現代思想/現代社会・制度
ふくもとまさお【著】 ISBN: 978-4-86209-056-0 C1022 [四六判並装]352p 18.8cm (2015-08-03出版) 定価=本体1980円+税
【1】誰も予測できなかった「ベルリンの壁」が崩壊して25年。40年間続いた社会主義の国、東ドイツは消えた。その時、西ドイツはどう動いたか、東ドイツ市民は何を考え、運命にむきあったか。統一後、その経験は何をもたらしたか。●東ドイツ社会を生活の中から見ると、政治的にだけ見た国家像とは違った面を見せてくれる。●ベルリン滞在30年の著者が、東ドイツ市民に、時代をかさねて聴きつづけた、渾身の報告。 【2】西ドイツは東ドイツに「対等の通貨統合」を提示し、東ドイツ市民はこれを歓迎した。●だが、これにより東ドイツの国営企業は壊滅、市民生活は危機に陥った。●東ドイツは新憲法草案を用意したが、採択以前に、西ドイツに実質的に吸収された。●国家の危機と国家相互の危機的な交渉がはじまった時、そこに差しこまれた「正しく見えるもの」がどんな力を振るうか。●本書は、この状況を生きる市民の思いと実態とのずれのあいだにあるものを、市民の語りによってみごとに描き出している。 【3】ナチス政権下のドイツ帝国がおこなった深刻な人間破壊にドイツ市民はいかに向き合うのか。ドイツ帝国がおこなったスペインのゲルニカやイギリス都市への「無差別爆撃」と、連合国がおこなったドレスデンへの「無差別爆撃」。民族絶滅思想と戦争が惹き起こした人間相互の不信と怒りを超える「市民による和解」の試み。
【著者紹介】 ふくもと まさお 1985年東ドイツに渡り、現在フリー・ジャーナリスト、ライター。ドイツ・ベルリン在住。 著書: 『ドイツ・低線量被曝から28年―チェルノブイリはおわっていない』(言叢社、2014年) *ベルリン@対話工房 www.taiwakobo.de
【ふくもと まさお氏 講演 ★学生さんの感想抜粋】 ◆『小さな革命・東ドイツ市民の体験――統一のプロセスと戦後の二つの和解』刊行に際して、夏から秋の2回来日されて、各地大学や市民の方々との8回にわたる「対話」がおこなわれました。「戦後70年となる今年、特に日本の若い人たちとドイツの戦後について話をして対話したかったから」という著者は、戦後とくに東ドイツの激動の時代に遭遇し、その「対話」の重要な経験の実感から、今日本の若い人々の中にその「対話」への芽を感じるとおっしゃいます。今回、横浜・フェリス女学院大学での学生さんたちとの会は、とくに印象深いいものだったとの話をうけて、提出された感想文を抜粋して、掲載させていただくことにしました。一つの感想という小さな声が、どう受けとめられ、ひらいていくか、世界に働きかける身近な通路を実感していただければと思い、収録しました。 2015.9.29 於:フェリス女学院大学、担当教師・高雄綾子先生 タイトル・戦争下におけるジェンダーの問題 ●ふくもと氏の講義で印象に残ったことは、「戦争には人種差別と性差別がある」ということです。私は大学でジェンダー問題に興味を持ち、講義を受けてきました。戦争は人々に「差別」の心を持たせるきっかけでもあると思います。戦争から生まれた差別は多くあります。現に日本もその1つです。差別は世界共通といっても過言ではなく、なかなか拭いきれない問題でもあります。歴史が刻まれると同時に、差別の歴史も刻まれています。私たちがそういった差別心を少しでも拭いきるためには相手を知り、理解することも大切なのではないかと思います。古い歴史や考えにとらわれず、向き合っていく心を持つべきなのではないかと思いました。 ●講義を欠席してしまったため、お話のまとめの説明を聞いていた際、とても印象深い表現が目につきました。それは、「森」のように多様性を持つことで社会を長持ちさせる、という内容のものでした。「森」を例えにした文は私にとって大変分かりやすく、また考え深いものでした。私たちの世界もしくは個人は、多くの問題や価値観を持っているため、互いに完全に理解し合うことは難しいです。ですが、互いの「妥協点」を見つけることで、傷つけあうことなく、人々が皆幸せでいられる「共存」が可能になるのではないかと思います。 ●第二次世界大戦中のドイツに関しては様々な授業で耳にしたことがあったが、空襲体験者についての話を聞くのは初めてであった。また強制収容所の慰霊碑についても、ユダヤ人に対するものと、それ以外の迫害された人々に対するものと分かれているとは思っていなかった。この事実に対して、戦争が終わっても戦時中同様に差別が存在しているように感じる。ドイツは戦争犯罪を犯したのはナチスであり、ドイツでなはいと主張していると聞いたが、それは責任逃れをしているようにしか感じなかった。そんな中、空襲にあったドイツ人とポーランド人が交流していると知り驚いた。自国が空襲を行った土地に赴こうという考えも、加害国の相手と会おうと思った事も、勇気のいる行為のように思う。また和解するのは難しいのではないかとも思った。しかし、実際は和解に成功しており、もう10年以上にもなるという。このように被害国と加害国の人同士が和解出来ていると聞いて、日本も近隣諸国との和解が出来れば良いのにと感じた。戦争体験者の話の中には、何十年も話が出来ず、最近やっと自分の体験を話せるようになった人がたくさんいる。そのような人の話に耳を傾ける事が戦争後の和解へと繋がり、平和への第一歩となるのではないかと考えるようになった。 ●ドイツの視点から見た第二次世界大戦のお話は、今まで聞いたことがなかったものが多く、とても新鮮だった。繰り返してはならないからと、伝承の意味も込めて定期的に議論の話題となる第二次世界大戦について、小中高校時代に散々学んできたにもかかわらず、今まで日本の視点にたった考察しかしたことがなかったことに気が付き、改めて、物事をいろんな視点から考察することの重要性を学びました。 また、授業中に取り上げられた「表現の自由が認められているのはなぜか」というテーマは私にとってとても興味深いものでした。社会が長く持続するためには意見の多様性が必要だからという一つの答えに対して私も同意しますが、しかしその多様な意見をすべて汲み取る形で結論を出すのは極めて難しいという事実に一種の矛盾を感じました。社会は多様な意見により成り立っているのにも関わらず、民主主義によると結局は多数決で物事が決定されていくので、少数派の意見は反映されることが極めて稀なのです。物事を一面から見て決めつけてしまうのではなく、批判的に受容することの大切さを改めて実感しました。
●ブルハチンスカさんはヴィエルニ(ポーランド)でナチス・ドイツの空爆にあいました。兄は犠牲になった1人だった。ドイツから戦争体験者が会いに来ると聞いて、会いたくないと思いました。なぜなら、兄を殺し自分の少女時代を台無しにしたドイツ人だったからです。最初は和解もする気もなく、会いたくもないという感情だったのにも関わらず、だんだんと考えを変えて、和解は、戦争体験者にしかできないといって和解を試みたのも今の社会を気づいていく基盤になっているのではないかと思いました。戦争をどのように伝えればいいのか模索してて、無視されてきた個人の方もいることがわかりました。和解したくないという考えを持っている人も中にはいるのは当たり前です。新しい一歩を踏み出すのはとても大切だと思いました。 今の世界はこの当時に比べたら断然平和であることは間違いありません。平和であることが、幸せで世界がよいものになる基盤なのだと思いました。戦争などはこれから先絶対あってはならないし、一人一人がその世界にむけて、どう貢献する気持ちを持つことができるかが、大切なことだと思いました。 ●私は大学を卒業したのちは、企業で第一線として働きたいと思っています。しかし、女性が思う存分に力を発揮できる環境が本当に存在するのか、不安で仕方ありません。戦争時に女性が守られなかった理由をこうした授業を通し、学んでいくことができると嬉しいです。私たちは「戦争」と言われても歴史上の出来事のひとつに感じてしまいます。歴史の教科書で習っただけで、概要しか知らないことが現状です。しかし、ふくもと氏のように概要ではなく戦争の中身を伝えてくださる方がいらっしゃると、戦争が少し身近なものに感じられ、問題解決に対して真剣に考えることができます。今回お話ししてくださったことを忘れずに、今後は戦争に対して今まで以上に真摯に向き合っていきたいと思いました。 ●ふくもとさんがドイツ人女性の差別について話してくださり、それを聞いて、日本人として私は第二次世界大戦で被害を受けた人々についてもっと知っておく義務があると感じた。私も含め、私と同年代の若者たちは、戦争について知らないことが多すぎると思う。戦争を経験したお年寄りの方々が生きている間に、本人から話を聞き、私たちの次の世代に受け継いでいくことが私たちの役割であると思う。私の子どもや孫の世代になった時には、戦争の悲惨さを知る人が減り、同じような過ちが起きてしまうかもしれないと考えると恐ろしい。 ●講義を聞いて、戦争はまだ終わってないのだと思いました。今だに被害者の方たちの遺骨が発見される、日本は戦後の責任問題を曖昧にしている、そして今また戦争を行える国に着々となりつつある状態です。私たちの世代は70年前のことを経験していないために戦争という物をよく知りません。しかし、私は戦争に限らず無関心こそが一番いけない事だと強く感じます。戦争は今の日本にはありません。だけど世界を見たときに戦争や紛争、貧困問題、差別など様々な問題が起きています。日本においても差別や貧困問題などは関係のない話しではなくなっている状態です。無関心、私には関係がない。そう感じているからこそ、日本ではこのような問題を知る人たちが少ないのだと思います。70年前の出来事、今日の世界で起きている出来事から学ぶべきものがあるのではないでしょうか。そしてそれは必ずしも自分に関係のない話しではないと感じます。無関心、それも1つの差別のように感じます。私自身もこのようなことを言っていますが、実際は無知に等しいです。もっと世界の事を学んでいきたいと強く思える講義でした。とても貴重な体験をありがとうございました。 ●講演を聞いて、「敵国同士の戦争被害者同士の交流」「持続可能な社会には多様性が必要」の二点が印象に残っている。 私はこれまで被害者性ばかりを主張する日本の戦争番組に疑問と怒りを感じていた。自国が行った残忍な所業の数々を報道せず、被害ばかりを強調する夏が来るたびに、「なぜ被害者面ばかり強調するのか」と苛立ちを募らせた。しかし、今回の講義から、被害者の経験談が対立する国の被害者同士のわだかまりを解く術となりうることを知った。 確かに報道番組に見るような「一方的な被害談」は何の解決にもならないどころか、「自国の加害に目を向けず、被害ばかりを主張するとは」と、双方の溝を深める原因の一つになっているとも言えよう。それは近年再び注目されている日本と韓国にも言えることだ。日本では原爆被害者、韓国では元慰安婦といった戦争被害者同士の傷を見せ合うことで、両者を敵国民としてではなく、同じ戦争被害者として受け入れ合うことが、日韓関係の改善及び多様性を受け入れる社会形成の第一歩となるのではないだろうか。 ●ふくもと氏の話を聞いて、まずヘイトスピーチがドイツでは犯罪であるということを初めて知った。私が高校生の時、朝鮮学校に通う生徒が見ず知らずの人から暴言を浴びさせられたり、それに加え、物を投げられたり、制服として着ていたチマチョゴリを切られたりしたことがあったと聞いたことがある。何も罪のない人が、少し違うということだけで傷つくということは悲しいことです。その言動がどれほど重いものなのか、どれほど悪いことなのか伝えるためにも、日本でもヘイトスピーチを行うことは犯罪だとみなすべきだと考える。また、社会の多様性であるために、色々な人の意見がでることによって、社会に持続性が生まれると改めて感じることができた。自分と違う視点の考えがあるからこそ、自分の意見の間違っている点、自分の意見の重要さが伝わると思うのでどの人の意見も大切なものだと考える。私自身、他人と違う意見を持っていると嫌な印象を与えてしまうのではないかと考えてしまうことがある。人と違うからこそ大切な意見であるので、お互いの意見を分かち合うことが大切だと改めて感じることができた。 ●なかなか私たちが普段生活している中では、「戦争」と聞いてもパッと思い浮かぶことは少なく、ほど遠い、あまり関係のないものと思いがちだ。しかし、ふくもとさんのおっしゃっていたように、隣国とどう平和を維持していくのか、戦争体験者の高齢化が進む中で、過去に起きたこの悲惨な事実をどう次の世代へと伝えていくのか、どう私たちの生活に取り込んでいくのか。それらの課題を自覚しなくては、日本においても本当の意味で戦争が終わったとは言えないのではないかと思った。まず私たちは、女性や子供、地元の人たちの努力、差別や不平等をはじめとした歴史の事実を正確に、偏ることのない立場で知り、自分たちにとっての平和なところ、しるしはどこか、平和とはなにか、世界平和ではなく「地元平和」を考えることが必要だとわかった。また、それらを考える上で、社会に多様性や持続性が必要であり、様々な考えを持った人を互いに尊重できる人が必要だというお話が印象に残った。戦争や平和を考えるというと、すごく大きなスケールの話でなかなか難しく捉えてしまいがちだが、自分たちの身の回りから考え、それが間違っていた時には、互いに声を上げていけばいいと聞いて、戦争や平和、差別と聞いたときに受ける印象がこれまでとかなり変わり、もっと身近なものに感じることができるようになった。 ●戦争には人種差別と性差別があると知り、よくよく考えてみたら確かにそうだと思いました。人種が違うために差別され戦争が起きたり、女だからという固定観念による差別やそれらは戦争が終わった今でもまだ残っているなと感じました。平和や発展のために戦争をしているが、それは差別や女性や障害者など立場的に弱いと考えられる人への不平等さによって成り立っているのだと改めて気づかされました。所詮私達に出来ることなんてなにもないと今まで思っていましたが、身の周りの平和や平等に気づき大事にすることや、私に出来ることは考えれば小さなことから少しずつできることはあるのだと思いました。戦争には人種差別と性差別があると知り、よくよく考えてみたら確かにそうだと思いました。人種が違うために差別され戦争が起きたり、女だからという固定観念による差別やそれらは戦争が終わった今でもまだ残っているなと感じました。平和や発展のために戦争をしているが、それは差別や女性や障害者など立場的に弱いと考えられる人への不平等さによって成り立っているのだと改めて気づかされました。所詮私達に出来ることなんてなにもないと今まで思っていましたが、身の周りの平和や平等に気づき大事にすることや、私に出来ることは考えれば小さなことから少しずつできることはあるのだと思いました。 ●追悼だけでなく、自分たちの生活の中に持ち込んで伝える、という内容は私にとって必要なことだとわかっているけど難しいことであると思う。戦争には差別が存在する。戦争において差別をされて亡くなっていく方々はどう思って亡くなっていったのか、周りはどう思っていたのか、差別があったことを知って現代の若者はどう思うのか、それぞれの意見は違うと思う。その意見を話し合う場を設けるべきである。祖父母、両親、友達、身近な人と話し合うことから始まるのではないかと思う。そこから、子や孫に長く伝えていくことが重要である。しかし、いまの自分に意見が言えるとは思えない。ここが難しいのだと思う。私たちはまだ意見を言えるほどの知識がない。しっかりと知識をつけて、問題点を少しずつ挙げていけば自分の意見を言えるようになる。このひとりひとりの小さな行動が重要であると、ふくもと氏の講義から気づき、考えることができた。 ●ジェンダーと戦争の繋がりについて考えさせられました。戦争というと国という大きな規模で判断してしまいがちですが、その国で生きる子どもや女性、また少数民族といった弱い立場の人々に対する差別があったことも語られる必要があると強く思いました。 ●私は従軍慰安婦問題について興味があり、何度も中国や韓国の学生とこの間も話し合いをしていたほどなので、とても印象に残りました。私はあまり人に言うことではないのですが、強姦されたことがあるため、従軍慰安婦や性的犯罪の被害者のトラウマはもう計り知れないものだと思うので、とても印象に残りました。 また、この間本学主催の、ジャパンスタディーツアーに行ってきたのですが、そこで戦争について語りディスカッションを広島女学院大学の学生さんを交えしたのですが、やはりその時の話し合いの時に出たように、戦争を起こさないための工夫というものは後世にどのように伝えるかが肝になるなと思いました。【書評】 ●大日方公男インタビュー/東京新聞朝刊・2015.8.9へどうぞ。 ●太田サトル/週刊朝日2015.12.04日号 1989年。冷戦の象徴ともされた、東西ドイツを分断し続けたベルリンの壁は崩壊、翌年、ドイツは統一された。国のあり方が大きく変わっていくなか、東ドイツの市民たちは、どんなふうにこの激動に向き合っていたのか。 当時、東ドイツの日系企業につとめ、現在もジャーナリストとしてベルリンに暮らす日本人の著者が見た、当時の東ドイツのリアル。旧東ドイツ時代に親しんだ、「おいしくない」食品などを買い求め、失われた「祖国」を感じる東ドイツ市民たちの姿など、当時、東西ドイツを自由に行き来することが許された、リーガル・エイリアンとしての著者の立ち位置ゆえの視点にも新鮮な発見が多い。タイトルにもある、「小さな革命」とは何なのか。なぜ「小さな」というのか。 ドイツ統一から25年。ドイツが東西に分かれた国だったことをリアルで知らない世代も、すでに多く育つ。ドイツに多くのシリア難民が流入し、あらためて国と国とのあり方を考 える機会も生まれた。2015年の秋だからこその一冊である。 (おおた・さとる氏) ●伊豆田俊輔/図書新聞2015.10.10日号 「魅力的な群像劇」「三〇年間の東ドイツと「統一」後のドイツを、東ドイツ市民に寄り添って内在的に理解しようと試みる」 東西ドイツ「統一」とは何だったのだろうか。一九八九年の市民運動のうねりやベルリンの壁崩壊といった光景は、今でも覚えている方も多いだろう。しかしまず確認すべきことは、東ドイツ国家が一九八九年から九〇年にかけて崩壊し、西ドイツヘ編入されたということである。つまり、東西ドイツは対等に合併したのではない。「統一」とは、西ドイツの政治・経済・社会制度が東ドイツ地域へ拡張されることに他ならなかった。 このため現在のドイツでは、東ドイツ時代の独裁的な政治機構に対して、国を挙げて徹底的な追及が行われている。今でもなお、社会のあらゆる面で西が正しく、東は間違っていたという見方は支配的とさえいえる。これは政治的には正しいのかもしれない。しかしこうした見方は、独裁というレッテルを貼って東ドイツの歴史を片付けてしまい、東ドイツ市民の日常生活を見ない浅薄なものになってしまう。こうして、東ドイツの独裁制を倒すのに一役買った市民たちは、皮肉なことにその成果ゆえに、再び歴史の脇役、あるいは語られる対象へ追いやられてしまったのである。 これに対し、著者はこの脇役たちを主体として語らしめて、この三〇年間の東ドイツと「統一」後のドイツを、東ドイツ市民に寄り添って内在的に理解しようと試みている。本書『小さな革命』は、ドイツ在住三〇年の著者の回想と現地でのインタビューによって構成されている。この中で著者は時に狂言回しになり、また時にインタビュアーとなり、東ドイツの人々が一九八九年の体制転換をどのように迎え、「統一」ドイツでどのように暮らしているのかを語ってくれる。 各章の内容を紹介すると、一章では一九八九年の民主化運動の経緯が、ベルリンの壁崩壊(一一月九日)まで描写される。ここではライプツィヒとベルリンの平和運動や市民運動が少しずつ膨らみ、国家機構が決定的な譲歩を余儀なくされる過程が、当事者の市民たちの回想を中心に再構成されている。続く二章ではベルリンの壁崩壊から一九九〇年一〇月の「統一」までの過程が語られる。この過程は、民主化を目指していた市民にとって、ほとんど敗北の歴史であったといってよい。市民運動の民主化という当初の目標は後景に退き、西ドイツの高い生活水準への憧憬と、ナショナリズムの高揚の中で「統一」が果たされたからだ。しかし「統一」後、東ドイツ市民は剥き出しの市場原理の中で生きることを強いられ、幻想は幻滅へと転じるようになった。この体制転換後の市民の苦闘が三章では描かれていている。さらに四章では、「統一」後に旧東ドイツ地域で噴出した、ナチス・ドイツ時代と戦争をどう記憶するべきかという問題が、東ドイツ南部の都市ドレスデンを事例に紹介される。最後の五章では再び八九/九〇年の平和革命を担った活動家へのイン タビューが複数(一九九〇年代中盤と二〇〇〇年代のもの)載せられ、四半世紀前の出来事を総括することとなる。 ベルリンの壁や東西ドイツ「統一」に関する研究や報道、回想録は夥しく生まれており、日本語でも多数読むことができる。しかしながら本書の特色は、なによりも約三〇年間のドイツ滞在を生かして、激動の時代を生きた多数の人々を追い続けたことに求められよう。この長期スパンによる分析と多声的に響き合う市民たちの語りが、本書に類書にはない魅力と説得力を持たせている。 これが本書の概説であるが、以下でないものねだりをさせていただく。本書では東ドイツの生活を分かりやすく伝えるためか、高度成長期前の日本が(しばしばノスタルジーを込めて)類比に用いられている。しかし、本書で触れられる過去の日本社会像は、ほとんどが著者の個人的回想に頼った記述になっている。これだけでは、東ドイツと日本の根本的な差異を見逃し、著者の意図を誤って伝える危険がある。類比をするのであれば、その精緻化か望まれる。もう一点は、本書が学術的体裁を整えきれていないことにある。望ましいのは、インタビュー部分と回想、二次文献による説明、自分の主張を可能な限り典拠を示す形で明確に分けることである。巻末に挙げられている文献表を活かし切れていないのが残念である。もちろん、学術的な正確性は本書の狙いではないのかもしれない。だがそれならば一種のルポルタージュとして描き切って欲しかった。ジャンルとしてやや中途 半端である感は残る。 しかしながら、著者はまえがきで「東ドイツ市民の生活をほんの少しでもいいから伝えること」を本書の狙いとしており、その目的は十分に達せられている。『小さな革命』は、独裁か民主政かで議論を止めるのではなく、東ドイツにおける市民生活と政治との関係性、「統一」後のドイツの社会構造を理解するための糸口を提供してくれる、四半世紀にわたる魅力的な群像劇となっている。 (法政大学兼任講師・日本学術振興会特別研究員)