする下部構造であり、上部構造が社会の変化を左右することはない。
 Marvin Harris の指摘どおり、存在の最たる問題は生き延びること、つまり、置かれた環境の中で生計の途をみつけること。社会の変化の原因は常に人口増大と食糧危機なので、下部構造から基幹部と変わってゆき、最後に行っていることの正当性を理論づけるために、上部構造を変える。
 生態環境における危機、人口増加と食糧危機のために、1)生存の仕方を変える。2)労働条件を変える。3)エネルギーの利用法を変える。これらの上位で上部構造自体を変えることもある。
 下部構造を見れば、その社会の形態を知ることができる。園芸社会に危機が訪れ、よそに移動もできないとすると、鋤の発明が救いとなる(下部構造)が、首長制も首長による再分配という方法も規模が大きすぎる農耕社会には適用できない。また内在的なスピリッツに合理性、計算、有益性などはそぐわない。そこで遠い神聖なもの、自然も社会も脱神聖化したとすれば、不安の種は除去される。
 ブッダ、ソクラテスは上層部での意識改革を行ったが、社会全体には波及しなかった。宗教が根付くことができたのは手近に生態的な危機があったからであり、そうした危機に際し、下部構造、基幹部で変化を遂げると、上部構造がそれを正当化するという構図は変わらない。そこでアース・スピリッツからスカイ・ゴッズへの推移は進化の趨勢といえる。
 個人の心理は適応の過程をどう受け止めるか。社会が変革を遂げる際、個人の考え、感情、意欲などはどのような役割を果たすのか。個人の心理と3つの構造の関係を考えると、それは上部構造に由来するが、唯物論の立場からすると、他の2構造も同じように影響をおよぼす。
 といって、個人の内面世界に独創性がないということではないが、それはあくまでも社会の上部構造に倣ったものでしかない(たとえば、園芸社会では遠近法など思いもよらず、職人が遠近法を使ったデザインを描くことはない。つまり、下部構造、基幹部ともに豊かになった社会で余暇がある階級が出現、美術に専念できるようになってはじめて現れた)。園芸社会の上部構造の内容は充実からはほど遠かったが、そこにあるものなら自由に利用することはできた。

■第四章 魔術的な/宗教的な体験

  石器時代から鉄器時代への葛藤

1.集中したPsyche vs拡散したpsyche
 各カーストで権力、地位など何種類もある階層社会の場合、最終的には、アニミスムに、多神教に、それとも一神教に向かうのか。
 神聖な存在は具体的なものか抽象的なものか・内在的か超越的か。
 神話はメタファーなのか、文字通りにとっていいのか。
 仏教、ヒンズー教、ユダヤ教などにはアニミスティックな/多神教的な要因が多々みられ、また、仏教、ヒンズー教、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム、道教、儒教と魔術のあいだには相違点よりも類似点のほうが多い。
 1.魔術は平等社会のもので、宗教は階層社会のもの。
 2.原始魔術社会では心・psycheを自然のうちにある客観的なものととらえ、宗教は個人の所有物ととらえる。
 3.原始魔術社会の人々は心の“魂”サイドを、宗教社会では“精神”サイドを用いる。
 4.原始魔術社会は“集団主義”、宗教の社会は“個人主義”
 5.推論する際、原始魔術は抽象的ではなく“認知以前”の状態であり、宗教になると抽象度が高まり“推定”の状態に該当する。
[訳註:著者は人間の心理に関しては、のちに紹介するようにピアジェおよびヴィゴツキに依拠しているようだが、“推定”の概念はヘーゲル、レーニン、ヴィゴツキの理解を継承しているかも知れない。ヴィゴツキは、『思考と言語』上(柴田義松訳、明治図書、1962、p. 102-103)でつぎのようなレーニン『哲学ノート』の引用をおこなっている。「人間の合目的的活動は一つの“推論”〈Schluss〉である、主体〈人間〉は論理学上の“推論”の“式”において何かの“項”の役割を演ずるなどといって、ヘーゲルは人間の合目的的活動を論理学のカテゴリーに納めようと苦心している――ときには、苦しみあえいでさえいる。が、これは誇張でもなければ、遊戯でもない。ここには、非常に深遠な、まったく唯物論的な内容がある。ただ事を転倒する必要がある。すなわち、人間の実践活動は、幾十億回となく人間の意識をさまざまな(太字は引用者)論理学の式の反復にもっていったに相違ない。そのために、これらの式は公理という意義を獲得することができた(・・・)の(・)で(・)ある(・・)。」「……人間の実践は何十億回となく反復されるからこそ〈そしてただ〉それ故にのみ、偏見の固定性と公理的性質とをもつのである」(『哲学ノート』理論社版、p. 92, p..116より)。このヘーゲル―レーニンの理解は、現代でもなかなか興味深い射程をもっているかもしれない。]
 現代的な感覚でいうと;心psycheには感情、夢、衝動、空想、記憶などが含まれる。自然界に拡散されてはおらず、個々の人間のうちに存在する。
 魔術では心は自然界のいたるところに拡散し、感情、夢、衝動、空想、記憶なども個人から発生したものではない。部族社会では“夢をみる”のではなく、“夢がやってくる”。女性が不倫をした場合は“悪魔がああいうことをさせた”。かつては天候のような外的なものが感情と密な繋がりを持っていた。オーストラリアのアボリジニは空気を単なる自然物とは思わず、目に見える万物に生命を吹き込む力とみなした。風と人間の息の類縁性。
 こうした魔術的思考に対し、宗教になると、psyche は自然からは切り離される。劇化によって現実を変えることはない、なぜなら、神聖なものは“かなた” にあるのだから。

【図4-1】魔術と宗教

原始魔術
平等
旧石器時代/新石器時代
psyche は自然のなかに
拡散

想像力、直感、感情、夢、
記憶、衝動、感覚
二次魔術
身分・階層
新石器/青銅器時代
psyche は自然のなかに
拡散

幻想

宗教
階層
鉄器時代
個人のうちに集中

精神
抽象的な推論、分析、自省
意志力、欲望の抑制
個人の責任;
他集団、自然の諸力、
スピリッツ
外部への個人の責任


内面での個人の責任、良心


内在的な神聖なもの
事物と意識は相互依存
崇拝はない;兄弟の比喩
世界は即席で創られる
動物は人間と同等/上位
内在的な神聖なもの




超越的な神聖なもの
意識は事物に依存しない
崇拝する;父なる神の比喩
世界は合目的で計画的に創生
人間のほうが動物より上位
諸力
(マナ)

儀式
集団で

死後の生命はない
瞬間的な時間
神聖な場は拡散されている


イメージ
(祖先の霊、トーテム、
英雄、神々、女神たち)
祭儀
集団が神聖なものとともに

上層部のみ死後の生命
周期的な時間
神聖な場とは差異がある
自然では占星術

抽象
(ゴッド)

聖史劇
集団に創造力はなく
神聖なものが現実を創造
すべての人々に死後の生命
直線的な時間
神聖な場は分離されている
世俗の空間とはべつに教会
施設

 2.心の魂としての機能と精神としての機能
 魔術でpsycheは自然を含む世界全体に拡散、魂soul様、想像、直感、感情、衝動、感覚、夢想、空想、空間内の移動を含む。
 宗教では主観的、精神spirit様、自己分析、意志、抽象的な推論などが含まれる。
 アクシアル・アイアン・エイジのザラストラ、ヘブライの預言者たち、ブッダ、孔子、ギリシアの哲学者たちはいずれも、動物と共有する下位の部分だったため、psycheの魂の部分を疑問視していた。

3.意識の原始魔術的な状態
 オーストラリアのアボリジニにとって“ドリームタイム”は世界が完全に目覚める以前からずっと続いてきたもの。目覚めた世界ではドリームタイムがもろもろに影響する。
 世界が生まれる前、祖先たちは物や場所に名前を与えながら地上を歩き、まだ目覚めていない“スピリットの子供たち”をそこここに残していった。子供たちは大人のセックスによって“目覚めさせられる”。こうした“夢の道”と、歩きながら謳ったは口承で伝えられる。トーテムの動物たちのすむ場所には病を癒す力がある。
 こうした場所は寺院や教会のように永続的に力があるわけではなく、聖なる行為・魔術の儀式を行わないと効力を失う。定期的に儀式的な旅をしたり、祖先の夢の道を“歩き回る”ことから、原始魔術は“地上”の魔術と呼ばれる。
 土地に結びついた社会。いくつもの部族が人間は地下から地上に生まれてくると信じている(葦や木が生えるように)。こうした部族のもっとも重要な儀式は“子宮”と呼ばれる地下の建造物の中で執り行われる。そこで死も終焉ではなく土地への変身という意味を持つ。
 原始魔術社会の意識では、感覚や想像力を高揚させる集団の儀式によって、スピリッツに直接働きかけることができると信じていた。psycheが自然のうちに拡散されているため。
 部族の意識、マナとスピリッツとの交感がいつでも、どこでも成立することはないが、成立しさえすれば自然界で魔法を行うことができる。その準備として集団による劇化が登場。聖なる空間。魔術ではシャーマンのほかにマナの操作をできる者はいない。
 魔術;呪文によってマナに望みを成就させる力を与える。Psycheと全自然とはつながりがあるのでこれが可能。スピリッツは部族の兄弟姉妹のようなもの。平等社会なのでヒエラルキーの意識はない。時間は同時的、儀式を行うと即時に叶えられることになっているが、叶えられなかった場合にも、邪魔をする他種族の黒魔術のせい/儀式のやり方が悪かった。宗教;望むことを祈る。祈りで神に誓願し、神を崇拝する。

4.二次魔術Secondary magicの意識の状態
 平等な狩猟・採取社会、園芸社会では社会管理はたやすい(だれもが基本的な資源を好きにできたから)が、使えるのは簡単な石器で思考には無縁なため、自然は意のままにはならない。ところが、人々は自然も神聖な世界もたやすく支配できると信じている。
 Rank、階層のある複雑化した園芸社会と農耕社会では社会と自然の関係は反対になる。灌漑設備を持ち、大型の家畜を労力として使う社会はよりよく自然を管理できる。しかし社会内での中・下層の人々は力を失っていく。
 ここまでは“魔術的”状態の意識は“原始魔術的primitive magical”状態の意識に等しい。
 原始魔術的な意識の状態は狩猟・採取社会、園芸社会にみられるものだが、複雑化した園芸社会、農耕によるクニでは二次魔術・secondary magicに変わる;
・原始魔術ではしぐさによる劇化、神話はそのあと。secondary magicではまず神話でしぐさは神話を補う。
・原始魔術では人々はスピリッツと同じように現実を再創造できると信じている。二次魔術secondary magicでは神話の登場人物を主役に、助演者として一緒に現実を創造する。
・原始魔術では自然の諸力は人間よりも強く、スピリッツの助けを得て諸力を操作する。二次魔術secondary magicでは諸力よりも人間のほうが強力。
 新石器時代後期、青銅器時代の二次魔術におけるトーテム、祖先の霊、神々といった神話的な存在はスピリッツから鉄器時代の神への過渡期のもの、つまり、スピリッツのように人間に依存してはいないが、天空の神ほどの自立した存在ではない。二次魔術の大がかりな偶像は原始魔術には例のないもので、宗教では忌み嫌われる。
 原始魔術;儀式・ritual 、能動的。
 二次魔術secondary magic;祭儀ceremony、人間には現実を変えるほどの力はない。周期的な時間:女神が動物である男神(パン)を生み育て、その神と性交、作物の実る秋にいけにえとし、地球の子宮である地下に葬り、春になると、その男神は再生する。
 宗教;司祭の司る聖史劇pageant、人間は単なる聴衆。受身。
 作物を植える社会の二次魔術での時間は即時的ではなく周期的
 青銅器時代の女神は男神を生み、交合し、その後犠牲とする。パンでもあるこの男神は秋(収穫期)に犠牲に供され、大地の子宮に埋められ、翌年の春には甦る。
 後代、エジプト、シュメール、バビロン、インドなど農耕国の王は、時代とともに主神となった男神の領域・天空と死の領域である地下、すべてを仲介する者となる。神話にならって行動する、王の行動にならって神話ができるわけではない。

5.宗教の意識の状態
 BC600-BC400は“アクシアル・アイアン・エイジ”;ブッダ、孔子、老子、ザラストラ、アモス、イザヤ、ソクラテス。このほか、政治面での革新と“個人主義的”自己の誕生。
 一神教;エジプトでは太陽神(BC1,400)、ヘブライ人のヤハウェ(BC900-BC600)、ペルシャではアフラ・マズダー、さらにブッダ、孔子、ギリシアの自然哲学者。
 魔術から宗教への推移の原因となったものは、他民族の侵略、自然災害、人口増大、食糧危機、帝国、鉄器、貨幣、アルファベットなど。
 拡散したpsycheから集中したpsycheへ、psycheの魂様から精神様へ。物質文明の変遷。
 BC1,000-BC500にpsycheの魂部分と精神部分;
・Psycheは集中した主観的なもの、個人に属し、自然にはない。スピリッツは重要性を失う。
・魂部分と精神部分の価値について、魂部分は疑問視されるようになり、精神部分がクロースアップされる。ここから神へ。
・小さな個人のスピリチュアルな部分と天空にある最高の存在との絆ができる。
・宗教的な個人は自然に参加するというよりも自然を支配。
魔術の世界創造神話では聖なるものの結合から世界が生まれる。これに反し、ユダヤ・キリスト教では天空の神が自らの計画に従って言葉から世界創造。すべて抽象的な思考から。
 宗教;まず意識があって事物はそのあと(魔術では同時的)。超越的で神は自然より巨大。時代は階層社会なので一般の人々はほぼ除外され、さらに司祭階級によって宗教面でも受身一方。psycheは個人のものなので、すべての責任は個人が担う。“悪魔に強制された”とはもはや言えず、善き来世に備えて努力しなければならない。隣人愛。オルフェウス教や仏教では原罪とも呼べるこの世への“落下”を購うために輪廻を経た後、天上に帰る。自由意志が現れ、おかげで個人の創造性が開放され、共同体・自然とは袂を分かち、善きことができるようになる。個人と神のあいだに交わされる契約。個人主義的自己。
 魔術;自然は内在的なもの。部族社会では個人の魂というものはなく、自己改革もない。地上の生活に満足しきっている。死ぬとその人間は集団の魂の一部となる。地下にくだり、その後再生する(secondary magic、農耕社会のクニグニ)。悪魔という概念は存在しない。共同体と呼べるものは自然と社会。自己は集団主義的な自己。
 時間;secondary magicの時代では植物の再生に則って周期的とみなされる。アクシアル・アイアン・エイジのヘブライ民族の場合、時間は直線的。出来事は一回性で逆行はできない。そして最後の審判。
 対になるもの;魔術社会では社会と自然(個人は社会のうちに埋没)。大宗教とともに個人と神。さらに個人の自由意志が前面にでる。自己というものに大きな違いができる。集団的自己と個人的自己。他部族との交流。

6.普遍的宗教への商業の影響
 余剰生産物が神聖なものを社会内部から超越的な世界に移行させ、自然と社会の有機的結合は失われる。大宗教にはクニの市場と帝国建設。
 といってアクシアル・アイアン・エイジに増大する商業のせいだけで大宗教が勃興したとはいえないが、アテネの国内商業の発展がエジプト、メソポタミアと相互に刺激を与え合った結果とはいえる。
 商業と魔術は共存できないため、ギリシアではBC500以降、神聖なものは彼岸的になっていく。
 青銅器時代の農耕・部族社会には商取引は存在せず、生産したものは取引するのではなく消費する。社会、個人、自然が分かちがたく結びつき、聖なるものを呼びおろすときも集団で行うほどの魔術社会では、自然から離れ、物々交換を損なう恐れのある計算づくの商取引は成立しがたい。

【図4-2】普遍的宗教への社会内取引の影響

アクシアル・アイアン・エイジ以前の魔術 アクシアル・アイアン・エイジの宗教/哲学
個人、社会、自然は神聖なもののうちに融合

神聖なものは自然、社会に内在する
社会、自然ともに質的/有機的な関係に
管理される
儀式
世俗文明は小ぶり
神権政治
神の声
三者はそれぞれ別個、超越的な世界とも分
離している
神聖なものははじき出され超越的になる
社会、自然ともに量的/契約関係に
管理される
権利
社会内に育つ世俗文明、商業、哲学、美術
交換は家族内に縮小
世俗法

 しかし、流通は加速度がついて増大、商業の段階に入る。魔術的社会ではタブーだった商取引は自然から距離をとり彼岸を志向する宗教社会では歓迎される。
 商業と世俗化が進むと、魔術ひいては血族関係を支持していた集団の意義が薄れ、個人が台頭する。神権の王や首長に共和制が取って代わり、神々の声を聞くのではなく、契約に基づき世俗の法に則って個人の権利を保証する。

【図4-3】意識の聖なる状態の定義
原始魔術の意識の状態
 魔術は旧石器時代と新石器時代初期の平等社会の神聖な体系。自然はそこに内在する複数の諸力と存在が結びついたものと仮定され、集団による劇や呪文で即座にこれらを思うままに操作できると信じられた。それは聖と俗の混じりあった空間で、超越的な神もその場もない。創世神話は物質的な構成を持ち、目的も計画もない。魔術社会では意識と事物は相互依存的。儀式によって直接、将来を変えるとされ、仲介者はいない。象徴ではなくすべて文字どおりにとられる。Psycheは自然界に拡散され、自己の責任はほとんどないので、死後にしても集団の魂があるだけ。
宗教の意識の状態
 アクシアル・アイアン・エイジの階層社会で生まれた個人と超越的なかなたの抽象的な神のあいだの関係。祈りによって人間の願いが叶うこともあるにしても、神を強制することはできない。Psycheの精神面;抽象的推論、自省、改善のための意志力、昇華。人間と自然、神のあいだの不均衡な関係。宗教的な個人は一神教の神とは受身の関係にあり、属する物質的な世俗世界では能動的。聖なる場は分離されている。抽象的な創世神話は目的を持つ。意識は完全に自立している。Psycheは個人に集中しているため、自己責任が生じ、死後の不滅の生命という考え方が現れる。儀式も劇も将来を左右することはないので、観客としてみる聖史劇が登場。

地と空

■第五章 場所、空間、感覚

  古代世界における物理的な場所と感覚の比率

 石器時代から青銅器時代の魔術社会では場所が優先されたが、神の勃興とともに超越的な空間へと比重が移っていく。
 どの社会でも場所と空間は区別され、五感のいずれかに重きが置かれる。
 鉄器時代になるまで場所、そして遠方を対象とした感覚に対し身近なものへの感覚を優先した。
 アクシアル・アイアン・エイジの宗教の社会では場所は凋落し、遠方を対象とした感覚が優先される。

1・場所vs空間。心理的な相違
 安定、安全、親近性vs変化、冒険、未知の探求。
 場所;明確、具体的、居心地よく温かい。過去現在。満足と不活発。心の深さ
 空間;拡散、希薄、拡張するもので冷ややか。未来。冒険と危険。心の幅
 場所と空間;周期的に訪れる者にとって、そこは場所だが、最初で最後に訪れる観光客にとってそこは空間となる。

【図5-1】場所と空間の心理的な両極性

場所 空間
主観的
心理的な対象を持つ(記憶、
イメージ、感情) 特別の場

どこか
有限だが明快な認識
名詞
矮小
暖かい
安全(養育、保護)閉所恐怖症
到着
生産
現実(どこにいるか)
なじみがある
制御できる
恒常的
閉じられた;過去、現在、休息
満足
神聖な
限られた・有限
充満・固体
拘束された
ここ

近場の感覚
(触覚、味覚、嗅覚、聴覚)
具体的
原初の深さ
十分に浸透する
強烈に感情的
客観的
心理的対象はない
道筋;場所のあいだ
超越的;未知の地域(拡散された)
いたるところ

動詞
広大
寒い
好機(冒険/危険;譫妄)
“宇宙に出る”
工程
夢(どこに行くか)
未知
制御できない
互換性
開かれた;未来、行動
希望/不安
世俗
広大・無限
空白・希薄
中立(無関心)
“ここ”がない
量・同質
遠い感覚
(視覚)
抽象的
表面:広さ、高さ
並置される
さほど感情的ではない

2.感覚の比率:近場の感覚と遠距離用の感覚
 近い:嗅覚、触覚、味覚、聴覚
 遠い:視覚
 乳幼児期には視覚は他の四感に劣る。成人でも職業により主として用いる感覚が異なる;頭脳労働者は視覚、労働者は他の感覚。視覚は抽象的思考に結びつく。
 場所は近場の親しいもの、つまり嗅覚、触覚、味覚、聴覚との関連が密。

3.魔術社会での場所の優勢
 魔術的部族社会、農耕クニグニは安定を好み、聖なるものは土地に密着し、周期的な時間の流れも緩やか。
 アクシアル・アイアン・エイジの一神教帝国はコスモポリタン、時間は直線的に流れ、土地との関係は希薄、場所を空間的に組織する。
 狩猟・採取社会で心(psyche)は人間の手の加わった場所に拡散され、場所はいちいちトーテム、祖先などと関係づけられる。荒野もアボリジニにとっては荒野ではなく“子宮”。そして超越的な空間は彼らには存在しない。
 アクシアル・アイアン・エイジ以前のギリシアではどこの場所にも近辺にまで勢力を持つ聖なるものが存在すると信じられていた。天空は占星術、さらに神話、ミノタウロスなど。
 しかし、アクシアル・アイアン・エイジ以後は人間が投射する前には場所に特性はない。つまり、場所は単なる場所にすぎない。
 個人主義者であるプラトンは非常に抽象化された哲学を説く。宇宙創生の理論は魔術的思考の好例。コーラChoraは万物の乳母であり養う者。原初、Choraの含んでいるものはMorphai、dynameis、pathe。四大であるmorphaiが原動力を受け活動的になり、その場所にいる存在の感情(パトス)に働きかける。こうして場は揺さぶられ動き、やがてデミウルゴスが宇宙を創生する。テマイオスでは、物理的な場所は、経験が生まれ、またその経験を培う基盤でもある。乳母(その場所)が乳児(経験)に乳を与え、膝に乗せて揺さぶるイメージ。場所は匿名の場ではなく、固有の物理的、心理的な特性を有し、人間はそれに順応しなければならない。
 アクシアル・アイアン・エイジ以前の魔術社会では、場所の次元はそこに関係した者の体の向かう方向と分かちがたく結ばれている。どのような場所も人々が経験した心理的な“上下、左右、前後”の累積を持つ。“上下”から連想するものは住んでいる場所。上は優位、光、純粋、楽観。下は劣等、闇、不純、悲観など。

4.宗教における場所の凋落:社会と自然の空間化
 BC1,000頃の大宗教の勃興に伴って、個人、社会、自然の関係が大幅に変わる。
 psycheは個人の中に集中して置かれ、自然と社会は世俗化され、神聖なものはよりグローバルに、より抽象的になる。
 農業社会のクニグニでは:文明の外にある他の社会を含む超越的空間は“荒野”になり、
文明の内の超越的領域が拡大。場所のpsycheは集中し、寺院や特定の場に結晶する。
 アクシアル・アイアン・エイジに大宗教の理念は帝国建設を促す。スカイ・ゴッズの名において自然は手なずけられ、他社会も“家族”に組み込まれなければならない。社会の中に聖なる場所はあるが、商業、科学のための場が増えたため、神聖な場所まで世俗的空間になってしまう。一神教が現れたとき、天空の神に場はなかったplaceless。そこで一神教の特徴はどこにでもあり、どこにもない普遍性ということになる。血族に関係ない局地的な大きな兄弟姉妹の団体。
 ギリシアの合理主義者ともども、将来に重点を置いた直線的な時間概念が現れる。過去との絆が断ち切られると動きやすくなり、布教と商業活動に有利。
 マクルーハンが指摘したように、アルファベットが人々を土地から解き放つ。口承の時代には土着が必要だったが、文字が距離を制覇し、支配の中枢が変化する。新石器時代、青銅器時代には“宿命fate”という観念が大半を占めていたが、“運命destiny”に変わる。
 プラトンとアリストテレス;プラトンは宇宙は最初から存在するものとし、アリストテレスは物理的に空間と定義した。
 アクシアル・アイアン・エイジに空間のほうが場所より優勢になったが:
・天空の神は場所と同一視できない。
・世俗化された商業社会で商品は流動する。
・自然も世俗化される。

5.魔術と宗教は異なる感覚を用いる
・石器時代、青銅器時代の魔術社会では視覚のほか、聴覚、触覚、味覚、嗅覚にも重きが置かれた。
・スカイ・ゴッズの宗教では視覚のみ、他の感覚は疑問視される。
・青銅器時代、鉄器時代になると、技術、特にアルファベットが五感の重要性を決める。
・このほか、クニの出現以前には生態学的なもの(開けた眺望、高度)と気候も感覚の重要度に影響を及ぼした。
 古代人にとって言葉とそれが表す物体とは不可分の関係があり、そこで言葉には魔力があることになった。物体の延長が言葉。
 人間を動物から際立たせるものは推論・理解できること。プラトンやパルメニデスは間隔と理性を分離させた。感覚は動物と共有するもので下位にある。プラトンは人間を三種類に分ける;黄金、銀、銅=頭脳、心情、口腹=理性、勇気、感覚。
   アリストテレスは感覚にも上下があるとし、視覚を最高位においた。

6.魔術社会での聴覚、触覚、味覚、嗅覚の優先
 視覚ではなく嗅覚が第一という部族社会もあり、このほか、世界は光ではなく音で創造されたと信じる部族もいる。パプア・ニューギニアのある部族では、だれかがずるいと言うとき“彼の鼻を知っている”と表現する。その部族にとっては鼻が心の窓。さらに、病気を“嗅ぎだす”。臭いを“聞く”。いいニュースだと“いい匂い”。
 マレーシアでは太陽や月も含め身辺のすべてをにおいで分類する。
 さらにモロッコで沈黙の儀式に用いられる7種類のお香など。
 このほか、世界は光ではなく音で創生されたと信じる部族もいる(ブラジルなど)。
 ヒンドゥ教世界では神々に供物。どの神も固有の味と関連づけられる。

7.砂漠、感覚に訴えるものの欠乏とアクシアル・アイアン・エイジの天空の神の宗教
 近場の感覚は場所に、距離の関係した感覚は空間に関連する。密林に住む狩猟民族には視覚は二の次、視界が悪すぎる。
James DeMeoは彼が“サハラシアSaharasia”と呼ぶ世界中の砂漠に焦点を当 て、一神教を含む家父長制の出現と砂漠は関連づけられるとした(サハラシアは北アフリカから近東を通過、中央アジアまで連なる帯状の砂漠)。DeMeoによると、BC6,000ころサハラシアは湿気が多かったが、やがて乾燥し始め、BC5,000-BC4,000には旱魃、飢饉、餓死が起こり、移住が始まった。
 極端な寒暖、予測のつかない雨量、嵐、砂嵐、植物はほぼ皆無、これほど劣悪な環境のもとで一神教は興った。生態系、感覚、文化的な風習などと神聖なもののあいだに関連性はあるのか? こうした地域に暮らす人々は緑豊かな地域の住人と異なるのか?
 Wilhelm Reichの分析;乾燥しきった環境では植物は分厚くトゲトゲした外皮を発達させ、生活様式も他とは異なっている。それと同様に、砂漠で暮らす者は心の中も荒涼としている。
 DeMeoの分析;乳幼児期に遊牧民のような育てられ方(一週間全身をくるみこんだ状態)をすると(五感のどれかが奪われた状態)成人した後にトラウマが残る。他者との触れ合いがうまくできない。
 砂漠という環境はスピリッツからスカイ・ゴッドへの推移にどの程度影響したのか。一神教の成立にどれほど関与したものか。Schneidauによると、砂漠は地上でもっとも超越的な場、無菌状態、火に純化された地域ということになる。
 砂漠の空虚さはどこかによりよいところ、超越的な場所があるに違いないと信じさせる疎外感のゆえに価値を持つ。
 Paul Shepardの分析;砂漠では感覚を剥奪される、あまりの熱気、あまりに広大すぎる空、あまりにわずかな生命、ないに等しい水、というような全面的に極端な場所。また、砂漠は一神教に含まれる二元論を生み出したとも考えられる;くっきりした輪郭、地平線、光と闇、空と地、生と死。
 とはいえ、一神教の興る数千年前から遊牧民は砂漠で暮らしていたし、興った一神教は砂漠以外の土地にも広まっていった。
 ユダヤ教の興った近東の砂漠。家父長制と砂漠の気候には関連があるという意見もある。

8.アクシアル・アイアン・エイジにおける天空の神の宗教の視覚と抽象化の価値
 マクルーハンの指摘どおり、科学用具は感覚の延長となる。視覚とアルファベット。目で読むのは聞くのよりも速いし、また記憶という重荷から開放された精神は抽象的な思考へ。アルファベットは思考を今、ここから開放。それ以前の部族・農耕社会では思考のために思考するということはなかった。

Tuanによると;
1) 視覚と思考は距離を助長する。
視覚は遠方にある事物を識別し明確にする。多くの事物が同時に見え、それらの関係を確実に把握できる。音やにおいはどこから始まりどこで終わるかがはっきりしない。部族社会の儀式で個人は古い自己から新しい自己に変身するわけだが、その際、新参者は視界から隠される。死から生への移動も隠され、生から死への推移も隠される(腐敗を隠すために棺、妊娠した女性も人目を避ける)。
 においや音は十全に経験できるが視覚は表面を見るだけ。視覚は客観的に全体を見るが、内容も主観も関係ない。
2)視覚と思考は明快。
触覚も事物の区別には役立つが、見ることで事物の関係を把握できる。心の働きに類似。
3)視覚と思考は分割し分析する。
 魔術と宗教では使われる五感が異なる。魔術的な自然のうちではありえないことが起こることになっており、その際限度も正確さもなかった。視覚によって輪郭は正確になる。
4)視覚と思考は主体的。においも音もむこうからやってくる。耳も鼻も閉じることはできないが、目は違う。
5)視覚と思考を統一したものが言語に反映される。英語で視覚に関係した言葉は思考にも関連性がある。
 場所と身近な感覚は原始魔術と二次魔術社会に、空間と距離のための感覚である視覚は天空の神の宗教に。

【図5-2】魔術と天空の神の宗教における空間、場所、感覚

部族社会と農耕クニ(石器・青銅器時代)
魔術/局地的な宗教
(地域は雑多)
神聖な場が世俗を支配
人間に関係なく場はpsycheを持つ
場における演出choreography
身体の方向と場所、空間は不可分
(上下、左右)
近場の感覚;触覚、味覚、臭覚、聴覚
商業帝国(アクシアル・アイアン・エイジ)
超越的/普遍的宗教
(地域は同質)
世俗の領域が増大
場は中立、空虚、中身を入れる容器
地理geography
空間は身体と分離される
(コンパスの方向;東西南北)
遠距離用の感覚;視覚

狩猟・採取/園芸
場所は拡散、園芸地に集中

超越的な場所はほぼ皆無
社会は自然の延長
野生の動物と融合
生物物理的な自然は子宮
荒野はない



神聖なものが場所に拡散
農耕クニ
場所が支配
建物、耕作地に集中
超越的な場所は荒野に
社会と自然は区画
家畜と融合
生物物理的な自然は荒野
町と耕作地が子宮

社会は場所である
宿命:己の場所を知る
神聖なものが場所に集中
商業帝国
場所の凋落

超越的な場所が拡大、荒野に
社会と自然は画然と別れる
動物とは距離をとる
生物物理的な自然は荒野
町と耕作地が子宮
自然と他社会が荒野に
社会はより空間に近づく
運命:新たな空間に行く
神聖なものは場がない
スウェーデンの彩画石版

■第六章 集団主義的自己から個人主義的自己へ

  石器時代から鉄器時代への自己

1.生物学的な有機体から社会的な自己へ  魔術社会での一人の個人になる以前の自己(集団主義的自己)vs宗教社会での個人を超えた自己(個人主義的自己)。
 自己をもつ;生来のものではなく時間をかけて建設するもの。集団主義的自己と個人主義的自己は非常に異なるが、完全な人間になるために社会的自己を作らなければならない。 赤ん坊には社会的自己はない。他人は眼中になく、世界は自分を中心に回っているという自己愛的なもの。傲慢だが、すべてを他者に依存するため不安でいっぱい。

【図6-1】社会的自己の形成
1. 外界から自分の内面世界を識別する。
2. 言語を学ぶ。
3. 道具を有効に操作する。
4. 生物としての衝動を抑制・相対化する。
5. 遊びを通して自分の役割を引き受け、行動様式を学習する。
6. 社会の諸記号を解読;信条、道徳、価値観、習慣。
7. 他者の地位や資格の学習;役割、影響力、特権、名声、権力。
8. 抽象的思考を学習;
・対象や状況から本質的なものを抽出する。
・過去の経験への関連性を熟考する。
・主要な属性を一般化する。
9. 他者の役割を習得する。
10. 自らの役割を習得する。
11. 協調することを学び、共力作用を作り出す。
12. 日々の状況に役割を適用する。
13. 問題のある状況に役割を適用する。
14. 将来を視野にいれ、過去を評価する。“伝記風の自己”を陶冶する。
15. 目標を定め、結果を予想しながら将来を計画する。
16. 自己の利益、社会的自己の利益の兼ね合いを考える;生産的な“I-Me”
17. 役割と状況を変化させる。

 子供の学習の経緯になぞらえる。子供が生物的な有機体から社会的自己へ発達する途上学ぶ多くのスキルのうち、最初期のものは3歳児が身体を周囲世界から分かつこと。
 言語を学ぶことによってシンボルの世界、過去と未来が開けるだけでなく、上部構造であるその社会の信条、道徳なども理解するようになる。さらに道具を使って直接の環境を有効に操作していく。生き物としての満足の先送りも学んでいく。
 言語を習得し上部構造を理解した子供は社会の中での役割を学ぶ。
 役割、規則、状況は動きのあるもの、決まりきったものを覚えたとたん、状況は変わり、すると役割と規則も変わる。
 遊びは子供に役割を作り、その役割を引き受けること、規則について教える。“ふりをする”ゲームは想像力を養う。野球のように協力して行うゲームは自己鍛錬になる。
 現実に役割、規則、状況を学んでも、一人の人間に多くの役割があることはわからない。さらに現在ではない歴史上の人物の役割、規則、状況についても時間をかけて学んでいく。
 George Herbert Mead;一般化された他者generalized otherの観念の発達とともに伝記的な自己というものも発達。自己中心的な自己と違って伝記的な自己は過去、未来が自分のものと知っている。個人的経験ができるようになるが、これは他人には不透明。生物としての満足を先送りするためには、抽象的思考能力・熟考力、満足できる未来を思い描く想像力が必要とされ、子供はこれらの能力を開花させていく。
 事物に名前をつけることができる;名前は経験を二極化する、つまり一方に一般的な社会、他方に個人のものである特定の個々の発達。他者のものに対して、これはわたしの夢、わたしの思い出、わたしの計画、といったように。
 両者をマスターすると、むずかしい状況(たとえば、パーティーでけんかが始まるなど)でもうまくさばけるようになる。Meadは社会的になってはじめて、人は自立し自己を確立できるとしている。
 一般化された他者と伝記的な自己があるのを認識したため、内心でのI―Me(I(個人的な利益)とMe(社会の一員としての自己の利益))の相克が度を増す。IとMeの葛藤の例:パーティに招かれているが、自分としては静かな一晩を過ごしたい。疲れているから(I)、とはいえ、ホストを怒らせたくない(Me)。そこで妥協案として行くだけは行って、早めに帰ってこよう。だが、やはり相手は気分を害するのでは?(Me)云々。ただし、ここでの“I”は幼児の自己愛的なものでもフロイトのidでもない。
   社会的な自己は抽象的な思考ができる。これには3段階あり、まず子供は対象と状況から本質的な特性を識別して取り出す。つぎに本質的な特性が過去の経験にどう結び付けられるかを熟考する。最後に将来のためにそれを一般化する。
 抽象的思考力が開花しきっていないため、半ばしか社会的自己のない子供は現在に閉じ込められているが、ピアジェの段階を辿って発達していく。

2.個人主義者vs集団主義者
 部族社会である狩猟・漁擽社会、園芸社会(複雑化した園芸社会も含む)、遊牧社会は農耕社会とは異なる自己を持つ。アクシアル・アイアン・エイジ以前の人々はみな集団主義者。アクシアル・アイアン・エイジに種類の違う自己が現れる;個人主義者。二種類の自己はスピリッツからゴッドへの変遷にどう関係するか。
 それぞれの自己と社会の関係性;自分の生活を管理する度合い、喜んで/しぶしぶ役割を引き受ける、どこまで社会と同一化しているか、内面の葛藤をどう処理するか、個人の利益と社会の利益をどう調整するか、よそ者はどう受け入れるか、家庭生活、子供の育て方、判断の仕方など、集団主義と個人主義ではかなり異なる。
 個人主義;個人は社会から分離しており、外の世界よりも内心のほうが自己の源泉であり、個人が集団の前にくる。
 集団主義;個人は社会、自然と融合しており、個人の体験よりも客観的行為のほうが意味を持ち、集団が個人の前にくる。
 集団主義には〈水平な〉と〈垂直な〉の二種類があり、前者は平等な部族社会だが、後者は階層社会。個人主義者は階層社会にはじめて現れるので、“垂直な個人主義者”ともいえる。

【図6-2】集団主義者vs個人主義者

集団主義
横の集団主義(平等)
狩猟・採取、園芸
農耕クニ、
複雑化した園芸と遊牧民は両者が共存
個人主義
縦の個人主義(階層)
アクシアル・アイアン・エイジの上層部
商業、農耕社会

1.自己と社会/自然は相互依存的
有機的、必須なものとして経験される



・外部に支配の中枢
“起こったことは運、宿命、神々の意思”
・役割から分離されない自己
深い自己はなく、役割のみ
・自己は社会/自然をまねようとする
日常の状況にいっそう協調的
新たな役割になじむのも状況を変えるのも苦手。自然を模倣する
1.自己は独立している
個人、社会、自然の関係は断ち切られた後、契約によって再組織される。
新たな絆は個人と超越的なもののあいだに結ばれる
・内部に支配の中枢
“起こったことは自分の意思”自由意志
・役割には無関係な深い自己
自然、社会を超えて“真実の”自己
・自己は社会/自然を支配しようとする
日常の状況に順応しようとはしない
新たな役割に、また状況の変化にも適応
自然を変えようとする
2. 伝記的自己は集団の過去と未来を持つ 2. 伝記的自己は集団の宿命とは分かたれた個人の過去と未来を持つ。
3.周囲に同調する自己認識
役割に抵触する自己認識は未開発
反抗はほとんどない
3.周囲に異議を唱える自己認識
役割に抵触する自己認識が一般的
利他主義、他律
4.外面的自意識
行動と他者への影響が人格の中枢
4.内面的自意識
思考、意図、感情といった主観的世界が人格の中枢
5.生物としての欲求は劇化で表現される 5.生物としての欲求は抑圧される
6.内面の葛藤はスピリッツの世界に投影
デーモンに取りつかれるor魔法の犠牲 神聖なものが怒る、といったスケープゴート
6. 内面の葛藤は内部で処理されるか
(ソクラテス、ブッダ)、個人と集団のあいだの緊張関係として受け入れられる
7.I-MeではMe。個人は家族や氏族のうちに自己の利益を求める 7.I-MeではI。よりオープンに自分の利益を求める
8.さほど抽象的ではない推論
心は身体、自然、社会の中にある
8.過度に抽象的な推論
心は身体、自然、社会とは切り離されている(上層部のかぎられたエリート)

3.相互依存の自己vs自立した自己
 自己が社会とどのように関係しているか混乱を避けるため、distinction、fusion、separationを明確にすると;
distinction区別づけ=個人は社会の一員ではあるが、その組織のうちで比較的自立している。水平/垂直な集団主義社会。
fusion融合=個人と社会のあいだに差異はない、内面と外界は繋がっている。赤ん坊。
separation分離=自己と社会のあいだに必然的な絆はなく社会に近づくのも離れるのも自由意志による。垂直な個人主義社会。
 集団主義社会の子供は内面、外界の融合から自然、社会、自己の差異を学ぶが、自分が社会から分離しているとは思いもよらない。集団主義者は自然を自らの延長と思っているので、一人切り離してなお存在できるとは信じられない。また集団に支えられる必要があるので、よそ者には敵意に満ちている。
 個人主義者の場合はよそ者を排斥せず、接触は広がっていく。ヘブライの預言者は原初の個人主義者たち。ヘブライ人たちは歴史の終焉に主と会うことを契約している。アクシアル・アイアン・エイジの超越神であるヤハウェと自己を同一視しているため、部族の仲間との繋がりは二次的なもの、自然は最後まで媒体にすぎない。またブッダにしてもすべての階級の人々と親しむことができたが、最終的に求めたのは超越的な世界だった。
 個人主義者の自己は社会、自然とは分離しており、最終的に結びつくのは超越神。

 どの社会でも子供は等しく自己中心的だが、そこから発達していく自己は属している社会による。部族社会の成人は集団的自己を持ち、集団と自分のあいだに差異はあるが、集団から分離しているとは思わない。個人主義の自己は社会とも集団とも分離、後に結びつこうとする対象は社会ではなく他界としての彼方。
 両者は“支配の中枢”によっても異なる;
・集団主義者は“外部の支配の中枢”を信じる。つまり集団で儀式によれば別だが、個人には環境を変える力がない。運不運、神々の意志。
・個人主義者は“内部の支配の中枢”を持つ。何が起ころうとも、それは自由意志のためなのですべて自分のせい。アクシアル・アイアン・エイジの人々に無神論者はいなかった。

 個人主義と集団主義の一般的な差異について
 集団主義者たちは役割を社会から生じたものと理解しているので演じるのが巧み。個人は複数の役割を演じるにしろ、それら役割のかなたに別のものがあるとは思わない。部族社会で伝記的自己biographical selfは個人の学習過程と社会の変化を弁別はするが、個人の学習過程を跡づけることも分析することもない。
 個人主義者は“かなた”との結びつきが第一なので、他者との関係は二次的。深い本質的な自己と演じている役割はまったく別。また集団主義者と違って即座に順応しようとはしないので、困難に直面すると状況を変えるために新たな役割を作り出す。つまり自然や社会は個人の欲求に従って変えうるものとみなしている。個人の過去と未来は集団とははっきり区別される。プラトン、ソロン、ピタゴラスのように個人主義を確立した者は個として発展するためにもろもろの絆を絶つ。
 労働と分配が分割されていない狩猟・採取社会において、順応はもっともたやすい。この水平な集団主義者たちには“より深い自己”はない。ギリシアのペルソナで十分。グループから分離する“危機”は存在しないから個人的な造反はありえない。だが、下位集団ができると事情は変わり、その社会に反する自己が形成される。
 Rank社会、階層社会だといっそう複雑になり、この社会での下位集団に属する者は社会に反する可能性を持つ個人主義者となる。だが、個人で全社会に敵対することはできない。自信、教育、資産が足りない。例えば農民。社会に不満でも下位集団に属する農民として反抗したところで事情は変わらない。
 上層部に属する者になると事情が変わる。ブッダ、孔子、老子、ソクラテス。
 労働が分化し特殊な技術を持つ者の下位集団ならば反社会的にもなれる。個を主張するには;社会に対立する小集団ができるほど労働の専門化がみられる。この小集団から他集団との絆を断てる個人主義者が台頭する。ただし余裕と余暇のある階級に限定される。
 上層階級は“他律”“愛他主義”の二つの形態をとる。
 他律とは社会を犠牲にして自己の利益を追求する(身勝手)。
 愛他主義は寛容からなされるもの、自己はさておき他者の条件をよくする、このためにはまず人は個人主義的自己を確立しておかなければならない。
 集団主義者は愛他主義、とはいえ、与えることは気前よさではなく、まず集団の利益を考えることに自分の生存がかかっている。
 愛他主義を可能にするためには、まず個人主義者にならなければならない。
 “他律”と“愛他主義”はともに、共同体に反抗することが世界の終わりを意味しない場合にのみ現れるもの。集団主義者は善悪以前の段階、そして“他律”と“愛他主義”以前の段階にある。
 平等な集団主義的農耕社会でも、首長など権力のある者のほうが物質的に有利だし、困窮してもクニは助けてくれないが、シャーマンにしろ神権を持つ王にしろ信じないわけにはいかず、集団主義者であることに適応せざるをえない。信じることが一方にあり、それとは違う現実が他方にある。
 水平の集団主義ではこれでいいが、垂直の集団主義になるとカーストのあいだに貧富の差がはっきりし、集団主義の自己を守るのが容易ではなくなる。が、ほかに選択できるものがないので現状維持ということに。さらに、カーストといってもそれほどの差ではないため、認容できる。プア・ホワイトが右翼政治家の約束を信じる一方、炊き出しで日々暮らすのと同じ。

4.内面の自己vs外部にみせる自己
 個人主義と集団主義で自己の見方は異なるのか? 自意識は? 個性はどう定義するのか?
 20世紀半ば、ロシアの農民にアンケートを実施したところ
(Luria);  内面については答えず、もっぱら衣食住についてだけで、性格なら他の人がよく知っている、と言った。集団主義者は内面を信じない。
 集団主義者、個人主義者を問わず、成人は行為、対する外部からの反応、ふたたび行為といった連鎖の集積から成り立つ。個人主義者の自己にはこれに自省が加わり、行為の積以上のものとなる。その自己は行為から独立し、この部分が本質となる。
 大宗教が“人間と動物との違いは理性があるから、行いよりも動機が重要だ”というとき、個人主義的人格の育成をめざしている。汝自身を知れ:自省せよ。
 “本当の”自分の内面を世界から分かつという傾向は個人主義者への大きな一歩。個人はまず自然、共同体から、さらに行為や会話から本質を分かつ。
 アクシアル・アイアン・エイジには商業と大宗教の勃興によって劇化の機能が弱まった。ギリシアでは大部分の地域が世俗化され、聖なる劇を演じる場がなくなる。ページェントでは会衆は観客であり、そこにカタルシスはない。大宗教は感情の抑制を促す。
 生物としての衝動を抑制する理性が個人主義を育てる。個人主義は外部の自然から距離をとるが、自己内部の自然(精神ではなく魂部分)に対しても疑いの目を向ける。
 アクシアル・アイアン・エイジには認知の革新が行われる。アクシアル・アイアン・エイジ以前のホメロスの時代にも心psycheは環境から分かれたものとはみなされなかった;衝動、情熱、夢は個人の内部ではなくスピリッツの世界に由来する。たとえばデモンに苦情を言うなど。
 しかし、同時代の賢人たち、孔子、老子、ブッダ、ソクラテスらは葛藤が個人のpsycheの中でのことと理解していた。集団主義は葛藤を外部のもの、スピリッツの世界のものと解釈するが、個人主義はI―Meの対話に象徴される、自己責任を課せられた心の問題とする
個人主義者とは:
・社会と自然から分かれた自己
・内面にある支配の中枢
・役割から分離する自己
・環境を支配する自己
・生物としての衝動を抑圧
・意識の主観的な状態
・集団からの独立した個人の成長
・内面の問題としての葛藤の経験
・I-Meでは“I”
・本質を切り離す能力、別の役割の選択、他律または利他主義
 世界をこのように体験するには過度に抽象化する能力が必要。個人主義者が社会と自然から分離するように、心も体と自然から分離する。
 水平な集団主義者では個人の心は自然の中にすでにあるpsycheの一部と理解される。個人主義者ではpsycheは内面化され個人の所有するものとなる。Psycheの精神部分は安定し内外の自然を支配すると考えられる。
 抽象的思考はアクシアル・アイアン・エイジの科学と大宗教の産物であり、反対に抽象的思考があったおかげで科学と大宗教が興った。個人主義者の自己は物質世界から精神世界を切り離し、自然の世俗的、客観的な部分に注意を集中する。これがギリシアの科学的な哲学の出発点となる。同じくスピリッツからゴッドへの大宗教の萌芽。
 観念としての個人主義と実践としての個人主義。今と同じで富裕階級は距離、サービス、プライバシーまで買うことができた。
 ただし、アクシアル・アイアン・エイジの人々全員が個人主義者ではなかった。下層階級には余裕なし。

5.一神教と個人主義の共通項
 平等な部族社会ではスピリッツ、青銅器時代の階層的農耕社会の階級のある多神教からアクシアル・アイアン・エイジの一神教が興った。
 表面的には部族社会の自己は社会的に未熟な子供のそれを思わせるが、石器・青銅器時代の大人の集団主義的自己は子供の自己愛とは異なって子供のようなエゴはなかった。さらに集団を優先する集団主義の成人に対し、子供の自己愛はもちろん、自分を優先する。
 アクシアル・アイアン・エイジとそれ以前の社会の政治/経済;
・社会の中での商業活動は神聖な場を追放、存在の場を失った神聖なものは超越的な領域に引っ越さざるをえない。一神教。
・階層社会が超越的な神を生み出す。スピリッツは追い出され、神聖なものはかなたに去っていった。
・階層社会の上層階級には余暇があり、個人主義を促進する要因多数。
・青銅器時代にできた頭脳労働が抽象思考を促す。

フランク族の墓碑

■第七章 心について

 生態環境、デモグラフィー、社会組織が認知の発達に与えた影響

1・労働が専門化されればされるほど注意力の集中化が必要となる
 自己のタイプは個人が属する社会、歴史の時期によって異なる。大別すると集団主義者と個人主義者。個人主義者に特有のスキルにはよりいっそうの抽象思考が必要とされる。
 つまり思考の変化は社会の物質的な事物に依存する。
 1)思考の変化は物質社会の人口増大、食糧危機、技術改革、労働の専門化、政治経済  といった要因に依存している。2)思考が抽象的になるほどスピリッツ・魔術から離れスカイ・ゴッズ・宗教に近づく。
 部族社会では頭脳労働、肉体労働の区別はなかった。農耕社会とともにこの区別ができ、頭脳労働者の出現・専門用語・判断過程の変化が起こる。
 Ernest Gellnerによると、部族社会では労働が専門化されていなかったので、みながあれこれの仕事をこなし、したがって言語の分化はなかった。“・・・のような、みたいな”が日常使われる比喩的言語。
 農耕社会になると、日々長時間同じ作業を行うようになるため、農夫は農夫の言葉を、工人は工人の言葉を発達させていく。階層社会なので、同じ言葉を使うのは水平の関係にある者だけということ。
 字義通りの言語は注意力を必要とし厳密な意味を表すため、労働の分化が起こってはじめて使われるようになる。これは頭脳活動を伴うため、抽象化の一助となる。商人の抽象的な計算、職人の技術的な知識を表す言葉。
 現代;コンピュータ関係者、医師など部外者には不可解な専門用語。

【図7-1】抽象的思考の促進に必要とされる物質的条件と心理的スキル
労働の専門化が進む
全員;生産と消費というただひとつの生活活動に集中。比喩的言語よりも字義どおりの言語が用いられるようになる。
政治的中央集権
祭司、巫女、商人などは事物の優先順位、クニ社会の計画、管理を専門的に習得していく。
帝国建設
祭司は支配下にあるべつの文明を定期的に搾取する際の監督、計画を専門的に習得していく。
文字;神聖文字とアルファベット
青銅器時代の祭司、巫女、商人、賢者は会話、行動から思考を分離し、思考のための思考を行い、教義や時空を超えた思考を専門的に習得していく。
文字;外部の記憶装置としての神聖文字とアルファベット
心が記憶保存装置としての機能から解放されると、祭司と貴族は分析、批判、客観性・主観性の別を習得していく。
貨幣
商人と平均的市民は具体的な生産物から象徴的な徴を取り除き、購入と販売の時期を考量し、商品やサービスの量を明確にして社会関係を一定化させる。
資源の枯渇と人口増大
平均的市民、下層民にとっては満足の先送り・将来への希望など望めもせず、都市でよそ者に混じって暮らす術を身につける。

2.政治的中央集権:計画、監督、調整
 鋤の発明で生産が増し、人口の10%ほどは食糧生産以外の仕事に従事できるようになる。農耕社会が中央集権化されると、頭脳労働が分離。祭司は生産物の分配を調整し、他社会と取引し、記録、成員の監督といった仕事をこなすうちに、全体像を把握し計画をたてることなどを学んでいく。
 農耕社会の農民が抽象的思考をしないのは現実的に益することがないからであり、それは権力のある上層部の者に任せられる。
3.帝国建設:万能人の思考法と一神教
 新石器・青銅器時代の多神教に比べ、鉄器時代の一神教には抽象的思考が必要とされる。原始魔術より抽象的とはいえ、青銅器時代の農耕社会、二次魔術のクニグニは一神教にいたることはなかった。青銅器時代のエジプト、メソポタミア、インド、中国では大宗教は勃興しなかった。
 その理由は神聖なもの/上部構造は技術、政治経済の進歩に一歩遅れてついていくため。人々の判断の仕方はまず仕事面に現れ、それがかなりたってから神聖なものに反映される。祭司の主な仕事は記録することで思考とは無関係だった。
 社会が中央集権されたからといって一神教は出現しない。ところが帝国ができると、触発されたように一神教が現れる。
 帝国を管理する者には計画し、調整して、併合した他の社会を研究するためにも抽象的な思考が求められる。
 エジプト:帝国になったのとほぼ同時に太陽神を崇める一神教が興り(BC1,400)、滅亡とともに消える。
 ヘブライ人はダビデのもとに部族が集結して統一王国。この王国が成長して帝国、このころヤハウェが多神教の神の一柱から唯一神に昇格する。
 一神教には社会上層部による心理的な統括技術が投影されている;かなたにいる至高の神が下位の存在に遂行させる事柄を計画し割り当てる。帝国が巨大化すればするほど、神々も偉大なものとなって、ついには世界を支配するようになる。
 創造神話は頭脳で考え出したもの。帝国がさらに拡大すると、宗教もコスモポリタンになる。
 一神教は神聖な世界での帝国主義ともいえる。

4.文字の発明:行動と会話から思考を開放する
 文字の発明によって、社会内部のもろもろを記録し、再分配・調整し、より抽象的な神聖なものの体系を整えることができる。
 文字のない社会では思考は“今、ここで”の行動についてだけ。
 暇のある上層部が書くことを始めると、他人の意見と比較もできれば、熟考の対象にもなる。
 神聖文字の時代には、他に読み書きできる者がいないため反対意見も現れず、祭司階級が独善的になり、神聖なものを独占する結果になった。
 部族社会には異端思想はなかったが、平等なのでさほど不満はなかった。口承の社会では現在のトピックが最優先、ほぼこれのみ。実用以外の話題は危機のときに限られ、神話に組み込まれるが、口伝えなのでたやすく変化する。鉄器時代になりアルファベットができて、現在を離れての創造的な体制批判、疑義なども書き留められ、おかげで比較できるようになり、空間的にも思想は伝播。
 
さらに一神教の出現に欠かせない非常に抽象的な思考も可能になる。   神聖なものについての慣習が法になる。“血族を殺してはならない”が“殺してはならない”というように、地方性を失う。
 ヤハウェ:BC800ころに抽象的な天空の神となり、特定の地域との絆はなくなり、眷属も追放する。
 板などに書かれた文字は永続性があり、短い命の人間に畏怖の念を起こさせるものとなる。

5.文字の発明は思考を記憶から解放する
 その場かぎりの短期間の記憶vs何世代にもわたっての長期の記憶・次代への情報伝達。口承の時代には長期間記憶することが大問題だった。
 部族社会では神話、劇化、詠唱、音楽、踊りなどで部族の一大事を共有し伝承を図った。人々は珍しいドラマティックなものをよく記憶する。攻撃と和解、貪欲さと犠牲、勇気と裏切りなどをおおげさにしたものを神話に織り込む。歌、衣装、台詞;これらによって記憶が新たにされる、つまり一種の記憶術。さらに神聖なものには変わらぬ弱点と強みが備わっている;生産的で気まぐれなウェヌス、勇気がありときに残虐なマルスといったように。
 魔術的な儀式には“まね”が含まれ、詠唱やリズムにのって部族の人々はしばし、神聖なものを模倣する。一種のトランス状態にあるとき、部族社会の人々が実際に世界が変化したと思うのも不思議はない。

 1)神話;聴覚に訴え、事実を構築し、特定のときと場所で行われ、予想のつく局面を持ち、神聖なものを不朽の悪徳/美徳の持ち主として描き出す。
 2)ドラマ;視覚と聴覚に訴え、偉業をおおげさに描き、まばゆくきらびやかな衣装を用い、感情の揺れを表現(貪欲と犠牲、忠誠と裏切りなど)し、心をつかむストーリー性を持つ(危険な航海など)
 3)詩;聴覚に訴え、リズミカルで押韻
 4)音楽;聴覚に訴える
 5)踊り;動き
 神話の模倣は記憶にはプラスだが、どこかで質問したとすると、儀式は中断される。抽象的・批判的な言葉は呪縛を破ることになる。
 文字の発明によって、集団の知識は外部に保存されることになり、思考は記憶することから解放される。アイディアは物語る者からも聴衆からも、さらに刺激からも離れ、人々の感情はドラマに注ぎ込まれる
 暗記から解放され自立し、一人で考える個人的な自己とともに客観性、主観性の別が現れる。劇化に含まれる愛憎、恐怖、絶望といった感情を自己のうちに再現する必要はなくなり、社会に依存する度合いが減って個人主義の出現。外界を客観的に見て世界を描写する。
 文字のない社会の神話は個々の出来事を“そしてそれから”でつなげていく。たとえばイリアス。聴衆の関心をそらさず、もろもろの生の感情に訴えるためにサスペンスが必要となり、観客に直接訴えかける。
 Eric Havelock;The Greek Concept of Justice 文字によって記録されたものは状況の説明、全体の概観などが説明され、客観的になる。Havelockによると、ホメロスの詩は部族の正義を描いたもので地方的、つまりポリスでの、ある一定の時期に該当する対人関係における正義だったが、文字とともにプラトンの正義は地元を出てよそ者をも包含し、普遍的なものになる。

6.文字の自然への影響:参加から支配
 石器時代から金属の時代まで、文字がいかに認知の発達に影響してきたか。
 書くことは自然に対する関係も変え、ひいては自然のかなた、スカイ・ゴッズとの係わり合いへと導く。

【図7-2】抽象的推論への影響;口承の社会vs文字のある社会

口承
第一に身ぶりによる模倣
(儀式、祭儀)
  神話、劇、音楽、歌、踊り
記憶するための模倣による工夫
主観性、客観性以前の状態
ドラマ
時間のなかで出来事は逆行できない

特定の場
物語―出来事と偶発事
感覚の受ける印象
複数の感情
正義は局地的
正義は一定の場で個人間のこと
正義は既存の慣習に再編成される

文字
身ぶりによる模倣は二次的
(聖史劇)
書くこと
外部に記憶を保持できるので不要
主観性と客観性は分かれる
描写
因果関係に適うように出来事を逆行させることが
できる
場は問わない
論理/分析
概念、原理
感情とは無関係
よそ者も包含する正義、普遍的な正義になる
正義は普遍的だが個人的な概念
正義は努力して達成すべき超越的な理想;
既存の慣習の刷新、侵犯には一様で公正な罰

 David Abram;口承文明は文字を持つ文明よりも呼び声で伝達する動物社会に近い。
 部族社会では自然に語りかけ、自然も応答する。峡谷か広い野原か、居住する地勢に応じて言語は異なる発達の仕方をする。狩猟民族は狩の獲物の鳴き声などをまねる。獲物を仕留めるために肝心なのは見たり話したりではなく聞くこと。イヌイット族;昔は動物も人間も同じ言語を話していた。
 自然が語り聞くという口承文明においては、“言葉”は事物を描写するだけという文字のある文明より以上に力を持っていた。つまり言葉は眠っていた世界を目覚めさせ、現実を呈示する。
 まず表意文字である絵文字があり、表意文字は土地に根をはっていた農耕文明に栄えた。そこからアルファベットへと発展していったが、アルファベットは移動し商業を行う文明で発達(ヘブライ人は遊牧民、フェニキア人、ギリシア人は商業)、抽象思考は一箇所に腰を落ち着けない民族のもとで発展することになった。文字は口承文明とは異なって人間に固有のものだった(自然の声はしだいに聞こえなくなっていく)。ユダヤ教で動物はアダムに自分の名をもはや語ろうとはしない。
 アルファベットの時代になるともはや自然の声は聞こえず、聞こえるのは人間の内面の声のみ。
 ソクラテス;街の人間とは違って田園の木々などは何も教えてくれない。

7.貨幣の発明は熟慮と普遍化を促す
 BC1,000頃、アクシアル・アイアンエイジ直前にアルファベットができたが、これとほぼ同時期にギリシアで貨幣が現れる、貨幣が抽象的思考に果たした役割は計り知れない
 狩猟・採取社会、園芸社会での交易は部族の外でのみ、部族内では物々交換だったが、交換を目的に作られた品ではなかった。
 やがて複合化した園芸社会、農耕社会になって余剰物質がでるようになると、それぞれが交換用に特定の品を作り他の社会との交換が始まり、周辺で市場が開かれ、交易が社会活動になる。交易用に新しい品も大量に作られ、すると価値の等しいもの同士の流通はむずかしい。流通が滞りなく進むように品物とはべつに仲介物が必要になる。
 鉄器時代以前には交換の基準にできるようなものはなかった。
 この時期、発展を遂げていた抽象思考が貨幣の発明を促す。アルファベットのおかげで農耕社会の祭司が計画をたて全般的に監督したように、商人は貨幣を用い価格について熟考、過去の経験を基に将来に向けての計画をたてる。貨幣は何かが買われる時期、売られる時期について熟慮を促す。
 貨幣は熟考と自省を促すだけでなく、“今、ここ”以外でのよそ者相手に遠隔の地との交流も可能にし、人間関係を広げる。さらにどこでも通用する価格も考案される。
 農耕社会では熟考するのはエリートだけだったが、日常のものとなった交易のおかげで抽象思考は民主化される。
 ただし、階層社会なので隠れもない不平等が横行し、疎外された無力な階層が出現する。

8.人口増加と食糧危機は満足の先送り、長期的計画、共同体の普遍化を促す
 BC1,000頃の農耕社会では一方に人口増加、狩猟の獲物の減少があり、他方に普遍的な哲学と宗教の勃興があった。こうして、よそ者への愛、自発的な貧窮、菜食、現世では満足を我慢し後世に期待する、などの実践/考え方が現れた。原始/二次魔術と大宗教の背後には生態学的、および人口の問題があった。
 新石器時代には家畜の飼料のために十分な放牧地があったが、農耕社会になって放牧地は減少、家畜飼料の調達が容易ではなくなる。
 人類は肉食か草食かの選択で労力のかからない草食を選ぶ。
 家畜は食料ではなく農業労働に使われるようになり、酪農が発達する。
 鉄器時代初期には肉はごちそうになって儀式など特別のおりにだけ食卓にのぼる贅沢品となる。ドラスティックなこの変化には大宗教と抽象思考が働いている。つまり、目の前の家畜を食べないで飼っておくというのは、満足を先送りすること。人類は将来をより多く考えるようになった。特に中国、インド、近東。
 豚は飼育の条件がむずかしい(本来が森、川の土手、沼地といった直射日光のさす高温のところでは飼育しにくい)生き物なので、食べるのをやめた文明がいくつもある。たとえばヘブライ人。
 仏教はヒンズー教を刷新するために出現したと考えられていたが、自由に肉を食べ続けていたバラモンと下々の人民の融和のためともいえる。バラモンを批判してカースト制を廃止し、僧侶の勢力を弱め、政治の刷新を計る。農民層には現状に不満を抱かず、長い目で見て満足を先送りすることを望むよう勧める。貧困はカルマではなく美徳として受け入れるように諭す。

9.認知の発展の社会的・歴史的性質
 個人の人生で心はいくつもの段階をへて発展していく(ピアジェPiaget)。その際、認知面で社会や歴史から影響をこうむる。属する社会、また生きる時代によって判断の仕方は異なる。
・頭脳労働と肉体労働へと労働の専門化、中央集権、帝国、文字、貨幣、人口増加、食糧危機。こうしたものが社会の上部機構を変え、神聖なものは二次魔術から宗教へと脱皮する。
・物質的な上記のもろもろが判断の過程を変え、抽象的な論理づけが行われるようになる。
 ヴィゴツキーVygotskyの説では心は生来社会的なものである。1)地域の人と人の繰り返し行われる意味深い協同体験から心理的なスキルは生まれる。2)これらのスキルは個人のものとして内面化される。3)第三の局面として、本来の場から拡大される。
 子供の心理的成長/石器時代から金属器時代の大人の心の発達;
1.両親との相互関係/近場での発達。他人との関係を解決する際、べつの角度から考えてみることを学ぶが、まだ実践できない過渡期。青銅器・鉄器時代の農耕社会の大人は;社会の中で集団で労働する時期。歴史的側面での協働から文字や貨幣が生まれ、制度として残る。
2.この関係を自分のものにする/他者との関係をいろいろな角度から見る。心の中に知性が芽生える。農耕社会の大人は;新たな抽象的スキルを自己のものとする;集中、計画、自省、満足の遅延、一般化、客観性、批判。フルタイムの頭脳労働、中央集権、帝国建設、文字、貨幣。
3.より広い範囲で相互の関係を作る、教師、仲間の生徒、さらに社会全体へ
 大人は;労働に従事していない時間に親の子育て、レクレーション。神聖なものとの関係は上層階級にかぎられる。ただし、同じ農耕社会でも頭脳労働に従事する者は理性を使って子供を教育するが、肉体労働者は体罰。
 ヴィゴツキーの認知の発達理論は人間の心を唯物論的に理論づけたもので、周囲環境からいかに生活の資を手に入れるかという問題と切り離しては考えられない。つまり人間の心mindはその起源を労働との社会的、歴史的関連のうちに持つ。その発達は内面からではなく、労働という外部からの推進力による。唯物論者にとって、心とは機能であり、人間という組織体の材料ではない。はじめは自然の産物だった心だが、やがて人間が社会と自然のうちで種々の行為を行ううちに自然と同等のものとなる。
 心が現れ、自然は人間の姿で社会化、歴史化され、人間は自然と共同の製作者になった。

【図7-3】個体発生と歴史の進化におけるヴィゴツキーの認知論
 高度な心理的発達は労働する人々のあいだに築かれる協調的で意味深い対人関係から生じる。ときがたってはじめて、個人は主観的で自立したスキルを持つようになり、最後にこうしたスキルをすべてに適用できるようになる。

  
  三つの段階
個人の人生でのミクロなレベル 歴史というマクロなレベル
  原因
個人の順応;両親による社会化 人口増加と資源の枯渇の結果という文脈における新たな労働への“社会的な”順応
  第一段階;局地的人間関係
遊び、新たなスキルの習得における両親と子供のあいだの取り決め、問題解決の際の役割(近場での発達) 労働し、新たなスキルを習得する際の成人の職業上での協同、問題解決の際の役割(近場での発達)
第二段階;主観性
個人的に自立した問題解決 個人的に自立した問題解決
  第三段階;包括的な人間関係
新しく習得したことを家庭的ではない場で適用; 学校、仲間や両親意外の成人との遊び政治、神聖なものの祭儀 新しく習得したことを労働の場以外での適用;子育て、レクレーション、政治、神聖なものの祭儀

【図7―4】ヴィゴツキーの認知の進化論を世代間に適用する
マクロレベル1;両親における社会・歴史的変化
原因;人口増大と資源の枯渇
1) 地方的な対人関係;労働習慣の変化、新たなスキルと役割
新石器時代の後期;労働習慣は
中央集権
経済的な階層化
帝国建設
神聖文字の出現
に由来する。
2)主観性;自立した個人的な問題解決と推論の仕方の変化
祭司、巫女、商人は事物に優先順位をつけ、計画し、熟考し、監督し、一般化する術を習得する。これは祭司、巫女、商人にみられる具体的操作期concrete operationalの思考に由来する。
3)包括的な人間関係;労働以外の面での新しいスキルと役割の適用
神聖なものへの係わり合い、信仰;二次魔術の出現
遊び
子育て

ミクロレベル;両親からの伝達に帰する個体発生的な変化
原因;両親によって社会化される
4)地方的な対人関係;両親と子供の取り決め
祭司、巫女、商人は子供に問題の解決、役割引き受け、具体的に操作するconcrete operational能力を用いて遊ぶことを教える(7-11歳)。
5)主観性;自立した個人的な問題解決
子供は両親から学んだ抽象化の能力を自分のものにして磨きをかける。
6)包括的な人間関係;家庭の外での新しいスキルと役割の適用 子供は同じ神聖なものを信じる共同体の中で仲間と遊び、成人から学ぶとき具体的な操作concrete operationを行う。

マクロレベル2;社会、歴史的な変化。子供から大人に
7)地方的な対人関係;労働の複製
子供が大人になると、祭司、巫女、商人の職業を受け継ぎ、具体的なスキルconcrete operational skillを使ってつぎの世代のためにそれぞれの役割を遂行する。

【図7―5】唯物論者vs観念論者(以下、心はmind)

唯物論者
意味を作るものはすべて社会・歴史的

心mindと意味を作るシステムは社会の文化を変える

社会の下部構造と基幹部が上層部を決定人間の意識は構造上、社会・歴史的であり一群の労働と分かちがたい

心は社会や自然界で生き延びるための順応性のある器官
心は思索にふける以前に対人関係のためのもの
人間の心は頭脳の持つ一機能
心は自然から現れ、社会化、歴史化をへて教化される
観念論者
意味を作るものはまず霊的

心と意味を作るシステムは社会のシステムを変えることはなく、神秘的な体験と霊的な行為を通して自らが変わる
上層部が下部構造と基幹部を決定
人間の意識は自然や社会を超えた霊的な源、神を持つ

心は霊的な変身のための手段

心は思索にふけるためのもの

人間の心は神的な実体
個人の心と神という最初のパートナー関係に比べ、自然と社会は二次的なもの
アイルランドの小聖堂

■第八章 認知の機能以前から認知へ

  石器時代から鉄器時代の判断の過程

1.認知の発展理論の限界: レヴィ=ブリュルLevy-Bruhlの“神秘な参加”論
 農耕によるクニグニが興り、物質面では社会の下部構造infrastructure、基幹部stractureの変化(労働の専門化、中央集権、貨幣など)が起こり、心理面でも意識の集中、事物の分析、批判、満足の先送り、長期的計画、普遍化などが推奨されるようになった。こうした“極度に”抽象的な心理的スキルは社会の上部構造superstructure、個人の心理にまで影響をおよぼす。
 20世紀になってフランツ・ボアズFranz Boasは部族社会の人々の推論過程とクニ社会の人々のそれのあいだには差異はないと主張する。
 これに対し、レヴィ=ブリュルLevy-Bruhlは部族社会の人々は異なる判断をするが、それは社会が異なるからであり、部族社会の思考法を“神秘的な参加”と呼ぶ。社会的、歴史的影響によって判断の過程は進化する。彼によると;
・個人の内面と外界は融合する傾向にある。
・部族社会の人々は反論、または“黒か白か”を無視する傾向にあり、“論理以前”の状態にある。
この理論は認知の発展を説明するものとして重要だが、
反論多数;たとえば、Lloydは;
1)子供とは違って、生き延びるために大人はある程度、論理的、抽象的にあれこれ工夫をする。たとえば、草を原料に食用の植物を栽培したり、毒性のある根菜を狩で獲物をとるために使ったり。試行錯誤があり、学習した知識を次代に伝えなければならない。
2)Levy-Bruhlは人々の思考にかなりの重みを持つ縦の力関係を無視している。
3)言語にならない伝達様式、ゼスチャー、沈黙、抑揚なども無視。比喩的ではなく字義どおりの言語が多く用いられるとしているのは誤り。
4)Levy-Bruhlは部族社会の人々の関心は自然に限られるとしているが、これも誤り。
5)神聖な場と世俗の場を混同している。
またレヴィ・ストロースは;部族社会の生活では子供の世界をはるかに超えた思考が必要とされる。
参加型の思考と抽象的思考での右脳と左脳の役割分担;
 左脳は言語、分析、論理、出来事を連続して線的に、デジタルに、文字通り。
 右脳は非言語、運動感覚、全体的、出来事を同時に、類推的に、比喩的に。
 どの社会でも四季の変わり目、出産、結婚、死などを区切りにする。これには参加型思考の右脳の領域。世俗的な行事には左脳。
 部族社会の判断の過程を推測するに際し、言語と伝達を調査した点でLevy-Bruhlは明確な弁別をし損なった。成人のあいだの力関係を考慮に入れること、子供と大人の判断を区別すること、比喩的な言葉にならない合図を含めること、“外交辞令”と“自然な会話”を区別すること、世俗的な場と神聖な場を弁別すること、専門家としての意見と一般人としての意見の差異をみつけること、などに失敗している。また部族全員に参加型・抽象的思考の能力があるとしなかった。
 こうした欠点にもかかわらず、判断の過程に社会、歴史的な要因が大きく関係している点に着目したのは正しい。

聖なる場       世俗の場
隠喩          字義通りと隠喩
右脳          左脳
参加型        抽象
事物に没入     事物から距離をとる

【図8-1】個人主義者の自己の質、宗教的体験の質、これらの抽象的推論との結びつき
A;個人主義者の自己の質
1.自己は自然や社会から独立している。
2.自然を模倣するのではなく支配しようとする。
3.外部の支配の中枢に対し内部のそれを持つ。
4.役割から独立している。
5.生物的な衝動を儀式によって外面化するよりも抑圧しようとする。
6.葛藤を内面化する。
7.行動や他との連帯からではなく、自分の内面によって自己達成される。
8.自己発展の萌芽は集団から離れたところでできる。
9.I-Meでは<I>
10 自己は集団から離れ、融合ではなく目立つものになる。

B;宗教的自己の質
1. サイケは自然に拡散されているのではなく、個人の内部にある。
2.複数の地上に結びついたスピリッツではなく普遍的、天空をめざす神を信じる。
3.時間は周期的ではなく直線的。
4.部族を離れた普遍的な兄弟を信じる。
5.自然・スピリッツのせいではなく、責任は自己のものと認める。
6.集団の魂の地上での転生ではなく、個人の死後の生命を信じる。
7.官能、性に関した事象を儀式として外面化する代わりに抑制する。
8.劇化は字義どおりではなく、表現・象徴とみなす。
9.聖なる共感に与るのは集団ではなく個人。
10 .ストーリーを物語るのではなく書物の形で文化を語り継ぐ。

C.抽象の定義
状況、対象、過程から本質的なものを抽出する能力。
過去の体験との関連を熟考すること。
オリジナルの文脈を超えて一般化すること。

D.極度に抽象的なスキルとその起源
1.意識の集中;労働の専門化と言語の文字どおりの解釈。
2.優先順位、長期計画、普遍化と統合;政治の階層化と帝国建設。
3.状況から離れた思考、自省;文字、行動と会話から思考を切り離すこと。
4.分析、批判、主観と客観;絵やアルファベットによって個人の外部に蓄積された記憶。
5.状況から離れた思考、熟考、一般化;貨幣の発明。
6.先送りされる満足、長期計画と一般化;人口増大と資源の枯渇によってできた国際的な都市でのよそ者との接触。

2.認知の進化;ピアジェの段階は歴史にも適用できるのか?  抽象的な判断;状況、対象、過程から枢要な特性を抽出し、過去の経験と将来の計画への結びつきを熟考したうえで、抽象化したものを一般化する能力。
 抽象化のキーワードは“独立”、“内在”、“分離”、“プライバシー”、“支配”、“一般化”、“二元性”。これらの言葉が抽象的思考であるかどうかの基準になる。
 集団主義者の自己と意識の魔術的状態のキーワードは“相互依存”、“まね”、“外的な支配の中枢”、“不可分性”、“推定”、“適合する”、“拡散”、“外面化”、“具体的なイメージ”、“集団の魂”、“共有化”など。極度に抽象的なものとは無関係。
 農耕社会、商業社会にみられる抽象的なスキルは将来個人主義的自己と宗教を形成する基盤となる。まず下部構造、基幹部で鍛錬され、上部構造へと翻訳される。
 I-MeだとIに該当し、批判的に思考できるようになる。
 すべてを支配する宇宙的な唯一神は地球に起源を持ち、人間の絵姿ともいえる。
 大宗教、個人主義的自己の出現の前に物質文明の変化が起こった。
 ・BC3,000には労働の専門化、中央集権、帝国建設、神聖文字、
 ・BC1,000-BC500に大宗教、
 ・BC500-BC400にギリシアの上層階級に最初の個人主義。この時点でヴィゴツキーVygotskyの認知の変革理論を歴史に適用することができる。
 ピアジェPiagetの認知の発達理論を部族の成人に適用しようとした人類学者のHallpikeがいる。当然反論多数。
ピアジェはどの社会の人間も環境に適応できる程度の知性は有しているという点を基に立論する。これは同化assimilation(主体が環境に働きかけ、既存のシステムに新たなものを取り込み、統合する)と調節accomodation(主体を環境にあわせて変えていく)の二つの方法による環境への適応である。調節によってそれまでの古い構造を新しい状況に適合させる。同化Assimilationでは批判的思考、状況に応じた適切な自己主張がなされ、調節accomodationでは他者からの反応に身をさらし、過去への執着を捨て自己を変える。  これらには以下の4段階がある:
 感覚運動期段階sensorimotor
 前操作期段階pre-operational
 具体的操作期段階concrete operational
 形式的操作期段階formal operational
 初期になるほど環境への身体的反応に近く、やがて心が環境から解放されて知るために行動するようになる。これらの段階はつぎつぎに発展していく。

 個人主義的な発展
文明の進化
1.堂かと調節の差異、補足、均衡が増えていく
2.対象が増えるので、世界は複雑化していく
3.影響範囲が時空ともに拡大される
4.知的な領域が固定される;周囲からの変化への抵抗
  葛藤の内在化
5.過去の行動の現在、未来への因果関係への自省
  批判的思考
6.節減の法則に基づく解釈。もっとも単純なデータ
7.より低いレベルとより高いレベルのあいだの統合と調整
普遍化と支配
普遍化と支配
内部の支配の中枢化

集中、計画、分析

支配

 子供の早期の知的発展においては、同化と調節の融合・あるいは二者の妥協のない対立がみられる。認知の発達の初期は自己中心的な判断ばかりだが、それがしだいに客観性と主観性に分かれ、抽象的な思考が可能になる。初期の段階では心は身近なもの、外観に捕らわれ、子供には批判する力もなく、本質から偶発事を区別することもできない。
 成人は属する社会の程度、歴史的な時期、カーストや階層の有無に関係なく、ピアジェの段階すべてを通過するのだろうか? 換言すると、これら心理的な段階は社会や歴史の要因には左右されないのだろうか?
 ピアジェ:判断の段階
 ・段階は社会組織に、歴史的な時期に、個人の属するグループの社会的地位による。
 ・段階は生態学的、人口統計的、技術的、政治経済的な要請があってはじめて出現する。
 ・段階が必然的に展開していくことはない、状況がよければ現状維持が続く。
 ・部族社会での段階は前操作期の思考に匹敵する。
 ・農耕社会の上層部の段階は具体的操作期段階
 ・アクシアル・アイアンエイジの上層部では初期の形式的操作期段階にあり、一神教と個人主義的。

3.前操作期vs操作期の認知
感覚運動期:環境に対し、身体を使って反応するが、心はその反応に埋め込まれている。
前操作期:環境に対し、対人関係を顧慮したうえで身体を使って反応するが、心はその反応に埋め込まれている。
具体的操作期:心は身体、行動、対人関係から明確に区別され、環境を変えるために用いられる。
形式的操作期:心は身体、行動、対人関係から分離し、抽象概念のあいだに関係を築き、この極度な抽象概念を環境を変えために用いる。

判断のどの段階が集団主義と魔術、または個人主義と天空の神の宗教と関連するか;前操作期は集団主義と魔術の基盤となり、操作期、特に形式的操作期の思考が個人主義的自己と宗教を作る。
前操作期は;
内面経験と外界の出来事の区分はない。現実と融合された状態。対象は固有の名、シンボル、客観的性質を持たず、夢は現実と浸透しあう。ピアジェはこの傾向を“概念的実在”と呼ぶ。
出来事の因果関係を物理的にではなくアニミスティックにみる。木が倒れると、木の精が望んだからということになる。
自然界で起こることをそのまま理解するだけ、論理から、また原因と結果で出来事を再構成することはできない。“今、ここ”のみ。操作期になると、心はもろもろを再構成することができる。過去、現在、未来というように。
主観的時間と客観的時間は融合。退屈しているか興奮しているかによって同じ時間なのに長さが変わる。
全体と部分という観念がない。

4.前操作期の認知、魔術、集団主義的自己
 前操作期にある部族社会の成人の神聖なものに対する心理はピアジェが子供の発達段階に見て取ったことに等しい。
 前操作期には原始魔術ではサイキpsycheは体に閉じ込められてはおらず、自然全体に浸透している。感情、感覚、想像すべてが自然の一部。そこで儀式を行うことで自然を変化させることができると信じる。ただし部族の大人は子供と違って、生き残りを賭ける場合には感覚と対象、夢と現実の融合が破壊される。
 具体的操作期にある心は魔術的創造神話を信じる。神々の交合から、または世界卵から世界が生まれる。魔術では自然はすべて生きており、超自然の力マナmanaにあふれている。スピリッツはあらゆる場所(岩、水辺などなど)にいる。
 前操作期の思考どおり、部族社会の魔術は物理的因果関係には無縁。たとえば、影は光と物体の関係ではなく、個体から放射されるもの、また人格化された何者かの働きかけで人は死ぬ、など。
 出来事はその場・そのときに起こり論理的な原因・帰結はない。
 操作期になると、心と環境はべつのものと理解される。
 イリアスの詩形のものと説明した散文を比較すると、詩では外観がすべて、つまり神聖なものは目に見える地方的なもの。
 しかし、子供とは違い、成人は狭い地域にかぎっていえば、そこで繰り返し起こる出来事を主観を混じえず経験的に理解している。その時点では前操作期を越えるが、一地方にかぎられた限定された抽象思考といえる。この文脈において部族社会は一時的に前操作期を越えるが、範囲は狭く、現在以上には及ばない。
 ただし災害など尋常でないことが起こると、自立し統合された世俗的な自然、という考え方は放棄され、自然は神聖なものに戻ってしまう。
 集団主義者の心は感知できる感覚的な現在にとらわれ、“今、ここで”の行動、会話ができるだけ。戻っていけるプライヴェートな自己がないため、心に思い浮かぶものはすべてなんら罪悪感なく公にできる(性愛も含め)。I-MeではMe。

【図8-3】 前操作期の認知と魔術、集団的自己

前操作期の本質
心は体・自然と融合


アニミスティックな因果律

今、ここでの一回かぎりの
ものをまねる





原始・二次魔術
事物あってこその意識
サイケは自然に拡散

神聖なものは内在的、
自然、今、ここが実在
神聖なものは地上的


神聖なものは自然の諸力、
イメージ

地方的なスピリッツ
集団的自己
自己は社会・自然と相互依存
外部の支配の中枢、紛争の外
面化、スケープゴート


行動と自己を分離できない

儀式による官能性の外面化


適合する自己
I-MeではMe

(誤植でしょう、いくつか意味不明の単語があり、つながりが不明のため省略)

5.具体的操作期vs形式的操作期
 この期の人間は心が仲介者だということを理解している。夢、感覚、感情などは外界で進行している出来事とは無関係なプライヴェートのものであり、客観的時間と主観的時間は明確に区別される。
 具体的操作期と形式的操作期の違い;
 認知の形式的操作期には;
・心はいっそう体や自然とは分離される。形式的操作期には:I have a bodyといいI am a bodyとはいわない。
・観念は経験や刺激からよりいっそう自立している。
・観念は観念を基に築かれる。
・客観世界のより巧みな操作。
・この操作は広大な時空のもとに行われる。
 具体的操作期には、日常的な論理をもって経験に基づいた狭い時空での事柄についての行動・刺激に反応する。
 形式的操作期になると、刺激や行動を基に思考するが、さらに観念自体を基に認知作業を行う。つまり観念から観念を生むということ。論理的なルールに則って思考する。
 もろもろの分類について:
 形式的操作期にはカテゴリー、補足関係、矛盾などのあいだに明確な区分がある。前操作期、具体的操作期の人々は区分があいまいなうえ、概念はそれを持つ者と不可分の関係にある。
 前操作期と具体的操作期の思考には“反対の”、“補足的な”があるが、両者は異なる。寒暑といった“反対の”ものにはなまぬるいといった中間項もある。“補足的な”のほうは太陽と月、陰陽といった相互に関連があり片方があってこそもう一方もあるというもの。昼と夜、夏と冬、男と女のように。
 形式的操作期は抽象化の度が違うだけでなく真偽を確かめる方法も異なる。個人的な経験、権威を疑問視する。
 具体的操作期には個人的な経験だけでなく権威をも頼む。

【図8-4】 具体的操作期と形式的操作期の比較

具体的操作期
青銅器時代の農耕社会
心は体・自然とはべつのもの
行動と刺激とは互換性がある
主観的時間と客観的時間の弁別

真実は個人の経験から引き出される

事物は空間的・時間的な場で同じ部類
に入れられる

逆・補遺的な対立のみ
権威によって真実が明かされることもある
現実の状況が出発点。諸可能性について
考えてから出発するのではない
現実に従属するものとしての可能性
形式的操作期
鉄器時代の商業社会
心は体・自然から切り離されている
思考のあいだには互換性がある
主観的時間と客観的時間の弁別

合法性と真実はべつのもの

分類は空間的・時間的な場には無関係


逆・補遺的な対立が明確に区別される
対話、試行錯誤で真実に到達
可能性が出発点。
あらゆる可能性を考慮し、計画をたてる
すべての可能性のうち、現実は一つの相

6・形式的操作、普遍宗教、個人主義的自己
 ギリシアに萌芽がみられたとはいえ、展開しきった形式的操作期の思考が現れたのはアクシアル・アイアンエイジではなく、ヨーロッパで近代科学が発展したあとのこと。
 psycheが身体、自然から切り離され個人に封じ込められたことが宗教的信条にも投影される。大宗教の創世神話では意識・神が無からすべてを創造する。
 個人主義的自己は社会、自然から独立し、独自の運命をたどる。内部の支配の中枢。
 形式的操作期においては自然界の因果律は物理的/直線状で、アニミス ティック/周期的ではない。宗教では将来のいずれかの時点で神と会うことが前提となり、将来は直線状かつ開けた状態、個人の向上は必要。魔術では周期性なので、過去が繰り返され向上、進歩に意味はない。
 心が刺激とは無関係に観念のうえに観念を築くようになる一方、この変化に応じて神聖なものへの距離が生じ、宗教はますます天空へと抽象的なものになっていく。
 時間を逆行して考えられるようになると、聖俗の世界を論理的に思考する。可逆的に認知できる能力が人生は外見以上のものであるとの宗教的確信の基礎になる。
   可逆的に認知できる能力から内面的な個人主義的自己の形成がなされる。内面に個人の本質を置く。日常の行動のかなたへの思考。
 形式的操作期の考え方だと出発点は現実というより可能態、行動以前に可能な計画をもってくる。神は宇宙のために計画を持つという思考はこの考え方による。
 対照的に魔術的思考では計画に則った宇宙創生はない。計画よりも即興。彼らにとっては可能であることも現実の特別の一例ということになる。
 形式的操作期には、神は完璧に善であり、悪魔は悪、という二元論が現れる。ギリシアではこの二元論が世俗的な形をとる。パルメニデス;一(静止状態、不変、理性による)vs多(常に変わる、感覚による)。ピュタゴラス:数を抽象化して物質を分かつ。プラトンはeternal formと物質を分かつ。二次魔術の農耕社会はこのように極端に世界を分けることはなく、アクシアル・アイアンエイジにはじめて出現。
   神聖な体系に現れた正反対の対立物は個人主義者の心理に対応する。水平な集団主義的社会では、個人と社会のあいだの緊張関係は最小。階層化が進むにつれて大きくなっていく。アクシアル・アイアンエイジになると、宗教の持つ民主性がクロースアップされ、“I”が優勢になる。
 形式的操作期には過度な抽象的推論のうちにあっさり真実がみつからないことがある。すると、ポリスでの討論によって真実を窮めようとする。二次魔術の社会では、真実は個人的な経験、啓示、権威のある者のうちに見出された。ギリシア、初期の科学では、判断や分析といった精神的な特性のほうが想像、直感といった魂部分よりも重要視された。
   アクシアル・アイアンエイジには商業が社会や自然を世俗化し、最終的に社会を支配するようになったため、神聖な体系はよりかなたへ、より超越したものになる。
   形式的操作期には演繹的、帰納的論理が用いられる、つまり全体は部分とは異なる。宗教においても部分(個人)と全体(神)は別個のもの。
 アクシアル・エイジの諸社会はどの程度まで形式的操作期になっているのだろうか。この観点で先端にいるのがギリシア。とはいえ、ソクラテス、プラトンにしても魔術的な思考、前操作期の考え方がみられる。
 もろもろを判断するその仕方で他の文明に比べると;数学、天文学ではバビロニア、幾何学ではエジプト(ピラミッド建設)がギリシアに勝っているが、証明という点(つまり抽象概念のうえに抽象概念を築く)ではギリシアにおよばない。
 青銅器時代の農耕社会の具体的操作期には概念は経験や実用に用いられた。ギリシアにみられる自省という観念はなく、抽象的な哲学体系は議論の余地のない神聖な信条に埋め込まれていた。真実は神々の声が聖なる王を通じて語る。
   アクシアル・アイアンエイジの形式的操作期にあるギリシアで概念は独自の発展を遂げ、さらに思考の過程で自省が発達。思考体系は神聖なものから独立、世俗的なサブカルチャーになると、思考過程そのものについて自己批判的な問いを発する。“刺激と心の関係は何か?”という経験論と理性が含まれた認識論的な問い。
   このほか貨幣、アルファベット、民主主義が出現したが、いずれも抽象思考のレベルを高める。
 とはいえ、過度の抽象化と実験的な方法を結び付けたアリストテレス以前には一人として形式的操作期の思考をした者はなかった。
 判断の過程における変化は農耕社会での労働方法が変わった結果といえる。具体的操作期は最初の農耕社会が現れたBC3,000ころに始まる。インド、中国、ペルシア、ギリシアの普遍的宗教・哲学はBC1,000-BC500.この末期に個人主義的自己が出現する。
 個人主義者よりも普遍的宗教のほうが早く興った理由は天文学、物理学、地質学が心理学以前に始まったのと同じではないか;自己についてよりも身近な事象のほうが研究の対象になりやすい。

7.歴史上での認知の進化:ピアジェとヴィゴツキーの統合
ピアジェ;既出の4段階
ヴィゴツキー:地域的人間関係
        内面化
        全体的人間関係、適用
 ヴィゴツキーの局面とピアジェの段階を結びつけると、ピアジェの段階のそれぞれにおいて、個人はヴィゴツキーの3つの局面すべてを経ていくことになる。

【図8-5】 形式的操作期、個人主義的自己、大宗教

形式的操作期
心は体、自然とは分離


物理的因果律

大宗教
創造神話に意識だけ
サイケは個人のもの

直線状の時間
神聖なものは超越的
個人主義的自己
自己は自然から自立
内部の支配の中枢
葛藤の内面化
時間をかけて向上する

神は諸力やイメージではなく
抽象的
今、ここを離れた法
普遍的な兄弟愛
行動とは分離した内面

官能の抑制

主観的時間と客観的時間
の分離
出発点が可能性を表す



神が宇宙を計画する
神vs悪魔
一vs変化
理性vs感覚
個人vs社会、利己心

真実は事実に反することも
ある
試行錯誤、対話から真実
を抽出


神は外観、イメージを超越

サイケの精神部分の価値大

アゴラでの対話
ギリシアでは科学的方法論
異議
自己を疑う、愛他的
自然、科学、商業を支配



アルベンガ洗礼堂

■第九章 地上での天界の戦い

  スカイ・ゴッドの起源、彗星や小遊星の衝突

1.二次魔術から原始宗教へ
 BC4,000からBC1,000のあいだに、大天災が起こり、近東の園芸社会の力を奪って、そのために他民族の侵入があった。
 BC4,300とBC2,800のあいだに、近東とヨーロッパの園芸社会は3度にわたって、鉄の武器、馬車を使うインド=ヨーロッパ、インド=イラン、アーリア系の遊牧民に襲撃される。彼らは原一神教
 こうした遊牧民が征服した地に居座る場合、既存の権威を獲得しそれを再編成しなければならないうえ、複雑化した園芸社会に天空の神の宗教を根付かせるには問題がありすぎる。首長制は侵入の1,000年前から続いてきた根強いものなので、侵入民族の神聖な体系がそうした社会で受け入れられるはずはなかった。
 これができるのは人口100-300の園芸社会だけ、どのような形にせよ階層はないので侵入者は階層を作りトップの座につく。首長制は存在しなかったが、征服された村人は侵入者たちを血族とは思えない。そこで園芸+遊牧民の社会はヨーロッパの封建社会のようにみえたはず;強要された別個の二社会の共存。
 しかし、何世代にもわたって強要だけで社会を存続していくことはできず、しだいに力関係で勝るグループの神話が浸透していく。非征服者が征服者の神話を取り入れ、本来の自分たちのものを捨てるとき、圧政・差別は内面化する。
 新石器から青銅器時代の文明で園芸・農耕民族の神話は季節の移り変わりをベースに、女神と死にゆく男神というモティーフのものだった。やがて初期鉄器時代の二元論が現れるが、ユダヤ=キリスト教のように、以前から周期的に見え隠れしてきた影の部分を悪魔とみなす。死、暗黒、女性がうさんくさい目で見られる。その結果、創生神話に循環する死も再生も不要になる。周期的な季節のめぐりが直線に変わる。
 インドではインドラ、ダヌーvs ヴルトラVrtra、パレスティナではバールと蛇のLoten、バビロニアではマルデュックとティヤマット。女神は周辺に追いやられるか、太陽神の属神となる。
 ジョゼフ・キャンベル;BC2,500-BC500期のバビロニア神話から四つの相で神の性が転換されていく有様を語る。1)世界は夫のいない女神から生まれる。2)夫から受胎した女神から。3)男性戦士の神によって女神の体から世界が作られる。4)女神の助けなしに、男神が世界を創造する。この理論は興味深いものだが、生態学的、人口学的な面を顧慮していないように思える。4)がアクシアル・アイアンエイジに該当する。BC1,400ころ、エジプトの一神教には遊牧民の侵攻が影響したと考えられる。
 侵攻した階層社会=民族の戦士階級のライフスタイルはギリシアのオリンポスの神々、ゼウス、ポセイドン、ハデスのそれに対応する。戦士階級とオリンポスの神々を仲介するのが英雄だが、英雄は個人主義的自己の原型。英雄が生まれると、二次魔術が退場する。
 青銅器時代の女神たちは当時の人々のPsycheを持つ;集中よりはむしろ拡散し、活動的というよりは受容型、万物に結びつき、自然界において性を持つ。
 そして英雄;死をものともせず、龍を退治し、家庭・習慣といった日常世界を否定し、新たな水平線に向かう。より大きな目標のため、性には疑いを持つ;不安定な形態での宗教・個人主義者。
 完全な個人主義者は社会・自然ときっぱりたもとを分かつ。このように社会、自然と分離してしまった不安を鎮める戦術としての彼方にある宗教。

2.空を荒らしまわるものたち;彗星、小遊星、流星
 青銅器時代の農耕社会では天空での戦いの神話が多い。
 最後に巨大彗星が太陽系に突入したのは20,000年前。
 太陽系に衝突する頻度は? 衝突があったにしても、すでに過去のことだったのでは? この問いに反論する天文学者は多く、残骸が地球に衝撃を与えたとする。

【図9-1】 二次魔術と原始宗教の比較

二次魔術
石器時代・青銅器時代
園芸・複雑化した園芸
農耕社会
BC3,000-1,500
天空と地上の女神・角のある神
(農耕のクニグニ)
女権
自然はあるがまま
両極性;二極が補足的に働く
闇、アニマ、陰の認識

周期的な時間
具体的、感覚的なイメージ
自然はそれだけのもの
比較的平和、共存(園芸期)
集団的自己
集団的自己の神聖な体験
女神;両義的、受容型、拡散、感情的
死にゆく神(オルフェウスなど);
舞踏、音楽、官能性、感覚
習慣、タブー
原始宗教
古鉄器時代
遊牧・園芸

BC1,500-500
多神教・スカイ・ゴッズ

男権
火、硫黄、落雷などが自然の状態に影響
二元性の始まり;二極が敵対
闇、アニマ、陰の抑圧
光、アニムス、陽の強調
直線状の時間
具体的、英雄的なイメージ
自然は方策であり支え
征服志向の集団との結びつきに管理される
個人的自己
原個人的自己の神聖な体験

龍を退治する英雄;感覚、官能性との葛藤

外面に表れる法

3.人類の歴史にみられる空を荒らしまわるものたち
 5世紀の北方蛮族のローマ侵入は寒さゆえという説もある。黒死病の流行にも気温が関係していた。過去10,000―6,000年前のあいだ、人類は安定した最適な気候に恵まれ、もろもろの文明が繁栄した。
 これまでみてきたのは;
 社会の下部構造、基幹部における生態学、人口学、テクノロジー、経済、政治、さらには鉄器、貨幣、アルファベット、頭脳労働、経済的な階級社会、中央集権、クニから帝国へ、といった地上での事象、また個人主義者の出現、操作期に入った認知の仕方といった心理面での発展。
 このほか、BC2,300ころに気候の激変があり、サハラ、死海周辺が乾燥しきったり、クレタ島で人類の歴史初というほど激しい噴火が起こったり、といった地質学的な諸影響もあげられる。
 BC2,500-BC2,000の500年間に、イスラエル、アナトリア、ギリシア、エジプトの古王国、メソポタミアのアッカド、インダス文明などいくつかの大規模な文明が突然消失した
 洪水、大火事、崩れ落ちる天、大爆音、天空での戦争;どの文明の神話にも登場する。青銅器時代には火山の噴火、地震、洪水が度重なったのは間違いないと思ってよさそうだが、天空での出来事の介入をここに見るべきだろうか?
   人類の歴史が始まる前に彗星や小遊星が地球に衝突、その残骸が20,000年前に諸惑星とともに太陽系を運行するようになって、これが災害の原因とも考えられる。
 ストーンヘンジは天体観測所だった? さらにエジプトや中南米のピラミッドも同じという意見の学者もいる。
 神統記に記載されたティフォンとゼウスの戦いは青銅器時代末期BC12世紀ころの天体の異変を写したものではないか? 彗星の残骸が火を吹くドラゴンにもみえる。
 M. G. L. Baillieの年輪年代学による時代と各種災害
 BC2,357;大洪水、堯(ぎょう) ;中国の伝説上の帝王、ノアの洪水
 BC1,623-BC28;彗星の残骸、殷、エジプト脱出
 BC1,159-BC41;地震、アイスランドの噴火(彗星の残骸?)、殷から周へ、ダヴィデの治世
 黙示録、出エジプト記に惨状が表れされているが、天体から被った災難はこうしたものだったのだろうか?
 ヤハウェYahwehという言葉自体、彗星と縁があるという説もある。
 過去の地質現象は現在の自然現象と同じようだったとする(Uniformitarianism)説vs天変地異説。
・青銅器時代の農耕文明を直撃した科学的な災害が原因とすると、古代世界での諸記録はどこまで信頼できるのか。
・これらを証拠とみなすか否か。天空の出来事がスピリッツから神への神話にどこまで貢献しているのか。

4.神話の政治学:神話は幻想か、寓話か、歴史か。
 BC600-BC500までのアクシアル・アイアンエイジには神話に描かれた大災害は文字どおりに信じられていた。黄金時代、堕落、災害、再生から成る周期的な過程は魔術社会のみならず、ヘブライ、エジプト、シュメール、ペルシャ、中国、ギリシア、インド、マヤ、インカ、アズテクなどの大文明にもみられる。psycheが外部にあり自然を含むと考えられていたのもこの一因と思われる。
 大宗教の興隆とともに、psycheは個人のうちに封じ込められるとみなされ、神話も現実を写し取ったものというより、個人の心理―精神的な状態と解釈されるようになる。これとともに神聖なものも感情に左右され予知できないものではなく、冷静で賢明な存在となる。
 ClubeとNapierは、本来、集団間の権力闘争に帰せられる天災論catastrophe theoryの正当性・無効性を検討した。
 アリストテレスは天災論に反対、彼の物理学によると、彗星も単なる気象現象でしかない。
 大宗教天災論には反対し、聖パウロはアリストテレスを援用しキリスト教の教理から大火災や世界の年齢説を除外する。聖アウグスティヌスは黙示録を精神的な寓話とみなす。
   近代ヨーロッパでニュートンは彗星と創世記と融和させるべく努め、太陽系は一瞬で誕生し、その後は常に均衡を保っている、とする。こうして宇宙の不吉な意味は払拭される。
 その150年後にマルクスが神話を社会学的な階級制に必要なものだったと断罪する。
 ユングらの心理学者は神話を単なる寓話とみなす。
 宗教的原理主義者のみが神話をまじめにとる。
 宗教、科学ともに大災害が天空からくるという理論を排除したが、これは社会の上、中層階級にかぎったことで、下層階級は身分に不満なせいだろう、大災害の神話を信じている。
 先端の科学技術を持つ現代でさえ、迷信はあるのだから、魔術社会を脱したばかりの青銅器時代にはあって当然だった。
 天空の大災害は実際に起こったのだろうか?
・物理的な証拠や神話から、たしかに宇宙からの衝撃はあっただろうが、人類の歴史を通じてのことであり古代にかぎったものではない。
・天文学者による古代の天空のシミュレーション、残された記録といった証拠をみると、宇宙からの衝撃以上に徹底的な破壊力を持ったものはほかにない。
 上記の2点を認可するには、古代神話よりも天体の残骸が残したクレーターなどの明確な証拠物件が必要、その理由は;
1)これらの恐ろしい衝撃が起こった時期について口承・書かれた神話に記述はない。BC3,000-BC1,000頃と思われるが、するとシュメール、ヘブライ、エジプトの神話がこの時期に該当する。
2)神話は広域ではなく局地的な出来事を取り扱っている。
3)自然災害の全部が全部神話に影響したわけではない。
4)神話は物理的な出来事とは無関係に社会学的、政治的理由から形成される。たとえば北方から侵入した民族に園芸社会が征服されると、天空の神が神の地位を得、それまでの神々は悪役となって滅ぼされる。
5)ノスタルジア、憧れが神話に反映されることがある。
古代の天空に起こった大災害だけから神話は生まれたのではない。古代人は心理的、政治的な種々の理由から神話を創造した。また黄金時代への憧れは子宮に戻りたいという希求と同じ。しかし、神聖なものの体系は現実に根ざしている。

5.天空での出来事が神を生む直接の原因となったのだろうか?
5.天空での出来事が神を生む直接の原因となったのだろうか?
 人類は歴史が始まって以来、常に天体の残骸からの脅威にさらされている、と主張する天文学者もいる。
 神話を変えるほどの激しいストレスとは? BC3,000-BC1,000のあいだの天体の異常はそれだけの威力を持っていたのだろうか?
   災害の広がった範囲、広まった速度、続いた期間、種類にもよる;火山噴火、地震、洪水、大火災、寒冷化などの被害が広域におよび、それによって生存が脅かされ、労働形態も変わり、食料の再分配などにまで影響がでて、政治経済のシステムも変わる。古い神聖なものの住処(木立、寺院)が荒らされ、その神聖なものの力では道理にあわなくなる。そこで新たなメカニズム(神聖なもの)が求められる。こうした状態が三世代も続くと、神話は変わっていく。
 だが、神話が変化したからといって、スピリッツからスカイ・ゴッズへの変化だったのだろうか?
    青銅器時代には地上の女神、神が主流で、まず女神、その下にパンなど角のある神。初期鉄器時代になるとスカイ・ゴッズが凱歌を上げる。天体の異変とのつながりは? 彗星、霰、嵐はいずれも天空からきて、地震などなどの災害をもたらすので、一見、もっともらしく思えるが、これでは単純すぎる。CubeとNapierは中間項を入れる必要があると考えた。
・スカイ・ゴッズのあいだに戦いが起こる。
・勝ったほうが天空に残って神となり、地上のスピリッツを支配する。
・敗れたものは地上で悪魔となる。
・この悪魔が最終的にスピリッツと融合する。
 キャンベルによると、女性神から男性神への力の推移はBC3,000-BC2,000、ちょうど最初の彗星が出現した時期にあたる。その残骸が墜落して地上を荒廃させ、すでに階層化が始まっていた社会にスカイ・ゴッズの優位を納得させる。 生態、人口、社会的(頭脳労働、金属の道具、中央集権、経済的階層化、貨幣、アルファベット、帝国)な過程、そして心理的な発展(個人主義者の出現、操作期の認知、魔術の衰退)からスカイ・ゴッズが神話の主流となることは前述。そこで、天体の異変がなかったとしてもスピリッツからスカイ・ゴッズへの移行はあったかもしれない。が、嵐や稲光に続いて災害が起こったとすると、天体が地上の生活を支配するという思考はさらに強まった
 彗星、小遊星などがスカイ・ゴッズへの移行の第一の原因とすると、政治経済、技術、生産段階、自己の種類、認知の段階にかかわらず、全世界すべての社会がスピリッツを見捨て、一神教になっただろう。BC3,000-BC1,000のあいだの、中央集権も帝国もなく、商品生産もしない操作期の認知もない社会でも。ただし、階層化のできていない平等社会は別だった。社会的、心理的に受け入れ態勢ができていなかったからではないだろうか。
 上部構造が変化するには、まず下部構造、基幹部のフィルターを透さなければならない。いくら彗星、小遊星による被害があっても神聖なものの体系に影響はなし。 社会によって物理的な出来事(たとえば地震)の受け取り方は異なる;Aは科学的に判断、Bは神々の怒り、Cは魔法使いのしわざ、といったように。
   社会の物質文明による;経済的な階層化、政治的な中央集権、石器か鉄器か、集団主義か個人主義か、認知は前操作期か操作期か。
 初期鉄器時代の宗教からアクシアル・エイジの宗教へ推移した時点で天体に異変はあったのだろうか。CubeとNapierはあった、とする。
 青銅器・初期鉄器時代の神話で神々は荒れ狂い、行動は予知できない。CubeとNapierによると、このころ天空の動きは活発だったという。その後、沈静化されるとともに、新しい宗教はこの変化を反映することになる。大宗教の成立には目に見える天体の変化があってはならなかった。穏やかな空はかなたの慈悲深い神を思わせる。

小聖堂のモザイク画

■第十章 アクシアル・アイアンエイジ

  スカイ・ゴッドの勝利

1・ユニークなアクシアル・アイアンエイジ
 社会構成 下部構造と基幹部:
・規模;青銅器時代とアクシアル・アイアンエイジは数千人単位の大きなクニ。初期鉄器時代の王国は500人以下。
・階層;青銅器時代と初期鉄器時代はカースト制caste、アクシアル・アイアンエイジは階級制度class。
・政治;青銅器時代と初期鉄器時代に比べ、アクシアル・アイアンエイジはいくらか民主化された。
・技術;貨幣、鉄器、アルファベットのおかげで、アクシアル・アイアンエイジになると社会の構成員全員が政治経済活動に参加するようになる。
・経済;アクシアル・アイアンエイジのギリシア。市民は歴史上はじめて財産を持つ。この概念は石器時代、青銅器時代にはなかった。
・聖俗;アクシアル・アイアンエイジ以前はどこでも聖が俗よりも重要だった。
 アクシアル・アイアンエイジのギリシアによって:
・技術、政治経済の変化が、どのようにして哲学と大宗教、前操作期の認知、個人主義的自己を生み出したのか。
・アクシアル・アイアンエイジの生活はそれ以前とどう違っていたか、が例示される。
 アクシアル・アイアンエイジの特徴:
・社会生活の民主化;鉄器、貨幣、個人財産、アルファベット、
・社会生活の世俗化;商業と商品生産、神権政治ではない共和制
・脱神話作用;普遍的一神教、哲学
・社会から個人の分離;個人主義的自己
・心が体、社会、自然から独立する

2.脱神話化と普遍的宗教・哲学
 神話とは:
・生の神秘を説明するためにどの神聖な体系も神話を持つ。
・人生での節目;生死、結婚などで手本にする。
・読み書きのない社会では記憶による伝承。
・太古の天体の出来事に影響を受けた可能性。
・アクシアル・アイアンエイジになると、哲学、宗教が興って下り坂に。
 アクシアル・アイアンエイジ以前の神話とは;
・魔術的世界観の一部。
・集団的自己によって系統立てられたもの。
・前操作期の産物。
 口承の神話世界の住人にとって個人、社会、自然の境界はない。Psycheは自然全体に浸透し、神聖なものは日々の生活の一部になっている。口承の神話世界は客観・主観の前段階にあり、客観的に知られる世俗的な自然もなければ、主観的に知られる個人的自己もない。集団主義者は受身、無批判、過ぎ去っていくイメージに魅了される。認知が前操作期にあるため、外観と実物、幻想と真実の区別はない。
 神話の凋落;
アルファベットの発明で思考は一人歩きを始め、内省(主観性)と世界の描写(客観性)を持つようになる。文字の発明のおかげでアクシアル・アイアンエイジに神話の凋落が始まる。
 哲学と大宗教とともに自然と個人は分かたれ、客観と主観の別が生まれるが、共通しているものは目に見える事物には根本的なキズがあるという意見。そこで世界と心をともに改革したいという願望が起こる;宗教では精神的な超越、哲学では極度の抽象化。感覚の経験などには懐疑的、批判的な個人主義的自己の認知は操作期にあり、外界が神聖であると同時に世俗的であることも理解している。外観は異議申し立てされ、事物の真の本質が求められる。
 アクシアル・アイアンエイジ以前の神話は対人関係、個人の心の中で起こる戦いを表したものなので、複数の力が登場する。創世神話において世界は永遠のものであり、無形のものから形が現れる。カオスは混乱と悪に満ちた無法地帯ではなくあいまいさを表し、闇は可能性を秘めている。
 これに対し、一神教・哲学では神聖な世界での闘争を幻想(仏教)として退けるか、善なる神と悪である悪魔(ゾロアスター教)に二分する。複数の力を認めず、一本化をめざす。
 アクシアル・アイアンエイジ以前の文明が常に、神聖な神話世界にあったというのは誤りで、世俗世界の存在は認知し実用的に利用していたが、神聖な世界のほうがはるかに重要だった。アクシアル・アイアンエイジに世俗世界の価値は大きく上昇する。
・この時期に神話が衰退した一因は前述のように天体の沈静化があげられる。
・魔術と商業が共存できないように、神話も商業と共存はできない。神話的世界観ではあれほど濃密だった血族の絆が弱まったことも衰退を促した。
 自然、社会ともに脱神話、世俗化され神聖なものは社会や自然の外に居場所を求めなければならなくなる。山々、天、あるいは完全に超越的なものになるか。商業は魔術・神話を追放したが、神聖なものは超越的な“彼方”に再度現れる。ただし、神話がきれいさっぱり消えうせることはない。

3.初期鉄器時代とアクシアル・アイアンエイジの宗教と自己の比較
 アクシアル・アイアンエイジはBC600-BC400にあたり、この時期に宗教、哲学、倫理に変革が起こった。ブッダ、孔子、老子、ザラストラ、アモス、イザヤ、ソクラテス。神聖なものは普遍的、抽象的、地上はるか彼方に。
 前提になるものは個人主義的自己、発達した形式的操作期の認知。個人主義的自己と普遍的な存在との結びつき。認知は形式的操作期にあるため、感覚、想像、五感を信用しない。
 世界の6箇所でほぼ同時期に一元論・哲学や一神教が興る。類似の神聖なものが同時に現れると、社会は似たものになるものだが、これら6つはまったく異なる。
 どの文明にも上層部から個人主義者である賢者がでる。
 賢者:共同体、家族との絆を断った、一元論・一神教の信奉者。形式的操作期の初期にいる。宗教的な賢者は来世を信じる。英雄の重んじる名誉などなどは蔑視する。
 英雄;神話的な戦士。鉄器時代初期の園芸社会を支配した貴族の面影を持つ。名誉、勇気、情熱、栄光、名声のうえに築かれた評判によって不死を獲得。
   鉄器時代初期;多神教・天空の神/神話、英雄、個人主義前期、神々は英雄の要素を分かち持つ。
 アクシアル・アイアンエイジ;一神教/脱神話、賢者、個人主義、賢者の要素。
 ヤハウェの例:モーゼなど初期の預言者にみせる面と、後の預言者にみせる面は異なる。しだいに一神教化され脱神話化されていく。初期鉄器時代には唯一の神ではなく、数多い部族神の一柱だった。このころはギリシアの神々と同じように荒れ狂い気まぐれに振る舞う。外面的な法体系である“十戒”。
 ギリシア;一神教は生まれなかったが、多から一へと進化を遂げた。初期鉄器時代には社会を支配する英雄/戦士には“内面”の道徳観はなかった。正邪についての究極の問いを神々に質し、神託いかんでことを行う。原・個人主義者の心情は不安定だった、なにしろ。感情、思考、直感などあるときは自らのもの、べつのときは神託として神々からくるのだから。

 アクシアル・アイアンエイジ以前には罪も罰もなかった。石器時代、青銅器時代には集団主義に支えられた対人関係における、地方的な道徳観があった。アクシアル・アイアンエイジになってはじめて普遍的な道徳観ができ、自己責任で正しいことを行うようになる。この中間にいる初期鉄器時代はトワイライトゾーン。そこで社会をまとめるためにゼウスの雷、ヤハウェの火と硫黄などが必要なのもうなずける。
 ヘブライ;人々が善悪を知るにつれてヤハウェも和らぐ。
 ギリシア;はじめギリシア人は情熱を外部からやってきて取り付く力のように恐れた。“pathos”この言葉は外部から人に“起こって”、コントロールできない病を意味する。 BC5世紀のオルフェウス教では個人の真の性質である内部のpsycheと身体を分離させる。Psycheは罪を犯した罰として身体という異邦に堕ちる。身体の要求が罪へと導き、内面にあるpsycheの究極の目的は身体から離れ、星星の世界で不死を得ること。このような考え方ができるのは個人主義者だけ。
 個人主義者はどのような葛藤があろうと、それを自ら解決することができる。たとえば、性的な衝動にしても、アクシアル・アイアンエイジ以前の社会と違って心理的な葛藤ととらえ、賢者の道徳的判断と内面化された道徳性によって対処する。
 ではスカイ・ゴッドは? 初期鉄器時代とアクシアル・アイアンエイジのスカイ・ゴッドの違いとは?
 初期鉄器時代:嫉妬深い複数の神々がそれぞれ好みの文明を選んだ。前述のようにエリートだけが個人主義者で死を超克できる。神聖なものの時間は周期的。神々はスピリッツのかなたにいるが、二次魔術の神話世界に住む。
 アクシアル・アイアンエイジ:普遍的、包括的。普遍的、包括的であるがために、エリートだけでなく、死を超越した魂・来世は万人のもの。時間は直線で表される歴史的なものと理解され、将来は開けている。初期鉄器時代の神々よりも抽象化される。イメージもない。神の像は偶像として退けられる。
 一神教と個人主義の台頭を詳細にみていくと、社会の成熟や個人の内面の成熟より以上に、外部に向かった適応過程がみられる。
 天体の状態;
 BC2,500-BC1,000に彗星など天体が影響をおよぼしたとすると、それを反映して神々は荒れ狂い気まぐれ。文字どおり、火や硫黄が天から降ってきた。
 アクシアル・アイアンエイジの神が和らいで愛情深いわけは天空が落ち着いたから。
 食糧危機などの物質的な状態;
 生き延びるために満足の先送りをする。道徳的に成熟していったが、そうしなければ生き残りは無理だった。また村では生きていけなくなって町へでると、いやおうなしに、血族以外のよそ者と付き合わなければならない。一神教の教えに“隣人を愛せよ”とあるので、愛さないまでもよそ者を受け入れる。
 初期鉄器時代は封建的・連合・田舎風の社会だったので、神々も複数、田舎ふう、嫉妬深い。
 アクシアル・エイジになると、中央集権が進み、商業が興り、都会ふうで包括的な社会になる。客観世界の究極の姿は普遍的、コスモポリタン、合法的となる。来世は万人のもの、という考えも、死後はみな、どこかへいくという祭司の言葉によりも、社会の民主的な性格により多くを負っている。
 アテネでは鉄器(農民の生活楽に)、アルファベット(下層の者も読み書きできる)、貨幣(より多くの者が商業に関係)のおかげで、市民はごくわずかで奴隷が多数という暗黒面があるにしても、とにかく民主制が広まる。
 初期鉄器時代は前述のようにトワイライトゾーン。アクシアル・エイジになって、一神教は以前の魔術―神話を脱ぎ捨て、神は社会、自然から独立、人々は完全に成熟した個人主義的自己として宗教を体験する。

【図10-2】 アクシアル・エイジへの推移
エジプトではBC1,350ころに王イクナートンのもと、太陽神アトンの崇拝
近東ではBC900-600ころにダヴィデ、アモスのもと、ヤハウェ崇拝
ペルシャではBC700ころにツァラツゥストラのもと、アフラ・マズダ崇拝
インドではBC500ころにブッダのもと、二元論ではない仏教
中国ではBC500ころに孔子、老子のもと、道教
ギリシアではBC600-400ころにソクラテスらのもと、自然哲学

【図10-3】 アクシアルアイアン・エイジとそれ以前の比較

以前
彗星、小遊星による影響
戦士である貴族に管理される
封建的な遊牧・園芸
道具も生産物も支配階級の所有


山々に住むスカイ・ゴッズ、嵐
オリンピアの多神教
ヘブライのヤハウェ
視野は狭い;選ばれた民
個人主義的自己は不安定
英雄、初期のヘブライの預言者たち
神々、女神たちは善悪にそれそれの領分を持つ
外面的な法;十戒、宿命、恐れ、服従
英雄・戦士;偉業、虚勢、征服、冒険。名誉と栄光の探求



前操作期、具体的操作期の認知
単純に生き延びるため以上の生活

来世は少数のもの
アクシアルアイアン・エイジ
天空は沈静している
都市・海運(アテネ)
土地所有の貴族・商人の台頭、世俗文明
道具、武器、生産物が一般に出回る
商取引。貨幣と文字のおかげで物資、知識の流通革命
超越的な一神教
ギリシアの自然哲学、仏教の非二元論
孔子、老子
普遍的;兄弟愛
安定した個人主義的自己
賢者、中期のヘブライの預言者たち
善悪は個人の責任

心の命じるところ、道徳
賢者―祭司;中期と後期の預言者;自省、
自意識、衝動の抑制、謙虚、持続性、よそ者への愛、抑制
商人;力に焦点、推進力、所有欲、征服、
衝動の抑制、意志、理性
具体的操作期、形式的操作期の認知
単純に生き延びるため以上の生活、
自己の向上、人間には特別の運命がある
来世は全員のもの

4.東西のアクシアル・アイアンエイジ
 アクシアル・アイアンエイジの文明〈エジプト、近東、ペルシャ、インド、中国、ギリシア〉をみると、まったく平行関係にあるか(つまり各自が自立)、あるいは伝播がみられる。
 はじめて帝国として中央集権を成し遂げ、文字を発明したエジプト、その1,500年後、やはり中央集権の君主国を作ったが帝国にまではいたらなかったインド。ギリシアの中央集権は近東には伝播しなかった。またギリシアはヘブライ、中国、インドが直面した生態学的な危機には遭遇しなかった。
   アクシアル・アイアンエイジには6つの文明が諸要素を持ち寄ったと解釈すべきかもしれない。たとえば、ヘブライとギリシアがエジプトの太陽神という一神教に影響を受けたように。貨幣、アルファベットにしてもギリシアかフェニキアかインドか、起源は決めがたいが、いずれにせよ出現した。
 中国とインドでも青銅器時代の神権政治が緩み、ギリシアには君主制はなかった。ギリシアはそのまま共和制のポリスに、はじめて個人財産と商業的な社会に発展していく。どの文明も独自のものと他者から伝播してきたものをともに持つ。
 この時期、神聖なものの心理的な差異は? 東西で普遍的宗教の類似点、相違点は? 社会の上層部はみな個人主義者だったのだろうか? 認知の発展度合いは?
 普遍的な宗教は魔術を敵視する
。  西:ユダヤ教、ギリシアの一元論、ペルシャのゾロアスター教、エジプト。エジプトはこの時点でBC14世紀に太陽神の一神教になったとはいえ、他の諸文明よりも青銅器時代の農耕社会に近い。
 東:インドの仏教、中国の儒教と道教。ヒンドゥー教は二次魔術に近いので除外。
 “大”宗教は力の究極の源は単数、西側(ヘブライとペルシャ)は人格神とみるが、東側は人格をもたないものとする。ヘブライとペルシャ、仏教での神は超越的、儒教と道教は内在的。
 ゾロアスター教;
二元論、超越神にもかかわらず自然や事物に好意的な態度、事物は現実、社会は逃れるべき場ではない、時間は直線的。
 ユダヤ教;二元論、超越神にもかかわらず自然や事物に好意的な態度、事物は現実、社会は逃れるべき場ではない、時間は直線的。
 仏教;自然も事物も幻想で気を散らすもの、社会は逃れるべき場、時間は二次魔術に近く周期的、輪廻という輪を逃れること。
 儒教;社会との調和をめざし、そこに自己の場を作ろうとする、時間は二次魔術に近く周期的。
 ギリシア;社会との関係では東側に近い。
 西側の個人の自己には、東側よりはるかに独自性がある。たとえば、孔子は社会に自己を埋没させようとした。老子は社会とは隔絶したが、自然と同化。
 東側の個人主義は世界から離れるという意味ではなく、体から距離をとる、自己規制、自己分析という観点から頂点を極めた。西側ではこうした内面的な部分はもちろんあるが、自然と社会を変えるための活動により関心を持つ。
 ブッダが個人主義に反対だったのをみると、インドで個人主義的自己が開花していたことがわかる。個人は自分の行いに責任を持たなければならないという内部の支配の中枢を持つ。欲望と執着してはならないことを説いたところから、ブッダは個人の内面に葛藤があることを認識していた。解決の仕方から自己分析に基盤をおいていたこともわかる。さらに集団主義的自己を捨て、部族から脱して都市的な人間になるようにとも説く。
 賢者だけでなく商人や貴族といった個人主義者もおり、こちらはインド社会を脅かす存在だった。インドの賢者が対処しなければならないのは1)集団主義からの脱皮、2)上層部の無責任な個人主義だった。
 アクシアル・アイアンエイジの文明で認知の形式的操作期に達したところはないが、もう一息というのはギリシアのプラトンとアリストテレス。道教と儒教は形式的操作期に必須の心と社会とを決定的に分離するには実用的すぎた。仏教が形式的操作期に達するのはアクシアル・アイアンエイジの後だった。

5.事物に関する心の政治学
 創造神話における意識と事物の関係が魔術と宗教の差異となる。宗教の場合、意識は事物からは独立して既存。そこで無からの創造ということに。部族の魔術では神々の交合といった事物が創造の一部に。意識は物質的に扱われる。
 アクシアル・アイアンエイジの宗教は、肉体労働と頭脳労働が分かれ、いずれ帝国となる農耕社会のクニグニに興る。認知は操作期で神話では意識と事物が分離している。 思考と行動が分離していない魔術社会では意識と事物は多かれ少なかれ同等のもの。これが農耕社会になると、上層部は考え、計画し、管理するために“支払いを受けて”いるようなもの、下層部が労働する。
 時とともに、上層部は社会を管理する要領を抽象的思考にも応用するようになり、したがって神聖なものにまで波及、神々は彼らの考えに則って世界を創造することにされる。上層部が権力の座につくと、社会的地位のおかげで持つようになった卓越性を宇宙の動きにまで投影するようになる。こうしたことができるのも、下層部の労働あってのことだが、それは念頭にない。行動のない思考が創造神話における事物の欠如した意識ということになる。
 農耕社会の祭司や巫女の出現とともに、女神や神は事物としての存在感を失い、創造神話で意識と心だけがクロースアップされる。下層民のする手仕事への軽蔑から物質性はますます希薄になる。部族社会では意識は常に事物に根ざしていた。前操作期の心は内面と外部の仲介者ではなかった。これは集団主義の魔術・前操作期の思考法。アニミスティックな因果律。
 意識、心、意味を作る上層部が事実より高次なものとして事実から分かれたことがアクシアル・アイアンエイジの宗教の基盤といえる

6.スカイ・ゴッドの起源について、唯物論的な説明
 唯物論者として;原始魔術か、二次魔術か、宗教か、という社会の上部構造は下部構造と基幹部によって決定される。
 BC6,000-BC500のあいだにスカイ・ゴッドが興るような出来事があった。人口増大と食糧危機に襲われた園芸社会はわずかな土地を巡って争い、勝ったほうの集団が政治・経済面で社会を再編成、以前の平等主義社会は階層化していく。これと平行して大型家畜を益獣をして使用することが始まる。ここから人間の奴隷化まではほんの一歩。階層化社会での首領制のもと、市場で売るための品物を作り始める。
 複雑化した園芸社会で人口を支えきれなくなったとき、鋤が発明され、余剰品もできるようになる。頭脳労働と肉体労働の分化。上層部は頭脳労働のみ、余暇を心の開発・思考に向けられる。貧富の差が階層社会を先鋭化。下層部は労働に明け暮れ精神面で衰退。
 上層部が物質・他人との距離を広げ、抽象的思考に専念するにはアルファベットも大きな助けとなった。こうして大宗教の下地ができる。
 さらに帝国建設もスカイ・ゴッズが興るための要因となる。普遍的唯一神への帰依にはいくつもの社会を統合するほど具合のいいことはない。
 さらにBC3,000-BC1,000には北方から遊牧民の侵入、そして天体からの衝撃。これによって、天空のほうが地上よりはるかに強力だという事実が心に刻み付けられる。
 近東周辺での人口増加。人々は大都市に向かい、よそ者との交流、田舎に残った者たちも家畜の肉を食べるのは控え、労力として使役。肉食はタブーに。
 技術の発達により民主的な要素も大きくなる。ギリシア;個人財産、ポリスの成人男子の民主制、現世で多くの者が政治経済に携われるとすると、後世もより多くの者のために開かれることになる。

【図10-4】 アクシアルアイアン・エイジの
        西側の文明と東側の文明;神聖なものと心理的な次元において

         西の文明では;神―自然、自己―社会、心―体を厳格に区分する。
         東では弁別はするが、相違点を絶対的なものとはしない。

西(ヘブライ、ギリシア、ペルシア)
人格神
超越的な神


二元論;自然と神は袂を分かつ
神と人間、悪魔は宇宙的な力を持つ

事物は実在で人間はそれらを支配
ヘブライ、ペルシャ;行動に自己責任

神の王国が到来するために社会は変革
されねばならない(ヘブライ、ペルシャ)

直線的な時間(ヘブライ、ペルシャ)

世界の歴史は自然から分離
(ヘブライ、ペルシャ)
個は社会から分離
政治を嫌悪
内省よりも行動
東(インド、中国)
神は非人格的
内在的な神
孔子;社会に内在。老子;自然に内在
仏教;超越的
両極性
宇宙的な力を持つ悪魔はない。仏教、儒教
では悪は心理的なもの。道教では社会的。
事物は非現実(仏教)
事物と調和するために自己責任がある
(儒教、道教)
社会は精神的な事象を学ぶ道具(仏教)
社会と調和するために変革することはない;儒教
社会からできるだけ逃避(道教)
周期的な時間。仏教は周期的な時間を拒否するが
直線的時間でもない
世界の歴史は自然に埋め込まれている

個は自然に埋め込まれている
さほど嫌悪しない
行動よりも内省

【図10-5】 スカイ・ゴッドの出現を用意した
             物的条件・発展の年代

前段階
新石器時代早期(BC8,000-6,000)
危機;人口増大/資源の枯渇 集団間の諍い

中間期
新石器時代後期(首長制、BC6,000-3,000)
1.政治的階層(身分関係)の出現
2.男性優位の規定
3.大型動物の飼育
4.商品生産の始まり
危機;人口増大/資源の枯渇 乾燥、原物資の不足、地理的な境界

直前
青銅器(BC3,000-1,500)
5.鋤の発明
6.原物資の増加
7.社会の階層化
8.クニが興る。戦争状態、帝国建設
9.石、粘土、木に変わって青銅を用いた神々の像
10. 神聖文字
11.フルタイムの頭脳労働の始まり
12.労働習慣の二極化。祭司、神権の王には余暇。

危機;
13.近東での人口増大/獲物の不足
14.北からの遊牧民の侵攻
15.天空からの災害;彗星、小遊星、流星
16.自然災害;地震、火山、火事、洪水

アクシアルアイアン・エイジ(BC1,500-500)
17.鉄器の発明
18.アルファベット
19.貨幣
20.政治面で民主制

エチオピア Walloの教会壁画

■第十一章 危険と約束

  スカイ・ゴッドと宗教の遺産

1.社会の進化の流れ;進歩、退化、急場しのぎ?
 スピリッツから天空の神への移行とは何だったのだろうか。
【図11-1】 アクシアルアイアン・エイジを通じての
                社会発展の主要な傾向

17.変化の割合の加速
上層部
16.シンボルによる情報が外部で蓄積されていく(文字が口承による情報蓄積に取って代わる)。
15.前操作期の思考から操作期の思考が現れる。
14.多神教、アニミスムから一神教や一元論が現れる(宗教が魔術や神話に取って代わる)。
13.集団主義的自己から個人主義的自己が出現。
基幹部
12.社会は連邦から中央集権化に進む。
11.局地的だった社会が膨張し、グローバル化していく。
10.物質的富が大幅に増える。
9.国家、共同体の財産だけだったのに、個人の財産というものが現れる。
8.社会内でのやり取りが発達して商業が現れる。 7.以前は政治経済的に平等か、あるいは身分があっただけだったが、階層化が進む。
下部構造
6.石器、木の道具に代わって金属製の道具が現れる。
5.人力のほかのエネルギー(太陽、風、水)を利用。
4.労働の専門化が進む;肉体労働と頭脳労働の分離。
3.社会上層階級では余暇が増える。
2.社会が生物物理的な環境に影響を与える。
1.人口増加

 これを進歩と呼んでいいのだろうか?
   これに対し部族社会の平等な関係だと、人々はより大きな力が持て、人生をより多く思うままに形作れるうえ、自然とも親しめずっと幸せだという退化論者。
 この二者に対して“急場しのぎ”の進化を支持する者は、この流れ(p.299)が徐々に発展していくものの、目的を持ったものでもなければ、補修しなければならない緩やかな劣化でもないと主張。
 人はなじんだものに執着するので、死活のかかった場合を除いて逆向きには進めない
・進歩の場合、流れは必然的で、逆行はできず直線的、しだいに人間の生活は改善されていくようにみえるが、首長制以後、社会の大半を占める下々・農夫の生活程度は以前より落ち込む。
・部族社会の価値観に戻るのもいいのでは? 退化という考え方は支配層の意識的な操作とみなされる? 平等社会で人々は;商工業社会での惨めさと、自然と溶け合って生活する部族社会との対置。周期的な時間は直線的な時間が失ってしまったものを取り戻す。
・急場しのぎの進化は短期の危機を回避しようとするもの;食糧危機にわずかな土地を争うが、結果として技術の向上など、流れは必然的なものでも意図したものでもない。

2.宗教に賛成か反対か
・新異教主義者;20世紀になると、自然崇拝が息を吹き返す。宗教は環境破壊を理論づけ、肉体を蔑視し、中上流階級のみの利益を考える。 ・フェミニスト、反体制派の異教徒はもっと人生肯定的な、魔術的神話的な世界観を求める。
・無神論者(ヒューマニストと社会主義者)は神聖なものに批判的。 ・これに対し、宗教を弁護する者は魔術と違って神は道徳を説き、個人の徳性を気遣い、ヒューマニティを鼓舞する、という意見。

 大宗教の成立と社会的な階層化・男性支配は対応する。原始魔術から二次魔術への転換は社会の階層化にほぼ対応する。
 神が人間の影響のおよばない存在になるのと同時に、階層社会の上層部は下層部の手の届かないものとなる。つまり、階層社会では大多数の人々は自然(食料、生の資源)と社会(政治経済の決定)に近づけない。
 神聖なものは超越的になる。部分的には、スカイ・ゴッヅ、宗教の勝利は大多数の人々が力を失うことを意味する。宗教は下層民の麻薬。マルクス;宗教はspirit of a spiritless world, the heart of a world gone heartless. (精神のない世界の精神であり、心を喪失した世界の心である)
 宗教は分離し階層化する。対人関係の質を高め、広げるとともに、自然との絆は断つ。さらに社会改革を勧める。個人主義の2つの原型である英雄/戦士と賢者は社会の保守的な絆を逃れようとする。英雄は冒険に去るだけだが、賢者は階層や農耕社会の身分制を批判。集団から個人の分離を勧める一方、権威(神or司祭)には服すように諭す。 (他方、部族社会では平等な集団に服し、権威はない)。
 大宗教は自省、満足の先送り、内部の支配の中枢を促す。アクシアル・アイアンエイジの賢者は自己改革のために感情、身体の満足を抑制。アクシアル・アイアンエイジの賢者は、動物ではなく人間であるがために人々に倫理を説く。が、禁止の多い宗教には宗教的理由による迫害などサディスティックな一面もある。
(原始・二次魔術社会では聖なるものに与るとは個人的ではなく集団でという意味。これらの社会には“個人的な自由意志”というものはなく、集団に融合している。個人以前prepersonalの人々の集団によそ者をいれることはできない。自然とは有機的に結合している)。
 宗教的な自己は自省、自己分析(“汝自身を知れ”)によって自らを改造、秘蹟にあずかるごとに変化し、また自然を超えた源泉に結びついている。自省と自己分析によって自らの向上を図る。さらにグループを地方共同体の外(よそ者との付き合い)に拡大していく。そこで知識、思想を含む視野の拡大。また神とのあいだにあるのは有機的なものではなく契約。
 最初の個人主義者がprepersonalな部族から離れるとき、自分でもコントロールできないほどの力を自覚したのではないか。自然、人間との絆を断ち切って漂い始めたのでは。新たに獲得した宗教的な兄弟愛の名のもとに殺戮したこともあっただろう。“自然を超えた”統一体を求めたのも、失った自然、人間との絆の代替物としてだったのではないか。
 宗教が人間に求めるものは;
 個別化せよ、動物以上のものとなり、向上せよ
 人間社会を普遍化せよ
 関係するものを深化させよ

3.個人主義的自己と操作期にある認知の遺物
 集団主義の自己は集団と同等視されるため、愛他的にはなる必要がない。
 個人主義の自己は社会とどう関係するか選択を迫られる。個人の満足を二の次にした禁欲vs寛容に由来する愛他精神。
 二種類の個人主義者;英雄と賢者
 宗教に無縁な個人主義的自己に支配される場合、社会は不安定になり、また貴族や商人による搾取もみられる。反対に宗教的な個人主義者による万人救済の宗教は閉じられた体系でたやすく地方的教条主義におちいるが、商人は外国を旅するので、社会をよりコスモポリタンなものにし、人々の視野を広げる。
 個人主義的自己のマイナス面としては身分に由来する差別があげられる。これは中央集権・階層社会に現れるもので、この二つのおかげでその社会物質的富を余剰物として取り扱うことも可能になるが、少数者の特権にすぎず大多数は締め出される。個人主義者は社会の中の特権的な立場から余暇を手にし、自らを磨き、社会が必要とする以上のものを贈ることができる。大多数の人々にはこの自らを磨くということができない。
 同様に、操作期の認知にもプラス面とマイナス面がある。万人救済の宗教と個人主義の心理的基盤は操作期の認知。
 前操作期の認知では、心、体、社会と自然が結びつけられ、学習は“今、ここで”に限られる。道徳も地方的な集団内にしか通用しないもので、長期の眺望はない。
 具体的操作期では(形式的操作期初期も)心は体、自然、他人と距離をとる。おかげで“今、ここ”から離れることができる。操作期の思考では“深い”過去と未来を熟考し、物理的に目の前になくても広い範囲の空間を隔てた事物を関係づけることもできる。演繹的、帰納的思考。事物に対しては客観的、自己分析ではより主観的になる。 操作期の思考は普遍的な神や道徳を信じる基盤となり、すべての人間を兄弟とみなす。時間は直線的で、自然支配、社会から切り離された自己、内部の支配の中枢を選択し、世俗的な科学が始まる。
   否定的な面としては、自己が切り離された結果、他人への無神経さ、無視があげられる。さらに、普遍的宗教、個人主義的自己、操作期の認知は上部構造だけのものなので、階級社会での個人の生活を疎外する。
 個人主義者本人について考えると、内面では操作期の思考のゆえに欲望と戦わなければならず、外面的には富と社会的階層の出現に伴って自己の利益と社会の利益に引き裂かれる。個人主義的自己は階級社会に現れるものなので、個人的自己と社会的自己が合致せず、必然的に自然、社会と疎遠になる。魔術の時代にはスピリッツは世界にしっかり場を持ち、組み込まれていた。自然な世界は魔法にかけられていると信じることができた。個人が自然と疎外された世界では神もこの世をあとに“かなた”へ。超越的な神は社会にも自然にも違和感を感じるようになった個人主義者の絶望の形態かもしれない。この世に安住の地を見出せない者の慰め。操作期にある心と切り離された体、こうした葛藤の源泉とは無縁な神。つまり、普遍的宗教は人間が自分では与えることのできない別世界とべつの時を約束。
 プラス面としては、普遍的宗教、個人主義的自己、操作期の認知は、個人的な創造力を豊かにし世界をひとつに結びつける。既存の階級社会に疑問を投げかけ、血族のみを重視することのないより高次な社会構成を求める改革を志向、そのために個人の向上が求められる。

【図11-3】 普遍宗教、個人主義的自己、操作期の認知;
          プラスとマイナス

プラス面
普遍宗教
人間の共同体を束ねる
人間の共同体を拡大させる
意図して共同体を作る
社会改革を促進する
熟考と内省を促す
内面の責任を奨励する
個人主義的自己
愛他主義
世俗文化が花開く
他文明の多くの商品

科学的な進取の精神
政治的決断は討論による
他の人々の問題には不干渉
操作期の認知
心が距離をとることで客観性と主観性が促進される
時空に隔たりが生じる
マイナス面

自然から搾取する
諸々異なる他集団への不寛容
女性を除外する
階層性を合法にする
自発性、官能性を抑圧する
権威への服従を促す

人任せ
社会の不安定化
多くの人々の犠牲のうえに個人主義的自己ができる
自然は行き止まりの観がある
政治討論から女性を締め出す
人々は手段にすぎない

距離は肉体、自然、社会への抑制、損害を意味する

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