表象交通論/現代思想/現代社会・制度
渡辺公三 ワタナベコウゾウ【著】 ISBN: 4905913861 [A5判上製]500p 21cm (2003-02-26出版) 定価=本体3800円+税
◇自然権としての「掛けがえのない個体」と、近代システムが創出した個体識別と登録による「個人の同一性」とはどのように異なるのか。個体の「司法的同一性」の技術は、国家が法の範囲内で個人に保護を与えるとともに、登録によって同定された個人を識別し、制御し、追跡し、告発し、拘束するための基礎である。 ◇身体計測の人類学にはじまる同定・識別・登録の技術は、いかに近代国家システムの根幹を支える技術として生成し、指紋法からDNA鑑定法へと展開してきたか、その思想的系譜と技術の発見、技術の洗練・展開と制度化、世界への波及の歴史をはじめて精細に明らかにする画期的労作。 ◇現在各国で急速に進められている個人識別票の電子カード化は、「司法的同一性」の世界的一元同定化の究極のすがたを示唆している。
【主な目次】 序 章 西欧における同一性の系譜 《第一部 人類学と行刑学のあいだ》 第1章 ベルティヨンと司法的同一性の誕生①~不肖の息子 第2章 ベルティヨンと司法的同一性の誕生②~公僕の務め 第3章 ベルティヨンと司法的同一性の誕生③~地下室からの眺め 断章一 「自己」という未知の世界~「免疫の意味論」から読み取れること 断章二 布に織りこまれた精神と歴史~「衣服の精神分析」、「悪魔の布」、「マドラス物語」を読む 断章三 いつまでも他者に触れることをあきらめないために~「考える皮膚」書評 断章四 ド・クレランボー~布と熱情と死 《第二部 個体―市民社会の光学》 第4章 近代システムへの〈インドからの道〉~あるいは「指紋」の発見 第5章 顔を照らす光・顔に差す影~写真と同一性 第6章 スフィンクスへの問い~コンプレックス以前のエディプス、エディプス以前のフロイト 補章一 ポール・ブロカ『頭蓋学の手引き』~死を見失わせる実証主義の「死者の書」 《第三部 群集・兵士・原住民~市民社会の暗闇の斜面》 第7章 帝国と人種~植民地支配のなかの人類学的知 第8章 人種あるいは差異としての身体 第9章 一九世紀末フランスにおける市民=兵士の同一性の変容 補章二 人類学と徴兵制 断章五 旅する狂気 《第四部 日本への刻印》 第10章 戸籍・鑑札・旅券~明治初期の同一性の制度化と川路利良の「内国旅券規則」案 第11章 「個人識別法の新紀元」~日本における指紋法導入の文脈 第12章 指紋と国家~管理と差別の交差する場所 終章 西欧的同一性は解体するか~技術とその限界
【著者紹介】 渡辺 公三(1949年~) 東京生まれ。東京大学社会学研究科文化人類学専攻博士課程修了。国立音楽大学講師を経て、現在、立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。 著書: 『身体・歴史・人類学1―アフリカのからだ』『身体・歴史・人類学2―西欧の眼』 (2009年、言叢社)、『闘うレヴィ=ストロース』(2009年、平凡社新書)、『司法的同一性の誕生―市民社会における個体識別と登録』(2003年、言叢社)、『レヴィ=ストロース―構造』(1996年、講談社、2003年再刊)他。 訳書: 『食卓作法の起源』(『神話論理3』レヴィ=ストロース著、2007年、共訳、みすず書房)、『ホモ・ヒエラルキクス』(デュモン著、2001年、共訳、みすず書房)、 『個人主義論考』 (デュモン著、1993年、共訳、言叢社)、『国家に抗する社会』(クラストル著、1987年、水声社)他。
【書評】 (栗本慎一郎氏/産経新聞 2003.6.8) 「著者の研究はまことに克明で個々のエピソードや登場人物論にも切り込みが深く興味深いが、この書に込められる厖大な事実の中から立ち上がってくるものはもっと強烈である。」「元来は自然人類学的課題であった身体の断片による同一性の確認が市民社会の本質論の重要な柱の一つになるという予測をもたらすものだ。」「指紋が結局は裁判や犯罪捜査のみならず、身分証明の決め手に用いられた(今でも住居や車のキーレスエントリーで用いられる)ということは、これが法の執行と本質的に関わっていることを示す・したがってこれは法社会学の重要な新テーマであり、身体認識論を含むから法哲学についてもそうである。」「重厚な研究書であるが、人類学、法社会学、法哲学、身体論に関心のある人には一般的読み物としてもぜひお勧めしたい。」 (板垣竜太氏/インパクション 2003.6号) 「目の前に一人のヒトが立っている。その表情からも、しゃべる言葉からも、「お前は誰だ?」という問いに対する答えが得られない。そんなとき、いかにしてそのヒトから、答えを引き出し得るのか。本書が跡づけるのは、そうした「お前は誰だ?」をめぐる知と技術と権力の絡まり合った歴史である。」「本書の主要なモチーフは、そのヒトがどんな顔貌や表情をしていようが、ことばでどんなことを語ろうが、それを一切信用しない(あるいはそもそも理解できない)ところから、いかにして目の前にいるこのヒトを識別できるのか、という試行錯誤がはじまる大きな契機が、19世紀ヨーロッパにおける「市民社会」の「外部」との出会いにあったということである。」「このような「外部」に位置づけられる「群れ」の「個体化」と同時に立ち上がってくるのが、「市民社会」である。フランス第三共和制のもと、徴兵され、選挙権をもつ「市民」が司法記録制度によって精密に登録されはじめ、「非市民」としての犯罪記録票との緊密な連絡を開始する(第九章)。それは「市民」とはどのようなん「人種」なのかという問いにもつながっていく(第七、八章)。」「もう一つ、本書には、ある重要な問いが提示されている。それはこうした「群れの個体化」として登場した知識体系にどのように抗うのかという問いである。本書では、デュルケームやモースのような「穏健社会主義者」たちが、ブローカ、ベルティヨン、ゴールトンといった「人種論的人類学者」と対峙する過程で、新たな社会学や人類学を構築していったことが示されている。本書では触れられていないが、後に文化相対主義を確立するアメリカ人類学もまた、優生学との対峙から発生している。もちろんそうした対抗知もまた、nationや文化といった別の新たな同一性概念を基礎としていたところに大きな限界があったし、著者もその問題を十分に認識している。にもかかわらず、そうした連続性だけに注目して、結局は同じ系譜なのだと簡単に切り捨てないのは、おそらく今日あらたな装いで登場している「人種論的人類学」に、いかに抵抗の線を引くことができるのかという問いに向き合うためではないかと、私は考える。」 (菊地 暁氏/京都新聞 2003.9.8) 「アイデンティティー。「私らしさ」という意味で用いられるが、原義は「同定」という意味にかかわっている。この言葉に反感をもつ人は少ないだろう。とはいえ、私探しという言葉が暗示するように、それは強迫観念のように私たちを急き立ててもいる。私たちが生きているのは、そんな時代だ。」「はたして「そんな時代」は、いつ、どこで出来上がったのだろう。本書で遺憾なく発揮されている透徹した観察と思考を暴力的にまとめるなら、それはほかならぬ「近代市民社会」である。」「今日、グローバル化により高速化・大量化する人の流れは、セキュリティーの不安をますます高めつつある。DNA鑑定やIT技術の革新は、個体識別に新たな局面をもたらすだろう。」「きめ細やかで冷酷な「アイデンティティー」の牢獄。私たちが生きているのは、そんな時代だ。」 ◎ほか、書評多数。