現代思想/現代社会・制度/歴史系/地域史・地誌/文学
羅 英均〈日本語〉ラ エイキン〈韓国語〉나영균 ナ・ヨンギュン【著】 堀 千穂子 ホリ チホコ【訳】 ISBN: 978-4-86209-057-7 C0036 [四六判上装]260p 19.4cm (2015-10-10出版) 定価=本体2600円+税
《新橋洞の家から》 清朝満州奉天(現、中国遼寧省瀋陽)からソウルに戻った父は、景福宮奥の西側にあって日本人が多く暮らした新橋洞の家を買った。景福宮の裏手には、のちに大統領府「青瓦台」ができた。 ◆「私は13歳の時この家に移って来た後、87歳になる今日まで75年間棲んだ。その間に、新橋洞の家は幾度かの修理を経て今日に至っている。暖房だけ見ても、初めは薪をくべ、その後無煙炭から煉炭に変わり、その次には温水ボイラーからガスボイラーへ移っていった。1階にある5つのオンドル部屋は、築90年の歳月を過ごすあいだに韓国の燃料の変遷史を全部経験したというわけだ。 燃料の変遷だけでなく、この家は数多くの歴史的な事実も目撃してきた。太平洋戦争、日本の敗北、朝鮮戦争、4・19、5・16クーデター、12・12事態などを経ながら、私と一緒に生きてきたといえる。 ◆「解放直後、政治に身を投じた父の友人たちは、韓国民主党(韓民党)の発起人として党の組織づくりをこの家で話し合った。父は初め韓民党に入ったがすぐに脱党し、その後政党とは縁を切って、事業に専念した。趙素昻(チョソアン)氏は、父を訪ねて来た折りに私をみて「君は公民(コンミン)(父の号)の娘だね、父さんにそっくりだ」と言った。申翼煕(シンイッキ)氏も父と親しく、彼が入院した時、私は父と見舞いに行ったことがある。有名な方々だったが、私にはみな優しいおじさんだった。」 ◆「李承晩(イスンマン)博士が一時住んでいた敦岩荘(トナムジャン)の主人の張震燮(チャンジンソプ)氏は、朝鮮戦争が勃発し、ソウルが人民軍の手に陥落するや、彼らからの迫害を避けるためにわが家に避難して来た。しかし2日目の夜中に、土足で押し入った人民軍に捕まり連れ去られ、銃殺されてしまった。」 ◆とつじょ北朝鮮軍がソウルに侵入するなかで、著者は結婚し、夫は北朝鮮軍に連行される途中、下水に飛び込んで難を逃れ、新橋洞の家の屋根裏に隠れて過ごした。 ◆夫・全民濟は、化学技術者の夢を追い、韓国の石油化学コンビナートの創設、化学工場の建設技術をリードする全エンジニアリングと新韓機工建設を立ち上げたが、二度にわたって、時の政権による政策によって撤退を強いられた。だが、ふたたび全インターナショナルを設立、科学技術者としての夢を生涯追い続けた。 《英文学の視線》 ◆「私が韓国人でありながら16歳まで日本人だったという、二重性」、「韓国語を聞き取ることはできても、うまく話すことができない」、「ハングル文字もわからなかった」。 ◆「英語と漢文は、学問のためになくてはならない2本の足である」という父の言葉に導かれ、著者は戦争のさなかも英語を一人で勉強し、戦後は梨花女子大に学び、米国に留学し、「ジョセフ・コンラッド」の評論で博士学位を得た。 ◆コンラッド。「外国に占領された国の生まれであること、父親が独立運動家だったこと」、「母国語ではなく外国語を使わなければならなかったこと」、「彼には悲劇的な歴史を体験した人だけが表現できるペーソスがあり、国を出てきた自身の過去が紡ぎだす良心の葛藤があった」。 ◆科学技術者として韓国化学工業の発展に尽くした夫君、英文学研究と教育を通じて韓国に新たな文化の地平を育んできた著者との二人の旅路、「私たちの旅路が何処まで続くかはわからないが、……どんな状況の中でも自分に正直でありたい。」
【目次】 一、植民地から解放されて(1945-1948) 1.解放がもたらした混乱(天皇の玉音放送/内なる二重性/韓国人であることを実感した日/フレンドリーな米軍兵/敵産家屋/マカオ紳士/パーマに黒いビロードのスカート姿の女子大生/梨花女子大学の前身/日本語から韓国語への転換/混乱する言語/創氏改名) 2.左右、南北に引き裂かれたわが国(混迷を増す政局/左翼側の動向/李康國氏と金壽姙氏/四か国による韓国の信託統治が決議される/父の友人たち/英語の授業に失望し、転校する/梨花女大英文科に再入学/相次ぐ暗殺事件/大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の政府樹立) 二、大韓民国政府樹立(1948-1953) 1.李承晩時代の幕開け(麗水・順天反乱事件/不便な電車通学/鄭芝溶先生/李承晩大統領の基本政策/フランチェスカ女史/朴マリア先生) 2.夫との出会い(とつぜん舞いこんだ縁談/お見合い/金活蘭梨大総長に婚約の許可を願いでる/婚約、彼はわが家に日参/李仁洙先生) 3.6・25(ユギオ)(朝鮮戦争)(金日成率いる朝鮮人民軍の侵攻、占拠/情け容赦のない北の施政/銃口を背中に押しつけられて/マッカーサー将軍を極東司令部総司令官に任命/緊迫した状況下での結婚式/人民軍に逮捕、連行された夫/命がけの逃亡/安養へ避難/羅一族の郷、芬川へ/マッカーサー仁川上陸作戦の成功/芬川からソウルへ/1・4 後退、中共軍介入で国連軍後退/夫が北の興南工業地帯視察団の一員に/ソウルから釜山へ避難/金活蘭梨大総長の外交活動/長女、秀現誕生/右耳の聴力を無くした夫/石油工場の必要性を李大統領に進言/休戦協定締結へ) 三、休戦協定締結(1953-1959) 1.再びソウルへ(廃墟と化したソウル/守られた梨花女子大学の建物/シェークスピアの真価に目覚めた大学院での勉強/二女秀庸の誕生) 2.米国留学(幼子二人を母に任せてアメリカ留学へ/望郷の思い/本と格闘したカンザス大学での学生生活/一年間の留学を終え、帰国) 3.母校の教壇に立つ(世界文学全集の翻訳者の一員になる/韓国の翻訳事情) 4.秀現、国民学校に入学(梨大付属国民学校/父の思い出) 四、政変(1960-1965) 1.李承晩の下野と朴正熙の台頭(三選狙い不正選挙/馬山で大統領選挙無効を主張して大規模デモ/不正選挙糾弾のうねり拡大し、4・19学生革命へ/三女松美誕生/短命だった尹普善政権/陸軍将校らによる5・16軍事クーデター勃発/国家再建最高会議発足) 2.軍事政府と経済開発(経済開発五か年計画起草/孤軍奮闘する夫の努力が実を結ぶ) 3.大韓石油公社の設立と精油工場の完成(石油事業成功のために粉骨砕身する夫/金玉吉氏が梨大新総長に就任) 4.韓国の教育事情(長男成斌誕生/子どもたちの受験勉強) 五、朴正熙の時代(1963-1979) 1.朴正熙政権の産業化政策(朴正熙氏大統領就任/ベトナム戦争への軍隊派兵/日韓基本協定締結へ/梨花女子大でも反対デモ) 2.シェークスピア生誕四〇〇周年(記念講演会で通訳の大役/さらに二度の講演通訳/金活蘭先生のご逝去/臥牛アパート崩壊事故/北朝鮮による青瓦台襲撃未遂事件) 3.夫の石油公社辞職(石油化学工業育成の夢を断たれた夫/嘘の報告で誹謗中傷された夫/アメリカ・ヨーロッパへの旅/全エンジニアリング会社創建) 4.オイルショック(突然の原油価格引き上げ宣言/夫がサウジアラビア特使団の一員に/度重なる外交の失敗/朴政権の言論弾圧) 5.博士学位取得とアイルランドへの旅(新聞にエッセーを書く/陸英修大統領夫人の死/博士学位を取得/ジョセフ・コンラッド/外国語試験と論文審査/アイルランドを旅して/由良君美教授、そして四方田犬彦氏との出会い) 6.朴政権の終末(米国との緊張関係/高まる朴大統領に対する批判の声/朴正熙大統領射殺事件) 六、全斗煥の時代(1979-1988) 1.クーデターで継続された軍事政権(朴大統領の葬儀/梨花女大第三代総長/12・12軍事クーデター/光州民主化運動) 2.学会にて(金玉吉先生と金東吉先生/四君子教室/国際シェークスピア会議での出会い/英語英文学国際学術大会での出会い) 3.破産(国保委の発足と海外派遣建設企業についての新法令/社屋ごと会社を譲り渡し、再出発) 4.数々の事件(全斗煥大統領の施政/アウンサン廟爆破事件/三清教育隊/富川警察署性拷問事件/ソウル大生、朴鍾哲氏拷問致死事件/六月民主抗争と盧泰愚大統領/大韓航空機爆破事件) 七、ソウルオリンピック(1988) 1.初のオリンピック開催(オリンピック政府会議の一員になる/一五九か国が参加したオリンピック大会) 2.外国と韓国(韓中国交回復/仕事を求めて来韓する中国僑胞たち/韓流ブー/シベリアのノヴォシビルスクを訪ねて/シベリア鉄道でモスクワへ/美しい都、サンクトペテルグルク) 3.五〇年ぶりの瀋陽(生まれ育った街/壮大な中国の旧跡) 八、子どもたち 1.娘たちの結婚(長女・秀現/次女・秀庸、婿・李壽檍の死/三女・松美) 2.生と死(初孫の俊宇/天国に召された俊宇/一人息子・成斌、孫のマヤ) 九、金泳三の時代(1992-1997) 1.金泳三第一四代大統領(議員資格剥奪、自宅軟禁を経て/一九九二年、大統領に就任/朝鮮総督府建造物の取り壊し撤去/歴史が刻まれた建物) 2.韓国英語英文学会(梨大で過ごした四五年間/韓国英語英文学会の活動/会長として迎えた学会設立四〇周年記念行事/寄付金集めに奔走/学会初日に聖水大橋崩落事故/記念行事、成功裡に終了) 3.母の他界(転倒し、骨折する/悲しい母との別れ/三豊百貨店倒壊事故) 4.大統領の息子(息子賢哲の数々の巨額不正行為) 一〇、停年退任して(1995-2003) 1.初めて家事をする(苦手な家事/悪戦苦闘したキムチづくり) 2.研究室(自分だけの空間) 3.金大中政権(金大中氏、第一五代大統領に就任/波乱万丈の政治家人生/金大中大統領の業績) 4.金大中大統領の息子たち(息子たちの不正行為/社会に深く根づいた悪習) 5.米軍装甲車女子中学生轢死事件(無罪判決に反米感情高まる/金大中氏の政治姿勢) 6.机に向かう日々(著作、翻訳活動をはじめる/六二年ぶりの同級生たちとの再会/韓国、春川への旅 212/友と日本各地を旅行) 一一、廬武鉉の時代(2003-2008) 1.廬武鉉第一六代大統領(予想外の選挙結果 217/廬武鉉という人物/盧武鉉氏を取り巻く不正疑惑/岩崖から投身自殺) 2.新橋洞の家(韓屋での暮らし/両親が選んだ家、その歴史/新橋洞で暮らして七五年/移り変わるソウルの街) 一二、李明博から朴槿惠の時代へ(2008-2015) 1.ソウル市長から大統領に(清渓川の復元工事/ソウル市内の交通体系を改善/経済界から政界に進出/米韓牛肉協定反対騒動/経済危機からの脱出に成功/四大江の整備事業) 2.第一八代朴槿惠大統領(韓国初の女性大統領/信念と決断の人) 3.人生は旅路(哀愁漂うアルハンブラ宮殿/美しいフリヒリアナの村/ピカソ出生の地、マラガ/闘牛発祥の村、ロンダ/コルドバ歴史地区) 4.日本東北、震災への旅 5.共に老いる 後記/訳者あとがき
【著者紹介】 羅 英均(1929年~) 清朝満洲の奉天(現在の中国、遼寧省瀋陽)に生まれる。ソウルの梨花女子大学大学院英文学科博士課程修了。博士論文は「ジョセフ・コンラッドの審美的距離」。韓国英語英文学会会長、現代英米小説学会会長、シェークスピア学会編集理事等を歴任。1994年、国民勲章牡丹章を授与される。 主な著書に『コンラッド研究』、『戦後英米小説の理解』、『バージニア・ウルフ』、『ジョセフ・コンラッド』、『ジェームズ・ジョイス』、エッセイ集『眼鏡越しの世界』、主な訳書に『ダロウェイ夫人』、『若き芸術家の肖像』、『闇の奥』などがある。 日本での著作として、『日帝時代、わが家は』(小川昌代訳、みすず書房、2003年2月刊)があり、本書は、前著に続く戦後の家族の歴史であり、独裁政権が続いた韓国の激動の歴史を書きつづる同時代の記録でもある。
【訳者紹介】 堀 千穂子 神奈川県川崎市在住。韓国語講師、同人誌『鳳仙花』副編集長。 主な訳書に、『全泰壹評伝』(共訳、2003 年、つげ書房新社)、『オンマハッキョ』(監訳、2008 年、つげ書房新社)、全民濟著『韓国石油化学工業の曙―全民濟の挑戦』(2012 年、つげ書房新社)がある。
【書評】 ●桜井 泉/朝日新聞夕刊2016.1.12「東アジアの窓」、全文 「韓国の英文学者・羅英均さん、半生を本に」「激動の戦後韓国、生き抜いた家族」 韓国の英文学者で梨花女子大学名誉教授の羅英均さん(87)が、半生を描いた『わたしが生きてきた世の中』(言叢社)を出版した。日本の植民地支配下に生きた父母や自らの幼い頃を書いた『日帝時代、わが家は』の続編。第2次大戦後、激動の韓国社会に生きた家族の物語だ。 植民地支配から解放されたのもつかの間、羅さんは1950年6月に起きた朝鮮戦争で九死に一生を得た。北朝鮮から人民軍が攻めて来ると、当時の李承晩・韓国大統領は南に逃げた。羅さん一家はソウルに取り残され、人民軍支配下での暮らしを余儀なくされる。羅さんは、家に入り込んできた兵士に銃を突きつけられ、夫は北に連れて行かれる途中で脱走した。「離散家族となるところでした。北朝鮮の平等を褐げたイデオロギーを信じることがいかに愚かなことか、実感しました」 羅さんは韓国の英文学界の草分け的な存在で、3女1男の母でもある。儒教的教えが厳しく、結婚した女性が仕事を持つのは難しい時代、次女を産んで半年後の54年、単身米国に留学もした。「夫は、女性も生涯の仕事を持つべきだと理解してくれた。家事と育児を引き受けてくれた母もいたからこそ可能でした」 羅さんは父の仕事の関係で旧満州に生まれ、日本人が通う小学校で学んだ。その後、ソウルの女学校で、日本語教育を受けた。ハングルの読み書きを学んだのは戦後のことだ。 最近の日韓関係には心を痛めている。「政治家が個人の感情をぶつけ合っているのではないでしょうか。隣国は離れるわけにはいかない。もう少し慎重に、長い目で判断してほしいものです」 (さくらい・いずみ氏) ●四方田犬彦/週刊読書人、2015.11.27日号、全文 「天賦の才に恵まれた文学者の知的遍歴の物語」 本書はかつて『日帝時代、わが家は』(みすず書房)を著したソウルの英文学者による自伝であり、前著の続編にあたる書物である。前著が大杉栄に私淑しながら韓国の近代化と独立のため腐心した父親、羅景錫(ナ・ギョンソク)の伝記であったとすれば、本書は祖国が解放されたのち、その娘である著者が梨花女子大を卒業し、結婚と出産、そして母校の教授としてコンラッドからジョイス、ヴァージニア・ウルフまでを翻訳し、さまざまな知的遍歴を重ねていくさまを物語っている。登場人物も多岐にわたり、文学者でいうならば、抒情詩人として高名な鄭芝溶(チョン・ジヨン)に始まり、パール・バック、スティーブン・スペンダー、ヤン・コットまで、著者が同時代の世界文学の担い手だちと間近に接し、対話と文通を重ねた思い出が、興味深い形で書き記されている。 だが、本書は天賦の才能に恵まれた文学者の回想録であるだけではない。書物全体を貫いているのは、朝鮮戦争からクーデター、そして民主化へと目まぐるしく変貌していった韓国社会を、大統領官邸からわずか2キロほどしか離れていない住宅地、新橋洞から、ある距離のもとに眺めている批評的な眼差しである。夫である全民濟(チョン・ミンジェ)は、京城帝大で応用化学を学び、韓国において石油産業を最初に立ち上げた人物であり、歴代の大統領から期待される立場にあった。著者は彼らをイデオロギーによって単純に裁定することを避け、夫との関係を通して、冷静に彼らの人物評価を行っている。ここにその細部を写すことはしないが、日本の読者にとってこうした記述は、韓国の政治史を理解する上でまことに貴重である。 本書にはさまざまに印象深い人物が登場するが、もし一人を挙げるとすれば、朴正煕軍事政権下の困難な日々において梨花女子大を支えた金玉吉(キム・オッキル)総長であろう。1964年、女子大生たちが反政府デモを行ない、8時間にわたって機動隊と対峙して一歩も譲らなかったとき、彼女は勇敢にもその間に一人で割って入り、夜を徹して学生たちと講堂で話し合った。その結果、一人の逮捕者も出さずにすんだという。いったい日本にこのような大学総長がいただろうか。 ここで私事を告白しておくと、わたしは全斗煥政権の時代に、著者に随行して、山中で隠遁生活を送られている金氏を訪問したことがあった。政府に睨まれてしまうことを怖れず、多くの人々が彼女を訊ね、歓待を受けていた。不屈の知識人という評判とは違い、実に和やかな、親しみやすいお人柄の方であったことを記憶している。 わたしがもう一つ、本書で興味をもって読んだのは、著者がみずから築き上げた家庭について語る部分であった。父親である羅景錫とその妹で女性画家の羅蕙錫(ナ・ヘイソク)の、それぞれ最晩年の挿話にはじまって、四人の子供たちの渡米体験とその後まで、著者を基軸として、合計して四世代の物語が綴られている。その物語の拡がりはさながらバックの『大地』三部作のごとしである。もっとも水原郡守の旧家の裔である羅家を、徒手空拳で家を興した王龍と比較するのはいささか不適当かもしれない。わたしは個人的には本書を、イタリアのナタリア・ギンズブルグが著した家族年代記、『ある家族の肖像』と比べてみたい誘惑に駆られているところである。(堀千穂子訳) (よもた・いぬひこ氏、評論家・映画史家) ●黄 英治/図書新聞2016.1.9日号、全文 「内と外の〈引き裂かれ〉の物語」「女性知識人の眼差しで、激しく葛藤した自身と「世の中」とを明晰な言葉で書き残した自伝」 英文学者の著者は、一九二年に旧満州の奉天(現中国・瀋陽)で生まれて日本の小学校へ通い、卒業と同時に植民地・朝鮮に戻り、今日に至るまで短期間の避難と米国留学を除いて、ソウルの新橋洞で暮らし続けた。その定点から彼女は、日本の植民地支配からの解放と南北分断、冷戦下の国際戦争となった朝鮮戦争、李承晩・朴正煕・全斗煥・盧泰愚と続いた四十五年に及ぶ独裁政権時代、民主化を達成しながらも新自由主義に翻弄され苦悶する現在を、つまり激動の韓国社会を見続けてきた。本書は、「身辺からみつめた戦後韓国の激動の歴史」を綴った女性知識人の自伝である。 この作品の独自性は、数えきれぬ死者を折り重ねる脱植民地化の過程を、当時としてはごく少数であった女性知識人の眼差しで、〈引き裂かれ〉ともいえる内的にも、外的にも激しく葛藤した自身と「世の中」とを、明晰な言葉で書き記したところにある。 日本帝国主義は、朝鮮民族の植民地化の「完成」が、創氏改名と日本語常用=朝鮮語の抹殺によってなされる、と考えた。著者は十六歳まで「日本人」とされ、「羅田」という氏で、「日本語で話し、考え、書き、読む習慣を身に」つけた。これに対し、脱植民地化は、まず名前を取り戻し、言葉を教育することから始まる。植民地からの解放で著者は、日本語と朝鮮語による内的な〈引き裂かれ〉を抱えた。同時に、彼女の外部世界は、脱植民地化のための政治と経済、社会と国のかたちをめぐって左右に、そしてやがては南北に〈引き裂かれ〉、ついには戦争に至る。 彼女の家の近くに住み、歴史に名を遺し、暗殺され、自殺し、行方不明になった人びとがおり、先輩、同窓、後輩が立場の違いで、命のやりとりをする境遇になる。この酷薄な出来事たちを、著者は感情を抑制して淡々と記す。だが、読者はこの文体に甘えて、この内と外の〈引き裂かれ〉の物語を、朝鮮=韓国であった私に無関係のエピソードとして読み流してはならないだろう。物語の根っこには、日本の植民地支配があり、いまだに果たしえぬ〈引き裂かれ〉からの回復=南北統一を、どう見ても日本政府は積極的に支持も支援もしていないからである。 英文学者として梨花女子大学の教授であった時代は、ちょうど朴正煕に始まる軍事独裁政権の時代に重なる。この時代の著者は、どこか、息をひそめる知識人でもあったようだ。学生たちは民主化を求めて独裁政権に立ち向かい、絶え間なく闘争していた。それについて、客観的に綴りながら、自身はそれについてどう考え、いかに行動したかについては、印象に残る記述がない。英文学者として学事に、学会に、英文作品の翻訳に尽力したことが記されているだけである。また、一九七〇年代以後の経済発展の矛盾、歪みの結果として連続した大事故などの記述はありながらも、労働者の闘いについての言及もない。 もちろん、この自伝は「身辺から」のものだ。だから、ないものねだりをするのは酷ではある。とはいえ、著者の民主化以後の政権評価や、繰り広げられた統一運動、労働運動、反米運動の評価について、評者は違和感を覚えたのも事実である。たとえば、盧武鉉政権 の評価。著者は「彼の不誠実な政策運営と軽率な国政運営で国民を不安に陥れた」と記す。しかし、盧大統領は、済州島の四・三蜂起など、過去の事件を整理し〈真実・和解〉をキーワードに、国家暴力の犠牲者の名誉を回復して、正しく評価しようとした。これを高く評価すべきだと評者は考える。 思えば、同時代を生きた人でも、その人の階級、階層、社会関係によって、歴史的事件はまったく違ったものとして見られ、評価される。そして、その違いによって、人の運命をまったく別物にしてしまう。極端に言えば、生き残れる人もいれば、無残に殺されてしまう人もいる。歴史は決して平等ではない。生きている者だけが自伝を書き、歴史を語るのだ。その意味で、この豊かな自伝との出会いは、読者に、死者の沈黙と向き合うこと、をも促すに違いない。(ファン・ヨンチ氏、作家)