文化人類学・民族学・民俗学・歴史人類学/ 現代社会・制度
蔵持不三也 クラモチ フミヤ【監修】 /嶋内博愛 シマウチ ヒロエ・出口雅敏 デグチ マサトシ・ 村田敦郎 ムラタ アツロウ【編】 /三枝憲太郎 サエグサ ケンタロウ・ 松田俊介 マツダ シュンスケ・ 前嵩西一馬 マエタケニシ カズマ・ 小堀哲郎 コボリ テツロウ・嶋内博愛・ 松平俊久 マツダイラ トシヒサ・竹中宏子 タケナカ ヒロコ・ 出口雅敏・岡田 彩オカダ アヤ・村田敦郎・ 北村 毅 キタムラ ツヨシ・鈴木みづほ スズキ ミヅホ・ 小林孝広 コバヤシ タカヒロ・林 陽一 ハヤシ ヨウイチ・ 曺 圭憲 チョ キュホーン【著】 ISBN: 9784862090188 [A5判上製]406p 22cm (2007-06-25出版) 定価=本体4571円+税
◎〈イマジネール〉とは、構造化された集団的・社会的想像力のこと。多様な〈文化の生態系〉のなかで作動し、この中で生きる人々の意識や諸活動を突き動かすものとなる。〈エコ・イマジネール〉は、このような想像力の場所的・全体的様相をあらわす概念として造語した。 ◎「多様性の科学」としての人類学は、〈文化の生態系〉のうちに作動する〈イマジネール〉の構造と条件を対象化することで、新たな人類知としての〈イマジネール〉への眺望を拓く。
【目次】 文化の見方に関する試論―緒言に代えて(蔵持不三也) ■Ⅰ=カントリーサイドという空間―ハンティングを通してみたイングランドの空間編成の現場(三枝憲太郎)/フリーウェア慣行の文化生態学的研究(松田俊介)/斜めから「文化」を語る―南からの傾度を以て沖縄を記述する試み(前嵩西一馬)/現代日本における「父親論」の問題構成(小堀哲郎)/人が死ぬということ―死生の諸側面とその関係性について(嶋内博愛) ■Ⅱ=異形の修辞学―近世ヨーロッパの怪物譚にみる自己理解としての文化的手法(松平俊久)/参加者の視点から見た聖人祭―聖ロレンソ祭(スペイン・ウエスカ)における「祭りの経験構造」の分析(竹中宏子)/模倣から創造へ―トーテム動物(フランス・ラングドック)の選択にみられる真正感覚の歴史的変化について(出口雅敏)/『ラ・シルフィード』の音楽から― 十九世紀のパリ・オペラ座バレエ団とデンマーク・ロイヤルバレエ団(岡田 彩) ■Ⅲ=幼児教育の中の宗教と日常的慣習―インドネシア・バリ島の儀礼の所作に関する考察(村田敦郎)/「沖縄病」患者の民族誌─ひめゆりの塔と「復帰」にいたる病(北村毅)/中国・羌族桃坪村―その観光化と文化変容(鈴木みづほ)/フィリピン・パナイ島北部汽水域における漁場の利用秩序―定置漁具タバの設置交渉をとおして(小林孝広)/むら持ち網はどのように持続してきたのか―奥能登大敷網漁業の事例から(林陽一)/祟りをめぐる祭祀と魔除けの民俗的メカニズム―コト八日・境界・まれびと(曺圭憲)
【著者・編者紹介】 《監修者》 蔵持不三也(1946年~) 栃木県生まれ。博士(人間科学)。現在、早稲田大学人間科学学術院教授。文化人類学専攻。著書に『祝祭の構図』『異貌の中世』『ワインの民族誌』『シャリヴァリ』『ペストの文化誌』。論文・訳書多数。本書序論は監修者が主張してきた「文化の生態系」理論を集約したもの。編者および執筆者は早稲田大学人間科学学術院蔵持研究室およびその周囲から出立した若手研究者であり、その結集によって成った論集。 《編者》 嶋内博愛 早稲田大学大学院人間科学研究科修士課程修了、ドイツ・フライブルク大学博士課程(ドイツ民俗学主専攻)退学。博士(人間科学、早稲田大学)。東京大学大学院人文社会系研究科次世代人文学開発センター客員研究員を経て、現在、武蔵大学人文学部准教授。文化人類学・ドイツ民族学専攻。 著書: 「人類学」「謝肉祭」「仮面」『演劇学のキーワーズ』(共著、翻訳・編集協力、ぺりかん社)、「カエルをめぐる象徴性―グリム童話集を起点に」 『象徴図像研究』 (共著、言叢社)、「ヤヌスの葛藤―南ケルンテン地方スロヴェニア系少数派集団の、言語をめぐる〈声〉」『神話・象徴・イメージ』(共著、原書房)、翻訳―J・ラス「ドイツのカルナヴァル」『ヨーロッパの祝祭』(蔵持不三也編、河出書房新社)、A・ウェルチ「グローバル化の危機と大学の国際化―オーストラリアにみられる高等教育の現在」『越境する民と教育』(森本豊富、ドン・T・ナカニシ編、アカデミア出版会)、 論文: 「民間伝承における救済の諸表現―『燃える人』と他界のトポロジー」『死生学研究』(二〇〇六年春号)ほか。 出口雅敏(1969年~) 早稲田大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了。博士(人間科学)。早稲田大学人間総合研究センター助手を経て、現在、東京学芸大学教育学部准教授。フランス民族学専攻。 著書: 「文化の力の追求」『文明の衝突という欺瞞』(共編著、新評論)、「カルナヴァルの熊」 『象徴図像研究』 (共著、言叢社)、「ガヴァシュとは誰か?南フランスの『奴ら』の系譜―『ガヴァシュ』呼称の検討を中心として」『神話・象徴・イメージ』(共著、原書房)、 論文: 「職業として地域アイデンティティづくりを担う人びとの意識―フランス地域自然公園の『公園の家』で働く人びとに対する聞き取り調査から」『生活学論叢』第一一号(二〇〇六年)、「トーテム動物の宇宙と復活するに適している文化システム―フランス・エロー県の『トーテム動物の復活』を事例として」『日仏社会学会年報』第一五号(二〇〇五年)ほか。 村田敦郎(1972年~) 大阪府生まれ。早稲田大学大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。現在、北海道教育大学教育学部准教授。文化人類学専攻。 博士論文: 「〈災厄〉の構図―バリ島東部の黒呪術と祖霊祭祀をめぐる関係性の考察」(早稲田大学、二〇〇五年)、 論文: 「『災厄』の生成と変容―バリ島東部の黒呪術事件のプロセスからの考察」『文化人類学研究』第四巻(二〇〇三年)、「憑依の語りとコミュニケーションプロセス―バリ島東部の事例から」『ヒューマンサイエンスリサーチ』第一三巻(二〇〇四年)、「モノと語りの呪的空間―バリ島東部の事例から」『人間科学研究』第一八巻二号(二〇〇五年)ほか。
【書評】 新たな人類学的イマジネールを構築するための議論へ誘う (原 知章/静岡大学准教授・文化動態論・メディア人類学専攻) 『シャリヴァリ』(同文舘)や『シャルラタン』(新評論)をはじめ、ヨーロッパ民衆文化の歴史と現在を重層的に読み解くことを通じて、その詩学と政治学を鮮やかに浮き彫りにしてきた蔵持不三也。日本の文化人類学に独自の領域を切り開いてきた蔵持が、多くの研究者を育成してきた優れたメンターでもあることを、本書の読者は知るであろう。本書は、蔵持の監修のもと、その薫陶を受けた若き研究者たちによって編まれた文化人類学の論集である。 本書に収められた十六本の論考がカバーする主題は、近世ヨーロッパにおける怪物譚から、現代日本におけるコンピュータのフリーソフトウェア創作活動にいたるまで広範にわたる。分野的にも、狭義の文化人類学の枠組をこえて、民俗学、歴史学、社会学などを横断する広がりをみせる。巻頭におかれた蔵持の「文化の見方に関する試論」をのぞく十五本の論考は、各執筆者の研究傾向や調査地にもとづいて三部に分類されているが、これら多彩な論考の通奏低音となっているのは、人びとが織りなす意味世界の基底にある集合的な想像力、すなわち「イマジネール」の審級を、資料との丹念な対話を通じて浮かび上がらせようとする姿勢である。 たとえば、第一部に収録されている三枝憲太郎の「カントリーサイドという空間」では、近年、イギリスにおいてハンティング(狐狩り)を法的に禁止しようとする動きが活発化するなかで、ハンティングが行なわれる「カントリーサイド」という空間をめぐってせめぎあいつつ、相互に補完しあうイマジネールが活写される。第二部に収録されている出□雅敏の「模倣から創造へ」では、「トーテム動物」とよばれるフランス南部の民俗文化を主体的につくりかえてきたこの地域の人びとの営みの背後にあるイマジネールの変化が析出される。また、第三部に収録されている北村毅の「『沖縄病』患者の民族誌」では、一九六〇年代に、沖縄に対する贖罪と庇護の意識に貫かれた多くの「沖縄病」患者を生み出したイマジネールの機制が批判的に検討されている。 本書のタイトルとなっている「エコ・イマジネール」とは、蔵持が提唱してきたエコ・カルチャー」(文化の生態系)の概念をふまえて、イマジネールの再生産の精妙な機制を捉えるべく新たに考案された概念である。と同時に、エコロジーの語源がギリシア語の「オイコス」(棲み家)であることを想起するとき、エコ・イマジネールという概念からは、新たな人類学的イマジネールを構築しようとするオイコスとしての、蔵持と執筆者たちのあいだで交わされてきた闊達な議論の場が、私には連想されるのである。 巻頭におかれた「文化の見方に関する試論」において、蔵持は、これまで著書を通じて開陳してきた、エコ・カルチャーを鍵概念とする文化読解の枠組と方法論を整理しつつ、つぎのように述べる。「調査対象をテクストとして、そこからどこまで情報を抽出ないし解読できるか、フィールドワークの要諦はまさにここにある」、「史料が語らないもの、語りえないものをいかにして語るか。歴史の陥穽と醍醐味は、まさにここにある」、「つねに脱テクスト化とテクスト化を繰り返す文化の営みを、イマジネールを見据えながら……文化の生態系を析出していく志向だけは忘れてはならない」。こうした蔵持の言葉への応答として編まれた本書は、文化の生態系に仕組まれたイマジネールの機制を明るみにしつつ、新たな人類学的イマジネールを構築するための議論へと読者をいざなっている。