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既 刊

現代思想/現代社会・制度

フクシマ フクシマ
―ホウシャノウオセンニイカニタイショシテイキルカ

●フクシマ
 ―放射能汚染に
  如何に対処して生きるか

島 亨 シマ トオル【著】
/菅野 哲 カンノ ヒロシ(飯舘村農業者)【談話】
ISBN: 9784862090416
[四六判並装]372p 20cm
(2012-08-25出版)
定価=本体1714円+税

◆推薦・澤田昭二◆
(名古屋大学名誉教授・素粒子理論物理、市民と科学者の内部被曝問題研究会代表、
原水爆禁止協議会代表理事)
「放射能汚染の中をどう生きるか。本書は、福島原発の事故調査委員会が揃って必要性を指摘した被災者の視点から、いまなお不十分な、国、自治体の対応の在り方を批判し、原爆被爆者の場合と比較し、多くの文献や資料や科学的考察を網羅して多面的な検討を加え、被災者のめざすべき方向を示している。」

§放射能汚染は、人、地域をまるごと根こぎにする。
はかり知れない個体の暮らしと「存在」、環界の破壊、
見据えること、見通すこと、
そしてあらがえ、大切なものを守るために。

◇放射能汚染の事態にたいする政策的管理の全過程を追求。

◇住民の「存在」「存在権」の場所から、東電、国政府、県政府、自治体のありようを問い、過剰な放射線被ばく下にある地域住民がいかに対処して生きるかを考えぬこうとした著作

◇「避難指定区域」の再編が行われつつあり、被ばく後1年半に近づく今こそ、放射線被ばく線量を決定的に下げることが求められます。

◇とりわけ、内部被ばくを政府基準よりも下げるよう厳密に管理して、チェルノブイリの悲劇を後追いすることのないようにすべきです。

【おもな目次】
序、生きるに困難な状況の整理のために
この本で考えたことのあらまし

第1部 この困難な状況をいかに生きるか
     ― くに、国家政府・県政府・基礎自治体と住民主権の現在

1.「くに」と「国家政府」と地域住民主権
2.「憲法」と「存在権」「存在倫理」
3.はかりしれない広範な放射線被ばく、「存在破壊」と「賠償」
4.「避難指示区域」再編と「長期帰還困難区域」の設定をめぐって
◎談話:菅野哲(飯舘村)「二つの方向を持ちながら、これから生きていく」
  双葉郡双葉町長、井戸川克隆氏の意思


第2部 住民みずからによる放射線防護の「生活的な基準」
     (生活の日常性から許容できない限度基準)を立てよ

5.政府は地域住民に、(仏・独原発労働者と同じ)年間許容線量ミリシーベルトで暮らせる、と言っている
6.避難指示区域「再編」の基準「年間20ミリシーベルト」の根拠は?―ICRP国際基準で決めたという「嘘」
7.「緊急被ばく状況」→「現存被ばく状況」→「住み続けられる状況」とは、どれほどの時間的な許容性をもって考えられているのか
8.放射能の人体への障害観を再検討する―急性障害と晩発性障害、 二分観への疑問
9.放射線が細胞を傷つけるメカニズムの大まかな理解
10.過剰な放射線汚染状況下での遺伝子変異の様相
11.過剰な放射線被ばく状況(外部被ばく・内部被ばく)の   長期化のもとでの目安は?
12.チェルノブイリ原発事故とウクライナ汚染地域の子どもの健康
13.食品中の放射性物質汚染への対処について
14.「内部被ばく」のリスク評価をいかに扱うべきか
15.放射線被ばくに対する自前の生活基準(住み続けられる基準)を立ててみる
16.放射線被ばく長期化の下での「被ばく」の自己管理・地域管理
17.これまでの政府政策と、可決した原発事故被災者支援法との関わりについて
18.広島・長崎の原爆被害調査を日本国政府が独自に徹底して実施しなかった「罪」
19.危機を生きる個人
20.地域を生きる個人
参照したおもな文献
あとがき

【著者紹介】
島 亨(1939年~)
東京教育大学哲学科倫理学専攻中退。国際経済社記者、木耳社編集部を経て、言叢社を共同して設立。言叢社同人代表。縄文造形研究会会員、先史造形表現研究。批評。共著に、『秩父幻想行』(木耳社)、柳田國男『遠野物語』注(谷川健一編、大和書房)、『縄文図像学Ⅰ・Ⅱ』(言叢社)、『光の神話考古』(言叢社)などがある。

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【書評】
市川紀行(元・美浦村村長、詩人、劇団主宰)/
週刊読書人 2012.11.16号
 2011.3.11から1年7ケ月が過ぎた。短い時間ではない。しかし「フクシマ」・東電福島第一原発過酷事故の現状と放射能被災地被災者の実情は「改善回復」をあざ笑うようにその残忍残酷さを露わにしてきている。島亨氏の本書「フクシマ」は事故発生から現在までの全体像を懸命に追い現場に通い検証する。そして告発する。さまざまな隠蔽とごまかし、無策無定見と自己保身、「汚染許容値」のでたらめさは周知のとおりだ。ふるさとを(島氏はあらゆる思いをこめて「家郷」という)なんの咎なく追われた人々は今なお、いや今さらに絶望と望郷のはざ間でいのちを削っている。救済、賠償そして放射能防護など国家や政府、地方自治体は信頼しうる対象となりうるか。
 島氏の視点はそれを明確に否定する。そして譲れない再生の視点はふるさと・家郷の人々の上に戻ってゆく。ひとびとはどうすればいいのか。本書の他に類従を見ない真実の鍵はここからはじまる。島氏の立場は明確にこうだ。―日常のくらしを生きる住民の一人として、フクシマの個人や家族、いわば家郷の人々の視線を一貫してゆるがせにしないこと。その人々が生きるためにどんな思考を提供できるか、これまで経験し考えてきた全てを入れつくすこと=「フクシマの人々の生命権、生存権、生活権をかけた生き方は人類の今日と将来の生存にとって大切な「存在」のありようを示すものとなっている。これを指し示せなければこの国は衰弱してゆくほかはない」。苦悩に満ちた対応の道筋を理解するためには本書を手に取ることしかないが、ここにそのひとつを記したい。「(個人、家族、自分にとって)家郷・ふるさととは世界の中心、この大切なものを保ち続けていればそれを支えにいくつもの世界を包み込んで生きられる。何処にあっても」。強い励ましが感銘とともに身にせまるだろう。島氏は本書においてあえて原発存廃の問題には触れていない。それはまた別に問われねばならない。いまここにある被災者の苦悩と地域の喪失に有効な作法を創出することだ。島氏の言葉に暖かさがあるのは寄せる真情の確かさとともに豊かな歴史民俗学の見識と発想があるからと私は感じる。
 島氏と飯館村農業者・菅野哲氏の対談は被災状況の混迷を語って凄まじいが、「一番の障害は市町村長です」の言葉がある。 16年の村長経験から「さもありなん」と想像できる。上からの指令待ちと慣例重視の首長がいかに多いか。住民に最も近く責任あるのがその自治体である。まして緊急時まさに首長の質と力量とその判断が命運を左右する。あの被爆死者も出た東海村JCOウラン臨界事故のとき、無策の国は動かず、指示待ちの県も動けず、放射能は急激に市内拡散を続けた。畏友村上達也村長は決然と「全ての責任は自分がとる」と学校や住民の村単独の避難を実行した。住民のいのちは救われた。子どもたちの被爆は避けられた。「一番の障害」とはこの逆をいう。重なった悲劇は被爆を増幅した。島氏は苦悩する家郷の人々と国や政府の幻想よりむしろ家郷そのものといえる自治体の存在、関わりのあり方をいまこそ指摘しているのだ。「放射能は人と地域をまるごと根こぎにする」。どう対応するか。どう生きるのか。人間存在の深みで懸命に探ったのが本書である。「フクシマ」に関わるとき手にするべき一書である。

山田宏明(評論家)/図書新聞 2012.11.27号
 昨年3月11日に発生した東京電力福島第一原発事故と放射能被害について、出版社代表で造形美術研究家でもある著者が、マスメディアやインターネットなどで公表された政府や東電の「公開情報」だけを頼りに、それを徹底的に読み抜いて、矛盾点、問題点を浮き彫りにしたユニークな「原発事故の責任追及の努力の書」。
 著者はまず、自らがこの問題の専門家ではなく素人であることと、未公表のデータが入手できるような立場にないことを宣言。執筆の意図を「専門家でない一人の個人として、この困難な状況を生きるための“思考”を提示し提供できれば、と思った」と述べている。  そして、より具体的には「政策的思考ではなく、日常の暮らしを生きるこの列島の住民として、生活する個人や家族の視線を一貫してゆるがせにせず、考え抜いた」、「新聞、ネット、雑誌、本などで公表され、比較的容易に入手できる文章を選び抜き、それらを批評的に検討する過程のうちに、これまで自分が経験し、思索してきたことの全てを入れつくすこと」、「参照に選んだ文献相互の“ずれ”を発見し、それがどこからくるのかを捉えること」、「この3つの方法をもちいて、放射線防護にかかわる既存の専門家とこれを動員する国家政府の政策担当者たちが、どんな追考の“働かせ方”をさせているかを追思考してみること」を行なった。
 原発事故全体を考察の対象にしているが、特に力を注いでいるのが放射能被曝問題。「安全神話にかまけて、地域の放射線防護に対処する法整備と緊急時の体制も取ってこなかった」、「避難区域指定の遅れや情報伝達の遅れで、福島県浪江町、飯舘村、川俣町などでの高線量の住民被曝は、国家政府の地域住民への明白な罪責だ」と鋭く指摘、また、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故(1986年)なら、汚染地域に指定されたレベルの高線量地域(中通り地区)を「無指定」としたため、住民が「避難すべきかどうか」で迷い、地域共同体にも大きな亀裂が生じてしまった、と国を非難している。  また、政府は、「緊急時被曝状況」での避難指示区域の基準を「年間20ミリシーベルト以上」としたが、緊急時を過ぎた「現存被曝状況」での再編計画でも、除染して「年間20ミリシーベルト以下」にできるなら、「帰還準備区域」に組み入れることにした。このように、ふたつの状況を連続的に捉える根拠は、国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告に依拠した、と政府は説明しているが、ICRPのガイドラインは、そのような判断を許容していない、と「専門家の誤魔化し」を指摘している。
 「素人の目線」といっても、原発事故だけに決して分かり易くはない。しかし、専門家のもっともらしい説明の矛盾を突き、真実に迫ろうという著者の姿勢には、鬼気迫るものがある。それは、巨大な国家権力の説明に納得が行かず、また、理解もできないまま避難をしたり、生活を一変させられている「弱い個々人」への共感だろう。  権力機構への不信感を踏まえた上で著者は、「既存の共同体を超えた新たな人と人と結びつきをひらくことが、個人や家族の生存を助けるものとなるでしょう」と言い、高放射線量汚染地域の自治体首長と職員に、「自治体の消滅がありうることを覚悟のうえで、住民意思の自由の確保および支援と、地域の徹底した除染の二重の課題を同時におこなうべき」と要望している。特に、「故郷を離れて別の地域に住む決断をした住民」を見捨てることなく、最大限の支援を行なうべきだと呼びかけている。被災地住民の生活の再生は、こうした「徹底した信頼」から始まるのだろう。困難は少なくないだろうが。

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