トップへもどる

既 刊

信と倫理の根源へ/随筆・小説・歌集・俳句集

魚は泳ぐ サカナハオヨグ―アイハアク

●魚は泳ぐ ― 愛は悪

島尾伸三 シマオ・シンゾウ【著】
ISBN: 4862090052
[A5判並製]278p 21cm
(2006-04-10出版)
定価=本体1714円+税

§名作『死の棘』(島尾敏雄)の半球をになった子どもたち、
家族の葛藤に翻弄された子・伸三氏が、率直に、初めて語ってくれた、こころの彷徨。

◆いま、「いい子」を生きる子らの心がわかる、という著者が‥‥‥、
学校のこと、引きこもりのこと、虐待の連鎖のこと、憎しみのこと、暴力のこと、子どものこと、出会い・愛・自由のこと、そして‥‥‥、
軽妙で深い、無類の語りです。

【目次】
一、何が子どもをダメにする
(最初は学校大好き/不幸のはじまり/楽しそうにしていると潰しにくる/いじめを生きる/自由であるために仮面をかぶる/自分を攻撃したものに対しては/みんな嘘ばっかり)
二、見守るだけで
(大人の姿が見えていた/ことばでつぶされない世界/「しぐさ」で覚える/自分で育つ力/手を貸せること、貸せないこと)
三、憎しみと暴力
(「引きこもり」なんて/「虐待の連鎖」なんて/自傷と他殺の倫理/リストカットとか大嫌い、わかるような気もするけど/でも、下手したら死にます)
四、狂気との境
(狂気と醒めていること/失わなかった記憶/人を殴れなくなった)
五、出会い、愛人と、自由と
(出会い/愛人=「セックス」+「友人」/愛人との幸せ/男女は昔のほうが平等だった) 六、魚は泳ぐ
(生きるのに必要なものは少しだけ/第六感を洗濯する)
七、追いせまる情愛と悪
(愛することの悪と、見守ること/追いせまる情愛/「おいしい魂」と悪魔/ヨブの試練への答/憎しみの標的を見定めろ/ヨブの子どもたち)
八、最後に~もしできるなら
あとがき
付・あやこの別れ 文/絵 くのうあやこ

【著者紹介】
島尾伸三(1948年~)
神戸生まれ。写真家・作家。父母は作家・島尾敏雄・ミホ。妻は同じく写真家の潮田登久子。娘・島尾まほは漫画家・イラストレーターとして知られる。家族の日常を描いた写真や自伝的エッセイの一方で、香港・マカオを中心に中国的生活世界を取材しつづけ写真と文によるユニークなガイドブックを出版し親しまれている。
付・くのうあやこさんは、著者の娘さんまほさんと仲良しで、近所の少女。

もどる

【書評】
■(米沢 慧氏評/東京新聞 2006.4.23号)
「怒りや恐怖は自然な感情だが、子どものころにこれらの感情表出が許されない家庭環境にあるとどうなるだろうか。」「小学二年生ころから、歯がぼろぼろになった。高学年になると顔がまがって、嫌なことがあると頭が痛くなり耳は聞こえなくなった。自分は狂っているかもしれない、医者に診せてほしいと父に訴えたが「そう思うこと自体が健康なんだ」とはぐらかされた。その一方で治療を受ける母に連れられてでかけた精神科の先生をだまくらかすことは楽しかった。刑務所の囚人になりたいとも思った。」 「五十年後の現在も、頭がおかしくなったときや喘息のときは、目をつぶって少しずつ過去にもどる。一週間ほど費やして赤ん坊のころまで行ったり来たりすると正気になれる。人は壊れたままの気持ちを自分で修復できる、それは本能としてある、と著者は合点する。」「本書はそんな家族からの切迫した逃走とこころの葛藤が、軽妙かつ深遠に語られる。」「虐待された子が親になって、またその子を虐待する「虐待の連鎖」について。これは虐待を受けた子どものころの自分のからだと、自分が産んだ子どものからだとが未分化なままで、自分の子どもを虐待することが虐待されたかつての光景の再現になっている。「虐待というしぐさ」が身についているのだ。この認識は著者の体験と歩みの到達点を示している。」

■(加藤陽子氏評/文藝春秋 2006.7号)
〈島尾敏雄以前、ニッポンの近代小説は夫婦の愛の描き方のすべを知らなかった。島尾はたった一人でそれに立ち向かった。その島尾を囲む家族は、ニッポンの小説の飛躍的成長のため、神が要求した聖なる犠牲となったのではなかったか、と。〉〈むろん、このような御託宣は、平安な時間だけが必要だった子供には無意味なたわごとに過ぎない。この本は、小説の神が子供に強いた過酷さを、静かに描いている。〉(だが、)〈この本は、伸三少年の哀しみを静かに伝えているだけではない。(中略)『こんなかわいくておもしろいものに対して、あんなにひどいことをやっていた』のかと覚り、両親、ことに母への憎しみを明瞭なことばで綴るようになる。〉〈私がこの本に惹きつけられる理由は、ここにある。家族、同僚、友人、教師、会社、あるいは社会へ、尋常ならざる憎しみを抱えてしまったひとが、その憎しみとどうつきあっていったらよいのか、それを教える。負の連鎖の淵から生還した著者のことばだけに心に響く。〉〈ニッポンの小説の業を背負ってしまった島尾家の不幸の実像を、文学史的興味からなぞるためにこの本を読むのは、もったいない。〉
もどる
■(脇地 炯氏評/週刊読書人 2006.6.23号)
〈資質とはいわば宿命の別名である。その主調音が幼少年期の癒やし難い心の傷にあり、人がそのために終生苦しむとすれば、苦悩の責任は一義的には資質形成にあずかった父母、とくに関与が直接的な母にあるということになる。が、母もまた子育てにかかわる固有の資質をその両親に負うという事情から、追及すれば無限に過去に遡らざるを得ず、責任の所在は宙に浮いてしまう。結局は、当人自身がこの宿命を己の責任とみなして直視し、相対化するほかはない。資質としての苦悩は自力で克服し、癒やす以外にないということだ。資質によって人生が決定されるのでは困るのである。〉〈この中でとりわけ強く印象づけられるのは、生い立ちをめぐる怒りと悲しみを相対化し、普遍的な人間認識につなげようと努める著者の姿勢である。私達は語られる事実以上に、激情と認識の揺れ幅の中に、著者の傷の深さと、それを自ら癒やすべく持続してきた内的な闘いの激しさを否応なく感じ取って、打たれるのである。〉〈随所に父母、とくに母への激烈な怒りが表白されているのも当然であろう。私達は心を痛めながら聴くほかはない。しかし、その怒りの一方で、著者は同時に、激しい感情を自身からはぎ取るようにして考察の対象とし、自分たちを含む人間がなぜしばしばこのような理不尽な宿命を担わされるのかという、普遍的な問いに置き直すのである。答は次のようだ。/「誰だって、本当は自分なんてものはない。小さいころから親や周囲の人から『しぐさ』としてバラバラに受け取ったものをつなぎあわせ、物語に形成して自分だとか人格だと言っているにすぎない」(要旨)/資質というものは自らつくれるものではないという認識であり、辛い資質をできるかぎり点検し、なだめ、自分の意志でつくり直したいという希求の表明であるとも読める。これは、このように自身を相対化した考え方さえ持てるなら、親は己の無自覚な資質を押しつけて、子供を「壊す」ことなどないだろうし、子供の方もまた恨みや怒りを絶対化して、親殺しなど無残な破局に突っ込むことなどなくなるはずだ、という主張につながるに違いない。味わうべき、重い発言だろう。/終わりに近く、著者は、母もまた資質形成期の幼児のころ、寂しかったり辛かったり、苛められたりしたことによる飢えを経験したのである、自分達の受難の遠因は、一つには母のこうした宿命にあったのだ、という理解を述べる。おそらくは文字通り必死だった。己の資質を相対化する作業が、「生」への道につながった証と受け取れる。心に深く刻印された幼少年期の怒りや悲しみが、決して消滅するものではないとしても、である。〉

■(皆川 燈氏評/図書新聞 2006.6.17号)
〈ここには、過酷な少年時代を送った著者にしか語れない、現代の子どもたち、子どもを持っている親たちへ本音のメッセージが綴られている。〉〈ここでは、損なわれた自分をいかに取り戻すかということが語られている。愛は憎しみの源でもあるが、生きる力の源でもある。〉〈韜晦的で、どこか世捨て人的な著者と、熱く愛を語る著者は表裏一体なのだということがわかる。〉

■(芹沢俊介氏/読売ウィークリー 2006.7.9)
「無力な子ども時代に親によってとことん損なわれた場合、その傷は生涯にわたって、深刻な生き難さとなってついてまわる、と述べている。」「親と子のバトルは、必ず親が勝つ。なぜなら、著者に言わせると、子どもは、どんな親でも自分の親だからという理由で、心の中のどこかで好きだから。つまり、ほとんどの親は条件つきでしか子どもを愛せない。反対に子どもの親への気持ちは無条件である。これでは、子どもが勝てるわけがない。」「このような仕打ちをされ続けるとどんな人間になるかを、著者は自分を例に語っている。自分をコントロールできない。愛を信じられない。大人はうそつきで信用できない。ペットを好きになるようにしか人を好きになれない。」「子どもは自分を壊されたくないから、必死で抵抗する。父親に、お母さんと別れてくれ、無理なら、私たち(伸三と妹)を捨ててくれと訴えた。あなたたちといることが、子どもには迷惑なのだと。だが、自分のことしか関心のない父親は、子どもの苦境がわからない。」「著者は後年、一人の素晴らしい女性と出会う。著者の傷は癒やされていくかに見えた。だが、治癒され、修復されたのは外側の皮膚や感覚器官だけで、中身は依然としてシロアリの巣のようにボロボロだという。倒れそうな植物が隣の木に寄り掛かって、ようやく正気を保っている状態だと、自己の今について述べている。読み始めると止まらない、ほんとうは正気溢れる一冊。」

もどる
Copyright(C)言叢社