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既 刊

表象交通論/ 文化人類学・民族学・民俗学・歴史人類学

山の生活文化 チチブ ヤマノセイカツブンカ

●秩父 山の生活文化

小林 茂 コバヤシシゲル【著】
ISBN: 9784862090317
[A5判上製]566p 21cm
(2009-10-10出版)
定価=本体4762円+税

§山国の風土と民具・民俗、歴史が織りなす郷土の場所から、近代秩父が背負った命運、その中での生活文化を描こうとした大著。

人は“自然”との交感、取引のうえに、いかに生活文化と人倫を築いてきたかを問う試みでもある。

【目次】
第1部 暮らしの民具学にむけて(秩父の暮らしと文化についての随想;「浦山」と民具学のもう一つの創生)
第2部 農山村民具の伝承と起源(「負い運ぶこと」の民具学― 子ども用セイタの視点から;秩父山村の樹皮製民具;付.ふじっかわの炬火のこと;「黒鍬」雑考)
第3部 近代秩父と「山国」の文化(山岳文学にみる秩父山の風貌;山国の交通― 交通における「深さ」の概念について;「山の資源」と近代化の斜面― 武甲山石灰石開発と水資源;秩父の「社会的たましい」としての生糸;近代と家郷に生きることについて)

【著者紹介】
小林茂(1931~2009年)
埼玉県秩父郡皆野町に生まれる。秩父市在住。専門は考古学・民具学・民俗学。日本考古学協会会員。埼玉県文化財保護審議会委員、埼玉県埋蔵文化財事業団理事、埼玉民俗の会会長などを歴任。本書の校正を全て終え入院。9月2日死去されました。

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【書評】
民俗対象を見る目の確かさ
秩父の近代が抱えた困難な問題が
(工藤元男/早稲田大学教授)
 「本書は秩父の民俗・考古・民具の研究を専門とする著者の、前著『内水面漁撈の民具学』に続く論集である。著者は長いあいだ郷土秩父の調査・研究に従事されてきた著名な研究者であるが、二〇〇九年九月に急逝された。入院直前まで最終校正をチェックしたが、刊行を見る前に永眠されたという。

 評者の専攻は中国史なので、本書を書評するのに相応しいとはいえないが、四川の少数民族を調査していたころ、著者の民俗調査の方法を学ぶため何度か秩父を訪問し、それがご縁の始まりであるので、本文をもって著者の学恩に報いたいと思う。ただ浩瀚な大著なので、詳しく紹介する余裕はなく、個人的関心にもとづく箇所を紹介してみたいと思う。

 第一部「暮らしの民具学にむけて」は、合角ダムや浦山ダムの建設に伴って水没する地域の調査に関する論考である。おりしも世間では八ッ場ダム問題でもめているが、本書で紹介されている女子中学生の作文に心が打たれる。祖母の生家は山の上にあり、小鹿野町合角に嫁いでくる前はきれいな水で雑巾を濯いだことがなかった。ダム建設には反対だが、山の水は「みんなで分けて使うものだから……」と自分に言い聞かせていたという。一九九五年に中国三峡ダム水没地区の雲陽県で考古調査をしたことがある。ここには『三国志演義』の英雄張飛の首が流れ着いたという伝説があり、その廟もあったが、住民ともども山上に移築・移住した。同じ思いで移住したのであろう。

 もう一つの水没地区の浦山は、かつてこの地の調査が民具研究の一つの起点になったところだという。著者は浦山に関する地誌・民俗誌を集め、その調査の歴史的過程を文献学的に検証する。鳥居龍蔵は明治二八年に浦山を調査したが、それは江戸末期の地誌『新編武蔵風土記稿』に住民の状態を「太古の民の風俗」と表現されている記述に注目し、それを調査旅行で読み取ろうとした。しかし著者は「今日では軽々しくは言えない」とやんわりその態度を批判する。これは著者の民俗対象を見る目の確かさを示すもので、中国の少数民族の集落を調査するさいにも留意すべき重要な戒めである。  第二部「農山村民具の伝承と起源」は、セイタ(背負梯子)・樹皮製民具・黒鍬などを検討したもの。とりわけセイタの分類・機能・「運ぶ」ことの民俗学的意味などを、豊富な実測図・写真と共に詳細に分析し、秩父のセイタ文化を世界的視点から捉えようとする。インドなどで撮影されたビデオ記録映画『キャリアーズ』を利用して、「運ぶこと」の定点観測を試みた分析などは、著者の面目躍如たるものがある。  第三部「近代秩父と「山国」の文化」は、主に山国秩父の近代化と交通・道路の問題を扱ったものである。最初に秩父を訪れたときの武甲山の一種異様な姿を今でも思い出す。本書によって武甲山石灰石開発の経緯を初めて知った。それは秩父の近代が抱えざるをえなかった困難な問題を象徴している。

 ところで、国重要民俗文化財の“小林コレクション”を見せていただいたとき、評者は一枚の古文書に気づいた。それは嘉永二年(一八四九)に木地屋藤兵衛が自分の支配所の近江国筒井の公文所から発行してもらったとする往来手形である。木地師などの非農業民が山地を自由に移動することを職祖惟喬親王などに保証されたとする由緒書をもっていたことは、網野善彦氏の研究で知られている。評者の注目している少数民族ヤオ族もまた、同様の文書『評皇券牒』を保持し、華中から華南・東南アジアまで移動してきた。奇しくも東アジアでは同様の山の文化が並行してあったことになるが、提供していただいたこの重要な資料を、残念ながら評者はまだ十分には生かし切れていない。末筆になるが、著者のご冥福を祈ります。合掌。」

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