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既 刊

現代思想/現代社会・制度/身体の思想

ゼンソンヒナンヲイキル―セイゾン・セイカツケンヲハカイシタフクシマダイイチゲンパツカコクジコ

●〈全村避難〉を生きる
 ―生存・生活権を破壊した福島第一原発「過酷」事故

菅野 哲 カンノ ヒロシ【著】
ISBN: 978-4-86209-075-1 C0036 ¥2400E
[A五判]並装 本文384頁 21cm
(2020-02-10出版)
定価=本体2400円+税
全村避難

■福島第一原発過酷事故による「全村避難」。人々の生活権を丸ごと破壊する状況のもとで、具体の「いのちの権利」とはなにかを問い、個と家族と《基底村の共同性》に根をおいて、飯舘村民救済申立団の組織者としてたたかった、一人の村民の自伝的著作。また、飯舘村の公務員としての実経験と、公務員としての倫理を詳細に証言した記録でもある。
■2011年3月11日に起こった東日本大震災。津波が福島第一原発を襲い、全電源喪失によって原発の炉心は熔解し、膨大な量の放射能が広範な地域にまき散らされた。放射能雲は福島第一原発から西北方へと流され、帯のように拡がって一帯を襲った。そして、原発周縁を除けば、浪江町津島地区と飯舘村は、この惨劇を最もまともに被った地域となった。
 「全村避難」という未曽有の事態に直面した飯舘村民全体と、みずからの「生存・生活権」をいかにして守るか。3000余人の「飯舘村民救済申立団」を結成。8年余に渡る村民の戦いの記録であるとともに、一人の生活者としていかに生きたかを明かしだてる無類の書物です。

【おもな目次】
序 新たな自立の道をめざして
第一編の一 飯舘は何を問いかけるのか
第一編の二 飯舘村民救済申立団の結成と謝罪・賠償要求
第二編の一 家郷の破壊・「飯舘」山中郷
 一.存在破壊と生活破壊――「棄民」への告発
 二.われわれ、村民が培ってきた暮らしの全てを失った
 三-1.「村の歴史」と「わたし」――三度の変革を超えて、直面した危機
 三-2.戦後の「村の暮らし」――開拓山村での暮らし①
 三-3.戦後の「村の暮らし」――開拓山村での暮らし②
 四-1.「村の暮らし」第三の変革期のはじまり
 四-2.「村の暮らし」の底上げ
 五.創造されてきた村の自然・風土・景観――積みあげられた記憶
 六.わが生涯の四つの危機
 七.四番目の危機(六二歳の時)――放射能汚染による全村避難
 八.個体の危機を引き起こした者への全面的な対処
第二編の二 飯舘村民救済申立団「申立の趣旨」
 九.未曾有の原子力災害は、われわれの何を殺したのか
 一〇.人間存在の基本権――存在権・存在倫理と生活権
 一一.自治体の「行政権力」と「公務員の基本倫理」
 一二.消費社会段階での「生活経済」と「賠償」の位相
第三編の一 聞書・村の変革期に果たした仕事
第三編の二 聞書・全村避難と村の自治
第三編の三 聞書・全村避難と飯舘村民救済申立の現在
巻末資料●申立準備書面3「避難慰謝料・生活破壊慰謝料について」

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【著者紹介】
 昭和23(1948)年4月27日 飯舘村佐須字虎捕150番地で戦後開拓入植者の長男として生まれる。草野小学校佐須分校、草野中学校から、福島県立相馬高等学校に入学。  昭和42(1967)年3月卒業。高等学校2年を終える春、東京の大学生が運転する自動車に轢かれて、脳出血、意識不明に、奇蹟的に助かった。この事故で大学進学を断念、家郷に帰り、農業を継ぐ覚悟を定める。昭和42年3月から家業の農業に従事。昭和43(1968)年、飯舘村森林組合の職員に採用され、シイタケ栽培指導並びに出荷販売業務を担当。
 昭和44(1969)年、飯舘村役場に奉職。農業委員会に配属(21歳)。昭和45(1970)年、草野字宮内の大久保文子と結婚。昭和52(1977)年、農業をやめ、農地を貸し付け、住宅を新築して飯舘村草野字大師堂7Ⅰ-2に転居(29歳)。昭和61(1986)年、38歳で、総務課税務係にいたとき、鼻腔に悪性腫瘍ができたが、適切な医療措置woukete,で生還(今なお鼻腔の治療を継続)。平成6(1992)年、企画課振興係長に配属。村行政の中心に参画。菅野典雄新村長になり、平成9(1995)年、(財)飯舘村振興公社事務局長に配属(46歳)。平成15(2001)年、南相馬合併協議会(原町市、鹿島町、小高町、飯舘村)に派遣(53歳)。平成19(2007)年、参事兼産業振興課長。平成21(2009)年、定年退職(60歳)。家業の農業に復帰。
 平成23(2011)年6月14日、原発事故により福島市に85歳の母と妻の家族3人で避難生活。平成26(2014)年7月20日、長谷川健一団長とともに「原発被害糾弾 飯舘村民救済申立団」を立ち上げ、副団長として「申立の趣旨」文案にかかわり、組織化につとめる。平成28(2016)年3月、福島市荒井に自宅を新築、福島市街の仮住居から転居。ようやく母や妻が求めるゆったりとした広い家をえた。令和元(2019)年7月、「飯舘村民救済申立団」解散。令和元(2019)年10月、母、荒井の家でみまかる。
 地域では、飯舘村草野行政区事務局長・監査役、飯舘村草野田町組組長を務め、現在、公益社団法人相馬広域シルバ-人材センタ-理事長。報徳会相馬理事。

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