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既 刊

地域史・地誌

風の盆おわら案内記 テイホン カゼノボン オワラアンナイキ

●定本
 風の盆 おわら案内記

成瀬昌示 ナルセショウジ【編著】
/里見文明 サトミフミアキ【写真】
ISBN: 9784905913955
[A5判並製]120p 21cm
(2004-07-25 出版)
定価=本体2000円+税

§越中八尾町(富山県)が全国に誇る町芸「風の盆おわら」の全貌と
精髄を、精選された写真と多彩な文章によって伝える絶好の案内書。

収録された写真は、1984-1990年にわたる7年間、1万枚に及ぶフィルムから選び抜き構成。更に今回は2003年の風の盆を新撮したもの8頁を加えて「定本」として刊行。
●立春からおこして二百十日の風が吹くころ、毎年9月1日2日3日飛騨の山間にかかる小さな街道町に幻妖な音曲と踊りの祭り、おわら風の盆がくりひろげられる。
●神通川の支流・井田川の河岸段丘上にできた小さな町筋に、この日ばかりは、全国から30万人という人たちが訪れる。
●現在の祭り現場では、もう本書のような写真はほとんど撮影できず、おわらの真髄を伝える唯一といってよい写真文集となっています。
●カラー70余点、モノクロ80点

【目次】
序章 風の盆の町(随筆・風の盆(小杉放庵))
1章 風の盆の町。
2章 風の盆の町筋(随筆・「風の盆」の季節―酔芙蓉・二百十日・不吹堂(倉島厚))
3章 風の盆「おわら」のかたち(風の盆とおわら;「おわら」は、町のたましい;八尾町開町のこと ほか)
 ◆随筆 小杉放庵 風の盆/高橋治 並みのものじゃない
 (『風の盆恋歌』の著者)/紀野一義 風の盆と私/
 伯育男 伯兵蔵のこと/酒井博 江尻豊治のこと/
 城岸徹 風の盆のおと/長瀬一郎 風の盆に踊る
4章 風の盆のこころ(成瀬昌示)(おわら踊りの原形;大面縄の話) 二〇〇三年風の盆

【編者・写真家紹介】
◇編著者・成瀬昌示(1923~2004年)
八尾町生まれ。立命館大学卒。長年、教職の任にあたるとともに、郷土の研究にあたるとともに、郷土の研究に従事、八尾町文化財保護委員長を最後に公職を引退。
著書に、 『越中八尾細杷〈えっちゅうやつおこまざらえ〉』 (1993年、言叢社、非売品)、共同執筆に『八尾町史』『角川地名辞典』『日本文化誌体系』などがある。2004年5月歿。

◇写真家・里見文明(1935年~)
東京生まれ。父方は富山県出身、幼い頃、八尾町の隣町・大沢野に疎開して育った。日本大学芸術学部写真学科卒。報知新聞でスポーツ写真記者となったのち、家業に従事のかたわら石仏写真に専念。
写真集『石仏遍歴』 『川越祭り』 、共著に『カラー石仏』 『江戸・下町の石仏』 などがある。現在、江戸川石仏の会会長。

【著者紹介】
◇小杉 放庵(こすぎ ほうあん、1881・明治14年~1964・昭和39年)
明治・大正・昭和時代の洋画家。栃木県日光町の二荒山神社の神官の子として生まれる。父は国学者であり、日光町長も務めた。1902年(明治35年)に太平洋画会に入会。1903年から国木田独歩の主催する近時画報社に籍をおいて挿絵を描き、漫画の筆もとっている。日露戦争では、『近事画報』誌の従軍記者として戦地に派遣され、迫真の戦闘画や、ユーモラスな絵などを描く。美術雑誌『平旦』を創刊。一年のフランス滞在後、墨絵も描き始める。日本美術院に参加し、同人として洋画部を主宰。二科会にも籍を置いたがやがて脱退、1922年(大正11年)に春陽会を創立。第二次世界大戦中、新潟県赤倉に疎開、戦後もこの地に暮らし、独自の水墨画を残した。

◇倉嶋 厚(くらしま あつし、1924年~)
長野市生まれ。気象キャスター、理学博士。中央気象台付属気象技術官養成所研究科(現在・気象大学校)卒業。気象庁防災気象官、主任予報官、札幌気象台予報課長、鹿児島気象台長などを歴任。定年退職後、NHK解説委員、現在フリーの気象キャスター。著書『暮らしの気象学』(草思社)、『やまない雨はない~妻の死、うつ病、それから…』(文芸春秋)、『癒しの季節ノート』(幻冬舎)など多数。

◇高橋 治(たかはしおさむ、1929年~)
千葉県出身の小説家、劇作家。東京大学文学部卒業。1953年松竹に助監督として入社。新人助監督として、小津安二郎監督の代表作「東京物語」に係わる。堀内真直の助監督作品の脚本を数多く手がける。「彼女だけが知っている」で監督デビュー。松竹ヌーベルバーグを担う。戯曲も書き始める。1965年 同社を退社し、作家活動に入る。『派兵』(未完)により泉鏡花記念金沢市民文学賞。『秘伝』で第90回直木賞。人材育成を目的とする「白山麓僻村塾」を石川県白峰村に設立。『告発 水俣病事件』、『高橋治戯曲集』。『風の盆恋歌』など著書多数。

◇紀野一義(きの かずよし、1922年~ )
仏教学者、宗教家。真如会主幹。山口県萩市の顕本法華宗寺院・妙蓮寺に生まれる。 真理運動を展開する宗教者・友松圓諦の主宰する神田寺の青年部長を務めた後、在家仏教団体真如会(しんにょえ)を設立して主幹を務め、特定宗派に偏らず、現代に生きる仏教の普及をはかる。1964年に東京・谷中の全生庵ではじまった「清風仏教文化講座」は現在も続いている。仏教学者としては中村元らと共に『般若心経・金剛般若経』『浄土三部経 上・下』を翻訳(いずれも岩波文庫)。「啓蒙書著作多く、仏教現代化に貢献した」として第一回仏教伝道文化賞を受賞。『法華経の探求』、『禅 現代に生きるもの』など著書多数。

◇伯 育男(はく いくお、西新町、富山県民謡おわら保存会演技指導副部長・当時)
西新町の大工一家に生まれた。祖父の兵蔵は歌いぶりが評判の名人。大正11年の全国民謡大会におわらを民謡日本一に導いた。それ以前の卑猥な歌詞も含めて合唱して騒ぎ歌う形から、現在の町流しに聞かせる独唱のスタイルを取り入れた人物でもある。父の為太郎さんも歌い手を継ぎ、伯さんはおわら歌とともに育った。「19歳のころより舞台に上り唄っていますが,自分の思う唄が歌えることは数えるほどしかありません。唄えば唄うほど、唄のむずかしさがある。」という。
  のきば すずめが 又きてのぞく  今日も 糸引きゃ オワラ 手につかぬ
八尾おわらを しみじみ聞けば  むかし山風 オワラ 草の声
 伯さんの好きな歌詞だ。

◇酒井 博(さかい ひろし、東町、八尾文化会議委員・当時)
江尻調といわれる現在の節回しの礎を築き、八尾を代表する歌い手として全国に名を馳せた江尻豊治の孫として生まれ、16年間、祖父逝去までの晩年の生活を共にした。現在、東町にて鍼灸院を開業。
  今しばし 闇を忍べよ 山ほととぎす  月の出るのを オワラ 楽しみに  豊治

◇城岸 徹(じょうがん とおる、上新町、富山県民謡おわら保存会企画部長・当時)
木工芸品とおわら人形の製造を業とした父の作業場で、木を削る丸鋸の音にあわせて歌う「おわら」を聞きながら育ってきた。「三味線を弾くバチのおと、指先で糸をはじくおと、胡弓をひく弓の毛と擦り合うおと、唄を生かすために軽く打つ太鼓のおと、踊りの手を打つおと、足をトンとつくおと、唄い手の大きく張り上げる声(おと)、八尾坂街に水の流れるおと、秋の夜の虫の鳴くおと、風の吹くおと」、この醸し出されるハーモニーが「風」に乗って、「盆」という受け皿としての八尾の町の音となり、「風の盆」の深い夜にふさわしく映える、という。この季節を待ち望みながら日々一年の生活を生き甲斐として持っている町なのである。

◇長瀬一郎(ながせ いちろう、上新町、富山県民謡おわら保存会顧問・当時)
「おわらは踊りが美しいといわれる。勇壮な男踊り、優雅な女踊り、シンプルで素朴な豊年踊り……、その素朴な味、さす手、ひく手の美しさはいくら踊っても飽きない楽しい踊りで…町民全部の財産で、この踊りの出来ない人はない。」「絶えざる修練の上にそのひとらしいなんともいえぬ味わい深い個性がでてくる。……楽しさ、悲しさ、よろこび、淋しさいっさいを内にこめて、ただ踊る。つくらずに自然態に、無心に踊るのが民謡の踊りである。……八尾はおわらが一番よく似合う舞台である、と思う。
  おわら踊りの笠きてござれ  しのぶ夜道は オワラ 月あかり」

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