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既 刊

列島文化の起源へ/歴史系

久米歌と久米 クメウタトクメ

●久米歌と久米
KUME-LIEDER UND KUME

ナウマン,ネリー Naumann,Nelly【著】
/ミラー,ロイ・アンドリュー
Miller,Roy Andrew【特別寄稿】
/檜枝陽一郎【訳】
ISBN: 4905913586
[A5判上製]269p 21cm
(1997-06-16出版)
定価=本体4500円+税

§久米歌の精密な逐語訳によって、初期大和政権と
久米の民の神話にひそむ古代史の謎に新たな解明の地平を開く。

たった8篇の「久米歌」とよばれる歌謡の解読を日本の研究者はこれほど徹底して試みようとはしなかった。はじめて日本研究にたずさわった時から、何やら秘密めいたものの紡がれる「来目の子等」の詞句に惹かれた著者は、久米歌の精密な逐語訳によって、初期大和政権と久米の民の神話にひそむ古代史の謎に新たな解明の地平を開く。アルタイ語学者ミラーの特別寄稿「久米歌に関する若干の言語学的考察」、他二篇「倭女王卑弥呼とその『鬼道』」、「クサナギの剣」より成る日本古代史論・歌謡論の問題作。

【著者紹介】
著者ネリー・ナウマンについては、 『山の神』 の項参照。特別寄稿者ロイ・アンドリュー・ミラーは1924年、アメリカ・ミネソタ州生まれ。1950年、コロンビア大学でPh.D.取得。東洋言語学専攻。国際キリスト教大学、エール大学、ワシントン大学教授を経て、89年退職。邦訳書に『日本語 歴史と構造』『日本語とアルタイ諸語』『日本語の起原』などがある。

【書評】
(中西進/図書新聞 1997.9.6号)
「感嘆はまずはイメージの豊かさにある。久米歌を読み解いてゆく手法は、手続きとして一般の国文学のそれとまったく変らない。しかしその結論となると、俄然目の前にきわめてくっきりと、風景が描かれ、人びとが動き、ざわめきが聞こえてくるのは、何としたことか。…つまり、正しい実証は必ずや想像力を喚起するということであろう。…おわりに翻訳臭を感じさせない訳文の見事さも忘れずに言っておこう。」

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(猪瀬直樹/正論 1997.9号)
「これほど刺激的な仮説に接したのは久し振りである。たいへんな労作に対して失礼な表現かもしれないが、高級な推理小説の味わいがある。少々早いが一九九七年の最もおもしろい一冊を挙げろ、と言われれば迷わず推したい。著者はドイツの日本学の第一人者で現在七十五歳である。…また、ネリー・ナウマンと同世代のアメリカ人言語学者で『日本語とアルタイ諸語』(大修館)の著者、元エール大学教授R・A・ミラーの補足論文が加えられている。…第二次世界大戦の日本の戦時標語のなかに『撃ちてし止まむ』があった。『撃ちてし』の『し』とは何か。その意味を、いまも日本人の誰もが知らないでいる。…本書では久米歌の起源を、記紀神話成立のはるか以前にまで遡る。久米歌の魅力に取り憑かれた著者は、あたかも考古学者の発掘調査のように刷毛を片手に記紀神話の地層から慎重に丁寧に久米歌の原型を掘り起こす作業をつづけたのである。その結果、…縄文時代にもっとも近接する時代の古代日本語の音韻を残す歌謡である、というところまでつきとめた。…『撃ちてし止まむ』の『し』は、アルタイ語の二人称代名詞の si に通じることは『日本語とアルタイ諸語』がヒントになっている。古代日本語が中央アジアのアルタイ祖語から分離して幾多の世紀、数千年であるかもしれない時を経て、久米歌のなかに足跡を残した。したがって『撃ちてし止まむ』は〈撃てばお前[たち]は/やつ[ら]は止むだろう……おしまいだろう〉と理解される。本書を読了すると、どうしても『日本語とアルタイ諸語』を読まずにはおれなかった。久米歌は互いに一面識もなかったドイツとアメリカの学究を結びつける契機となったわけで、世界史を視野においた研究のスケールと真摯さに心うたれるのである。なお注意深い翻訳者にも敬意を表したい。」
(猪瀬氏には「ニュースの考古学」/『週刊文春』1997.9.4号、産経新聞「出版1年、ノンフィクション」1997.12.21、テレビなどで重ねて紹介いただいた)。

(中沢新一/読売新聞 1997.9.14)
「仮説を立てる場合には、資料が語っていることから再現できるかぎりの、その現場の具体的な光景を頭に描きながら、まさに古代人の思考にしたがって、ものを考えなければいけない。そういう修道女のような禁欲主義をつらぬいた彼女の研究は、しかし不思議なことに、それを読むものに、圧倒的なよろこびをあたえるのだ。ナウマン女史の日本研究に、私は実証主義的恍惚を感じる。」

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