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既 刊

表象交通論/ 文化人類学・民族学・民俗学・歴史人類学

山の民俗考古 チチブ ヤマノミンゾクコウコ

●秩父 山の民俗考古

小林 茂 コバヤシシゲル【著】
ISBN: 9784862090348
[A5判上製]830p 21cm
(2010-10-21 出版)
定価=本体6800円+税

§オオカミ(動物)、股木かぎ(植物)、石(鉱物)からさぐる
ヒト=自然の交渉の物語り。

狩猟・漁撈、林業、手仕事等の詳細な聞き取りによって浮かびあがる山の生活文化。われわれが生き暮らした軌跡をさぐる著者最後の大著。

【目次】
第一部 暮らしの民具学にむけて(秩父の暮らしと文化についての随想⑵、父・據英と和銅遺跡顕彰のこと)
第二部 民俗・民具学と考古学のあいだで/「木の股」民具考/「自然の取り入れ」についての一考察―小林據英収集「奇石」に触れて/人類史とオオカミ、狼習俗と信仰についての断章―直良信夫先生とその仕事を偲んで/◇附・初期考古学論文三篇(秩父地方の先史遺跡(1) 神庭半洞窟遺跡/秩父地方の先史遺跡(2) 秩父吉沢石灰採石場と大血川の遺跡/なぞの霊獣―ニホンオオカミ)
第三部 山のなりわい(生業)と伝承/秩父 山の狩猟と漁撈/秩父 山の林業/秩父山の手仕事(石垣とり[石垣積み]、屋根板割り、漆掻き、紙漉き、スカリ作り)
第四部 山の民俗聞き書き/広瀬利之氏との往復書簡(抄)/秩父 山の民俗聞き書き―調査

【著者紹介】
小林茂(1931~2009年)
埼玉県秩父郡皆野町に生まれる。秩父市在住。専門は考古学・民具学・民俗学。日本考古学協会会員。埼玉県文化財保護審議会委員、埼玉県埋蔵文化財事業団理事、埼玉民俗の会会長などを歴任。

【書評】
(赤坂憲雄氏/東京新聞書評 2011.2.6)
「かぎりなく豊饒な著作である。しかし、その豊かさや深さをうまく言葉にするのは難しい。『内水面漁撈の民具学』『秩父 山の生活文化』、そして、遺著となった本書『秩父 山の民俗考古』へと連なる三部作は、合わせて千八百ページあまり。そこにこめられた思索の総量は、その何倍にも感じられる。しかも、その思索はあくまで明晰であり、深い。
冒頭部には、なぜ荒川の最上流の沢にヤマメやイワナが棲んでいるのか、という意表を突いた問いが見える。山びとたちの関与なしにはあり得ないことが、フィールドの知をもって指摘される。それはいわば、人間の歴史が築きあげた「人工の自然」の一例であった。人と自然とが交換=交歓する関係をめぐって、そんな思いがけぬ発見が、そこかしこに転がっている。
民俗学と民具学、そして考古学が絶妙のハーモニーを奏でる姿は、ほとんど奇跡のようだ。むろん偶然ではない。分断された学問の壁を越えようとする意志がしなやかに、たいへん鮮やかなのである。地域からの学びにとって、知の領土争いがなんの意味も持たないことは、あまりに自明なことであった。
著者は在野の人であった。秩父というフィールドをけっして離れることなく、そこに具体の経験を積み重ねながら、はるかに人類史的な普遍を志向した。地域学は、地域から世界へとつながり、開かれてゆく知の方法である。たとえば、「木の股」や「奇石」といったいかにもロ-カルなテーマにまつわる考察のなかにも、それはよく示されている。
大げさな物言いに聞こえるかもしれないが、この三部作はすでにして古典の風格すら漂わせている。この時代にいったい、歳月を越えて読み継がれてゆくべき書物がどれだけあるか、と問いかけてみればいい。この著者の名前は長く記憶されねばならない。」

(松村一男氏/図書新聞 2011.1.29)
「埼玉県の東端に位置する秩父は多くの顔をもつ。盆地、和同開珎の材料となった銅の産出、秩父セメントの名が示すようにセメントの材料の一部となった石灰を産出する武甲山、長野から秩父、八王子、横浜へと続く、日本の近代化に貢献した養蚕と絹織物の産地と運搬ルートとしての日本版シルクロード、秩父神社と秩父夜祭、江戸と東京の建築のための木材の提供と荒川水系での筏流しによるその運搬等など。盆地は一つの小宇宙であるとはしばしば言われることだが(米山俊直『小盆地宇宙と日本文化』)、東京の近郊にあるが、背後には秩父連山を控え、荒川や長瀞の自然も残り、しかも東京、群馬、長野、山梨の四県に接するという点では交流の中継点でもあった秩父は、その自然と文化の両面における多様性について、全体像が多方面から考察されるべき貴重な領域と思われる。
著者は明石原人の発見で名高い考古学・古生物学者の直良信夫(1902-85)に師事し、家業の傍ら、埼玉県の文化財保護審議会委員や埋蔵文化財事業団理事を務め、埼玉県を中心とする発掘や民俗調査を続けた。また父小林據英(1899-1990)の代からの考古遺物と民具の収集・保存も受け継いできた。そして晩年、研究の記録と総括のために三冊の論文集を編んだ。本書はその第三作目にあたり、民俗考古を対象とする。一冊目は『内水面漁撈の民具学』(2007)、二冊目は『秩父 山の生活文化』(2009)だが、第二作と本書は著者の没後に刊行されている。
本書は第一部「暮らしの民具学に向けて」、第二部「民俗・民具学と考古学のあいだで」、第三部「山のなりわい(生業)と伝承」、第四部「山の民俗聞き書き」から構成されている。民俗と具体的な物としての民具が中心だが、そこに縄文時代の石棒の分布や自然銅の発見で日本古代史では必ず言及される和銅遺跡といった考古学との関連、さらには山の自然が人間に与える影響の例としての狼への信仰(ここには古生物学や動物学も関わってくる)、また山の文化の産物としての「木の股」や奇石に関する長大な論考が加わることによって、類書のない秩父文化複合が眼前に出現することになる。諸学問領域の壁を越境する学際的な研究である。著者は第二作目のあとがきにおいて、「私が試みようとしたのは、民俗と民具と近代の歴史が交錯する個人、家族、共同体の場を、郷土の風土、自然の中に位置づけて描いてみようとするものでした」と述べているが、この意図はもちろん三作のすべてに共通するものだろう。
本書の圧巻は第二部に所収されている三篇の長大な論考、「<木の股>民具考」、「<自然の取り入れ>についての一考察―小林據英収集の<奇石>に触れて」、「人類史とオオカミ、狼習俗と信仰についての断章―直良信夫先生とその仕事を偲んで」である。「木の股」とは自然木のY字の股木のことだが、物を吊るすかぎ類(たとえば囲炉裏の自在かぎ)や背負い梯子や物干し柱、掘立小屋の柱などとしてさまざまに用いられてきた。鮮明な数多くの写真とともに示される紹介と分類、さらにはそれにまつわる信仰(道祖神人形)や世界各地での類例の紹介、そしてそこから示される人類共通の心象表象としての分類には驚かされる。
水石や盆石として一般に趣味の領域と思われている奇石の収集紹介とそれに続く分析の場合にも同じ驚きを受ける。その多くが出土するのは縄文の遺跡なのである。御神体としての磐倉・磐座・磐境もまた大きさこそ異なれ、奇石に属するだろう。そして奇石の一種が秩父と接する甲斐を中心に分布する丸石道祖神である(中沢厚他『丸石神』)。さらに南方熊楠の有名な論考「燕石考」にも著者は注意を喚起する。縄文から現代まで、そして観賞用の水石から磐倉そして道祖神から化石である燕石まで・・・もちろん、燕石の信仰は南方が指摘するように世界的であり、人類と石という心象表象の文化史へとつながっていくはずだ。
狼の論考は、冒頭に「人類史」とあるようにさらに壮大な視野のもとに日本狼を捉えようとしているが、併せて著者の恩師である直良信夫の生涯と業績についても論じている。直良は戦前に北満州で発掘に携わっていた折に狼と人間の関係について関心を抱き、『日本産狼の研究』という著書を出版している(校倉書房、一九六五)。著者は師の関心をさらに発展させ、日本狼の骨格、山犬、家犬、そして人との関係、狼にまつわる信仰や伝承、さらには日本以外の地域での狼信仰(ローマ、ゲルマン)までも含めて壮大な狼の文化史の見取り図を示している。
秩父において自然と人とが織りなしてきた文化の諸相のうち、本書は主として山を論じている。川を中心とする第一作、コンクリートの材料となる石灰岩や日本の近代化を支えた生糸産業といった近代秩父を取り上げる第二作と併せたこの三部作によって、秩父の全貌を明らかにしようとした著者の願いが多くの読者に届くことを強く願わずにはいられない。」

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