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既 刊

列島文化の起源へ/考古学系

表紙画像を少し解説 イキノヲ―ジョウモンジダイノブッシツ・セイシンブンカ

●生 の 緒
 ―縄文時代の物質・精神文化

ナウマン,ネリー Naumann,Nelly【著】
/檜枝陽一郎【訳】
ISBN: 4905913985
[A5判上製]384p 21cm
(2005-03-10出版)
定価=本体4667円+税

§「生と死」の縄文=神話図像学。

「縄文人の宗教的思考」は「複雑な体系をした思考であり、人間の抱くあらゆる疑問のなかで最古の疑問、すなわち生と死、とくに未来の生に関する疑問を核心に据えていた」。
ナウマンが東の果ての列島の先史に見出したものは、「死を克服する試み」を「雛型」として表出した「先史宗教」の核であり、この列島の最古の層に、生と死に関わる人間の原初的な表象のありようを取り出すことで、現代においても変わらない人の営みの根源に触れつづけようとした。
*病床にあって校正しつづけ、その死後に刊行されたナウマンによる日本先史・古代学最後の大作。

【主な目次】
概論(先史日本の時代区分;人類学的視点)
物質的背景― 考古学上の遺物(後期旧石器から縄文早期へ;縄文早期から前期へ ほか)
精神世界― 総論(狩猟および漁猟をめぐる信仰、埋葬と死者祭祀、土偶、土面ほか)
精神世界― イメージとシンボル(複合的意味をもつ土偶、涙や唾液、鼻水、生の水、蛇、酒、異なる両眼、三本指の手、蟇ないし蛙、朔の月、渦巻き)
精神世界― 旧観念と新たな象徴(生の緒、輝き出る光、混淆した形態、死と甦り― 新しい皮膚)
結語― 先史宗教の断片
註/訳注/解説/索引

【訳者紹介】
檜枝陽一郎(1956年~)
福岡県生れ。立命館大学文学部教授。言語学専攻(ゲルマン語)。早稲田大学政治経済学部卒業、東京都立大学大学院独文学専攻修了。ドイツ・ブレーメン大学留学、デュイスブルク大学客員研究員、オランダ・グローニンゲン大学留学、玉川大学文学部助教授を経て現職。
著書: 『中世低地ドイツ語文法』(共著)大学書林、『ドイツ青少年・教育用語小事典』財団法人世界青少年交流協会、 『象徴図像研究―動物と象徴』 (共著)言叢社。
訳書: アモン著『言語とその地位』(共訳)三元社、バンヴェニスト著 『インド・ヨーロッパ諸制度語彙集Ⅰ・Ⅱ』 (共訳)言叢社、ネリー・ナウマン著 『哭きいさちる神スサノオ』 (共訳)言叢社、ネリー・ナウマン著 『山の神』 (共訳)言叢社、ネリー・ナウマン著 『久米歌と久米』 言叢社、ヴィカンデル論文集 『アーリヤの男性結社』 (共訳)言叢社。

【書評】
野生の思考様式の累積を
日本列島の山の神伝承で位置づける
(田中 基/図書新聞 2005.7.9)
例えば、今から五〇〇〇年前の縄文中期中葉の時代に、中部高地の八ヶ岳山麗から山梨県、神奈川県の山地丘陵部、そして多摩丘陵一帯に栄えた山棲みの文化は、世界でも有数な土器造形の豊かさと多様性で知られている。
蛇や水棲動物、蛙や幼猪などの精霊像や、それらの動物と半人半獣の女神の性交、妊娠像、そしてその女神を母胎として生誕する瞬間の嬰児神など強力な神話的思考で彩られたこれらの土器図像群の解読の道が開かれれば、新石器文化の人々の頭に描かれていた深き存在論的視線が直接目にみえるかたちで判明するであろうことは多くの研究者の間で予感されていた。 その突破口を開き多くの具体的な土器図像のなかから内的な図法上の文法を指摘し、神話的思考の文脈を見出したのは、ドイツの日本学研究者、ネリー・ナウマンであった。「縄文時代の若干の宗教観念について」一九七五年である。その当時、彼女には縄文中期の土器図像解明に直接に、内的に向かう必要に迫られる位置にいた。というのは、既に一九六四年には日本列島の国家成立以前の古文化を、神祇神以前の今も民間に伝承されている野生の神である「山の神」を対象として歴史民族学的手法で層位化していたからである。
その書『山の神』では、今に残る厖大で多様な山の神の伝承資料を、微視的な差異に注目しながら、狩猟民の担った、出稼ぎ人の担った、焼畑農耕民の担った、そして水稲耕作民の担ったそれぞれの山の神=森の神に腑分けした。それは、一系的に水稲耕作民の、冬は山の先祖の葬地にいこい、春は田の神となって生産を援ける、一年の季節循環的な神霊として、ある種のリアリティを獲得していた柳田国男の「山宮考」などの説を、多系的に分解して、それを時間的には後期旧石器時代の、縄文文化時代の、弥生文化時代のそれぞれ異なる文化層の山の神の持続伝承であると、人類史的な長いスパンの中に位置づけている。日本列島の「山の神」伝承は世界に開かれたのである。
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最近の認知考古学的視線(スティーヴン・ミズン『心の先史時代』)では、後期旧石器時代の氷河期に南フランス、北スペイン一帯に勃発する洞窟壁画群などの宗教的・哲学的・芸術的表現行為に対して、現生人類であるクロマニョン人になってはじめて生成した神話的思考の産物であり、言語も以前の即物的用語法からこの時にはじめて隠喩と換喩をもつ象徴的思考=流動的知性に跳躍したと、それ以前のネアンデルタール人までの何百万年もの別々に特化した知能に対して現生人類の頭脳にはじめておこったビックバンに注目している。
その後期旧石器時代の現生人類にはじめておこったと思われる神話的思考、流動的知性から現代に至るまでの野生の思考様式の累積を日本列島の山の神伝承でもってネリー・ナウマンは位置づけたといえるだろう。民俗思惟は恐るべき持続性をもっていたのである。
さて、縄文中期の豊かな先史土器図像を直接眼前にして、ネリー・ナウマンは神話思考的な意味論的体系を読みとる視線を、先史図像研究者のカール・ヘンツエによる中国商時代の青銅器図像解読の方法に学び、それを縄文図像を解きうるまでに自家薬龍中の物にしてとりかかっている。古層な月神話体系とその図像展開として。
例えば、藤内遺跡出土の有孔鍔付土器(酒をかもす容器)に描かれた半人半蛙の精霊像の三本指の手がラセンを描いている。蛙像の背は三日間の見えない月の闇を意味し、中心から拡がるラセンの右手は新月から満ちていく月の軌跡に、左手は満月から缺けていくラセンの月の軌跡に読み込み、月の三日間の死を中心にした二極転換の軌跡に生と死の存在論的な神話的思考をみている。またこの土器の内容物と思われる酒を変若水(おちみず)とする不死の液体的発想を読みとっている。
同じく藤内遺跡出土の女神土偶の頭の部分にとぐろを巻いて前方をうかがう蛇体像を、月の盆に入った液体をまさに飲もうとする精霊とみている。また涙を流す表現や、唾液や鼻水を現わした表現に、月末に死んで三日の闇ののち新月とともに生まれでる神の生の液汁をみてとり、「古事記」のスサノオの泣きいさちるさまの死と生の神の表現をみている。さらに女神土偶の臍のまわりに描かれたラセンや、臍の緒の表現を生命の指標、つまり生の緒とみている。
このように新石器時代の土器図像に太陰的神話像を直に読みとった彼女のこころみにより、縄文時代の豊かな存在論的視線を解きほぐす糸口が見出されることとなった。
そして改めて縄文土器図像を目のあたりにすると、さらに多様な声が聴こえてくる。ミズチや蛙や幼猪や蛇体を精霊とする半人半獣の女神像で編まれた神話文脈が。
『山の神』以来一貫した態度で究明した縄文の神話的思考の本書は、僕ら日本人への彼女の最後の贈り物となった。

(赤坂憲雄/東京新聞 2005.5.15)
ナウマンはドイツの著名な日本研究者であるが、彼女の最後の著書が翻訳・刊行された。ナウマンは『山の神』という大著によって、日本の民俗学に衝撃をもたらしたが、いままた「縄文時代の物質・精神文化」という副題をもつ本書の刊行をもって、考古学会に激震を走らせる。日本研究のパラダイム変換が起こるほどの衝撃をはらんだ労作である。
たとえば、文化とは物質的遺物の蓄積以上のものである、日本は現実には一度も孤立状態にはなかった、何らかの祖先祭祀の特徴はこれまで発見されていない……といった言葉はどれも、この国の考古学の根幹に突き刺さるはずだ。けっして自覚されることのない、「国史」の補完物としての「一国考古学」にたいする批判といってもいい。
これは縄文時代における精神文化の探求の書である。たしかに、この国の禁欲的な考古学もまた、ときには祭祀や儀礼などの精神文化について物語ることはあった。それはしかし、ナウマンによって、「根拠のない空想」として一蹴される。実利的な意味合いを付与するのがむずかしいとき、きまって「呪術祭祀」「豊饒儀礼」「祖先崇拝」といった解釈が持ち出されてきた。それはいわば、問いを宙吊りにする避難所ではなかったか。
ナウマンもまた、縄文時代の遺物つまりモノを起点とする。ただし、土器の様式分類ではなく、土偶や土器を装飾している象徴の群れを、環太平洋的な文化のコンテクストのなかで解読することをとおして、縄文人の精神世界の一端を明らかにしたのである。関心をそそられるのは、クマ・イルカ・鮭などをめぐる信仰・祭祀や、月にまつわる生の水・再生の観念といったものが、まっすぐに現代のフォークロアにも繋がっていることだ。思いがけず、ナウマンの方法は開かれたものであり、将来における考古学・民俗学・人類学の連携の可能性を暗示しているのかもしれない。

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